第2234話 2020/09/18

古典の中の「都鳥」(3)

『万葉集』巻第二十(4462)の大伴家持の歌と並んで、『伊勢物語』(九段)に見える「都鳥」(宮こ鳥)も有名です。

 「さるおりしも、白き鳥の嘴(はし)と脚(あし)と赤き、鴫(しぎ)の大きなる、水のへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、『これなん宮こ鳥』といふを聞きて、
 名にし負はば いざ事問はむ宮こ鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
 とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。」『伊勢物語』九段

 ここに見える「名にし負はば いざ事問はむ宮こ鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」の歌は『古今和歌集』(411)にも収録されています。この歌の作者や『伊勢物語』の主人公は在原業平(825~880年)とされていますが、「もともと伝承されていた土俗の歌」とする説もあります(注①)。また、この「都鳥」(宮こ鳥)は「ユリカモメのこと。伊勢物語の在原業平の歌にあるように、頭が白く、背中が銀白色で、嘴と脚とが赤く、尾の純白な鳥。」と解説(注②)され、チドリ目ミヤコドリ科の都鳥ではなく、ユリカモメとするのが通説のようです。
 この『伊勢物語』の説話や歌を多元史観・九州王朝説の視点から考察すると、ユリカモメのことを隅田川(現・東京)の渡守が「都鳥」(宮こ鳥)と呼ぶことの説明が困難です。この時代にユリカモメが飛来する他地域で、ユリカモメがミヤコドリと呼ばれた例は知られていませんし、多元史観によれば古代において都がおかれていたのは、短期間の都を除けば、九州王朝(倭国)時代の筑前と難波(前期難波宮)、大和朝廷時代の大和と難波(後期難波宮)、そして京都(平安京)です。この中でミヤコドリ科の都鳥が飛来するのは北部九州の筑前しか該当しません。その上、在原業平(825~880年)の時代の京都(平安京)にはこのユリカモメも飛来していないと考えられていますし、『伊勢物語』に「京には見えぬ鳥なれば」とあるように、ユリカモメが京都に飛来していないことは明白です。ですから、ユリカモメを「都鳥」(宮こ鳥)とする『伊勢物語』や『古今和歌集』の説話は不審とせざるを得ません。
 そこでわたしが注目したのが『伊勢物語』(九段)「都鳥」(宮こ鳥)の舞台が「隅田川」であることでした。(つづく)

(注)
①秋山 虔「伊勢物語の世界形成」『竹取物語 伊勢物語』(新日本古典文学大系、岩波書店)
②日本古典文学大系(岩波書店)『万葉集』巻第二十(4462)の頭注による。

フォローする