第538話 2013/03/14

白雉改元の宮殿(4)

 わたしが前期難波宮九州王朝副都説を発表してから、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)から、ことあるたびに寄せられているご批判があります。「前期難波宮は九州王朝の副都ではなく首都だ」というご批判です。
 天子がいて、白雉改元の儀式を行っているのだから、そこは副都ではなく首都とみなすべき、というのがその主な理由です。正木裕さんも別の理由から首都説に近い立場(ある期間の難波遷都説)をとっておられます。これらのご批判に対して、そうかもしれないが『旧唐書』など中国史書に倭国が遷都したという記事や痕跡が無いので、首都と断定するには躊躇を覚えるとわたしは反論してきたのですが、首都説も有力な仮説であると考えています。
 第536話などで紹介しましたように、白雉改元の儀式に左右の大臣や百官か参加しているのですから、九州王朝倭国の首都機能や行政組織が一同に会してい るとも見なせます。もしそうであれば、白雉改元の儀式のためだけではなく、首都機能そのものが太宰府から移動してきたこととなり、これを遷都と呼んでも間違いではないようにも思います。そして、難波宮・難波京に天子や百官がその後も常駐したのであれば、そこは文字通り首都になるわけです。もちろん、『日本書紀』の記述内容がどの程度信用できるかは記事ごとの個別の検証が必要ですので、これからも慎重に検討を続けたいと思います。(つづく)

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