高天原(アマ国)の領域
松中祐二さんの論文「安本美典『古代天皇在位十年説』を批判する 卑弥呼=天照大神説の検証」によれば、天照大神が居た高天原(アマ国)は朝鮮半島南部洛東江流域の伽耶地方が有力とされました。そこは倭人伝に見える狗邪韓国や後に任那国(倭地)が置かれた地域と重なるようです。
古田説では、高天原と称された天国(アマ国)の所在地を壱岐・対馬などの海上領域とされました。その根拠は、筑紫や新羅などへ高天原から天下る際に中継地なしに直接に行っていることから、それが可能な領域として、壱岐・対馬などを高天原(アマ国)とされました。この点では松中さんも同様に伽耶地方であれば途中経過地なしで筑紫や新羅などに天下り可能とされています。
もし松中説が正しければ高天原(アマ国)の中心は伽耶地方となり、壱岐・対馬とされた古田説と異なるのですが、両説を比較検討すると松中説の方が良いように思われます。というのも、古田説では平野部が少ない対馬は祭司の場で、軍事拠点は壱岐と見なされてきたのですが、それにしても筑紫や出雲と比べれば狭く、そのような狭小地域の人口・生産力・軍事力により、筑紫や出雲を制圧(天孫降臨・国譲り)できたことに若干疑問があったからです。もちろん、朝鮮半島から伝わった鉄器で武装した集団としてアマ国を捉えていましたので、その鉄器を背景にして戦争に勝ったと一応は理解してきました。
ところが、松中説では朝鮮半島南部の伽耶地方を、岩戸開き神話の舞台であり天照大神らが君臨した拠点とするのですから、筑紫や出雲と対等に渡り合える国土面積や農業生産力があったと考えられます。まして、鉄器使用が日本列島に先駆けて始まっていたことでしょうから、農業生産力も戦闘力も青銅器の比ではありません。
このように、従来の古田説よりも松中説の方が天孫降臨を可能とした国力バランスをうまく説明できるのです。そうなると、九州王朝の淵源は朝鮮半島南部にあったということにもなり、当地の考古学的痕跡の調査や、記紀のアマ国神話の再検証が必要となりそうです。これらの裏付けがあれば、松中説は九州王朝史研究にとって画期的な新説となる可能性を秘めています。