「広開土王碑」改竄論争の終焉
ときおり、汲古書院から古典研究会編『汲古』が送られてくるのですが、先日いただいた第65号に掲載されていた武田幸男氏「広開土王碑『多胡碑記念館本』の調査報告」を拝読しました。
同論稿は広開土王碑(高句麗の好太王碑)の各種拓本間の差異から、石灰塗布により拓本の字形がどのように変遷や誤りが発生したのかについて論究されたもので、同碑の実体を知る上でも大変興味深いものでした。しかし、わたしが感慨深く思ったのは、石灰塗布を紹介されながら、それを根拠とした同碑「改竄説」 について全く触れられていないことでした。
同碑拓本に記された「倭」の字を日本陸軍の酒勾大尉による改竄とする李進煕氏の「改竄説」が1972年の発表以来、学界を席巻したのですが、そのことについて武田氏の論稿では全く触れられていないことに、とうとう好太王碑改竄説や改竄論争は終焉したのだなと、改めて思いました。詳しくは古田先生の『失わ れた九州王朝』を読んでいただきたいのですが、李さんの改竄説に真っ向から反対したのが古田先生だったのです。今ではとても考えられないのですが、古田先 生は東京大学の史学会の要請により、改竄説が学問的に成立しないことを講演されのです。この古田先生の研究により、改竄論争は終止符を打たれ、「改竄」は なかったとする古田説は一元史観の学界においても高く評価されているのです。
たとえば、昭和薬科大学諏訪校舎で開催された「邪馬台国」徹底論争のシンポジウムにおいて、田中卓さんから次のような発言がありましたのでご紹介します。
「それからこの機会に、私の感心したことをご披露しておきます。それはもうだいぶ前の東大の史学会で古田さんが発表された時のことです。内容は高句麗好太王の碑についてでした。
その当時、朝鮮の学者が、あれは偽物だ、日本側の塗布作戦で文字を塗り変えてしまったんだということを盛んに宣伝していたんです。その当時、私はまだその実物も見てないし、それに反論するだけの力がなかったんでだまっていましたが、その頃の学会においては、朝鮮の学者の気色ばんだと言いますか、反対でもしたらいっぺんに噛みつかれるような、そういう空気だったんです。そこでみんな、朝鮮の学者が変なことを言うなと思ってもだまってた、それが一般の空気だった。その時に古田さんが、東大の史学会の席上で、あれが偽物だというのはまちがっていると言って、それこそ大音声で批判され、それは非常な迫力でし た。それがあってから後、朝鮮の学者もあんまり悪口を言わなくなった。これは、私は古田さんの功績として高く評価しております。そのことをご紹介して終わ ります。」
この田中卓氏の発言は『「邪馬台国」徹底論争』第2巻(東方史学会/古田武彦編。新泉社、1992年)241頁「好太王碑論争と古田氏」に収録されています。
やがては邪馬壹国説や九州王朝説も同様に高く評価される日が来ることをわたしは疑うことができません。その日が一日でも早く来るよう、わたしたち「古田史学の会」の使命は重要です。