第2258話 2020/10/11

古典の中の「都鳥」(5)

 『伊勢物語』(九段)の舞台、武蔵国の「隅田川」で当地には飛来しない「都鳥」(宮こ鳥)のことが詠われることから(注①)、わたしは謡曲「隅田川」(注②)を思い出しました。それにも隅田川に「都鳥」(鴎のこと)が登場するからです。能楽(謡曲)の中に九州王朝系のものがあることは古田学派の研究者から指摘されてきました(注③)。九州王朝の都があった北部九州に飛来する渡り鳥が「都鳥」と呼ばれている事実は九州王朝説を支持するもので、その「都鳥」が詠われる謡曲「隅田川」や『伊勢物語』(九段)の説話は、本来は九州王朝の「都」から武蔵国「隅田川」へ、人買いにさらわれたわが子を探すために「物狂い」(旅芸人)となった母親が放浪したという故事に由来するのではないかとわたしは考えました。
 たとえば、正木裕さん(古田史学の会・事務局長)は謡曲「桜川」の淵源となる説話は北部九州で成立したとされ(注④)、謡曲「桜川」に見える地名(日向、桜の馬場、箱崎)が筑前にあることなどを根拠とされました。謡曲「隅田川」には、地名として武蔵国の「隅田川」の他に、母子の出身地「都」「北白河」、その父方の姓「吉田」が見えます。そこで、これらの地名などが都鳥が飛来する九州王朝の「都」に存在したはずと考え、博多湾岸や太宰府周辺の地名を調査しました。その結果、太宰府天満宮の西側に「白川」という地名が見つかりましたが、そこは都鳥が飛来する沿岸部ではないので、有力候補地とはできませんでした。
 もしやと思い、大分県(豊前国)の京都(みやこ)郡を調査したところ、苅田町の南部に「白川」という地名があり、隣接する行橋市北部に「吉田神社」がありました。「吉田神社」の近くには小波瀬川があり、東流し長峡川と合流、そのすぐ先が海です。この地域であれば都鳥が飛来しそうですが、「吉田神社」の由来など現地調査が必要です。
 現時点ではこれ以上の調査はできていませんが、引き続き、北部九州の地名や「都鳥」伝承の調査を続けます。(おわり)

(注)
①『伊勢物語』(九段)に「名にし負はば いざ事問はむ宮こ鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」の歌が記されている。『古今和歌集』(411)にも同様の説話と歌が見える。
②観世元雅(かんぜもとまさ、1394・1401頃~1432)の作。
③新庄智恵子『謡曲の中の九州王朝』新泉社、2004年。
④正木 裕「常陸と筑紫を結ぶ謡曲『桜川』と『木花開耶姫』」『倭国古伝 姫と英雄と神々の古代史』古田史学の会編、2019年、明石書店。
 謡曲「桜川」(世阿弥作)も、筑紫日向(福岡県糸島の日向)で東国の人買いに連れ去られたわが子「桜児」を、母親が「物狂い」(旅芸人)となって常陸国(茨城県桜川市)まで放浪して再会するという内容で、「隅田川」と似た筋書きです。「隅田川」では、息子は一年前に亡くなっていたという悲劇もので、この点が「桜川」とは異なります。

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