第1842話 2019/02/20

九州王朝説で読む『大宰府の研究』(6)

 前回までは『大宰府の研究』掲載の考古学論文を中心に紹介してきましたが、同書にはちょっと趣が異なる論文もあります。森弘子さん(福岡県文化財保護審議会会員)の「筑紫万葉の風土 ―宝満山は何故万葉集に詠われなかったのか―」です。これは古代歌謡学とでもいうべきジャンルの論文ですが、わたしはこのサブタイトル「宝満山は何故万葉集に詠われなかったのか」に興味を引かれ、読み始めました。

 というのも、わたしは『古今和歌集』に見える阿倍仲麻呂の有名な歌、「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも」の「みかさの山」は奈良の御蓋山(標高約二八三m)ではなく太宰府の東にそびえる三笠山(宝満山、標高八二九m)のこととする古田説を支持する論稿を発表し、その中で万葉集に見える「みかさ山」も、通説のように論証抜きで奈良の御蓋山とするのではなく、筑紫の御笠山(宝満山)の可能性も検討しなければならないとしていたからです。森弘子さんの論文のサブタイトル「宝満山は何故万葉集に詠われなかったのか」を見て、わたしと同様の問題意識を持っておられると思い、その論証と結論はいかなるものか興味を持って読み進めました。

 論文冒頭に、「秀麗な姿で聳える『宝満山』」「宝満山は古くは『竈門山』とも『御笠山』とも称し」と紹介された後、「筑紫万葉」とされる『万葉集』の歌を分析されています。古代歌謡に対する博識をいかんなく発揮されながら論は進むのですが、論文末尾に結論として次のように記されています。

 「宝満山の歌が一首も万葉集にないのは、たまたまのことかも知れない。しかしやはりこの山が、歌い手である都から赴任した官人たちにとって、任務と関わるような山でもなかったということであろう。」(557頁)万葉集になぜ宝満山が歌われていないのかという鋭い問題意識に始まりながら、論じ尽くした結果が「たまたまのことかもしれない」「官人たちにとって、任務と関わるような山でもなかった」では、何のための論文かと失礼ながら思ってしまいました。宝満山が御笠山という別名を持っていたことまで紹介されていながら、『万葉集』に見える「みかさ山」の中に宝満山があるのではないかという疑問さえ生じない。すなわち、『万葉集』に「みかさ山」とあれば疑うことなく「奈良の御蓋山」のこととしてしまう、この〝凍りついた発想〟こそ典型的な大和朝廷一元史観の「宿痾」と言わざるを得ないのです。(つづく)

※「みかさ山と月」に関しては次の拙稿や「洛中洛外日記」でも論じました。ご参考まで。

平城宮朱雀門で観月会 みかさの山にいでし月かも??(『古田史学会報』28号、1998年10月)
○「三笠山」新考 和歌に見える九州王朝の残影(『古田史学会報』43号、2001年4月)
○〔再掲載〕「三笠山」新考 和歌に見える九州王朝の残影(『古田史学会報』98号、2010年6月)
○三笠の山をいでし月 -和歌に見える九州王朝の残映-(『九州倭国通信』193号、2019年1月)
○「洛中洛外日記」
第731話 「月」と酒の歌
第1733話 杉本直治郞博士と村岡典嗣先生(1)

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