服部さんの多元的「関」「畿内」研究
本日の関西例会では服部静尚さん(古田史学の会・『古代に真実を求めて』編集責任者)から九州王朝による「関」と「畿内」の設立についての新説が発表されました。いずれも画期的な仮説で、このところ服部さんは絶好調です。
『日本書紀』天武8年(679)条に見える竜田山と大坂山の関が飛鳥ではなく難波京を防衛する位置(大和からの侵入を防ぐ位置)にあり、難波京を九州王朝副都とする説に対応しているとのこと。
更に、『日本書紀』大化2年(646)正月条の改新詔に見える畿内の四至(東西南北の先端地)の中心は藤原宮ではなく難波宮であることから、前期難波宮は九州王朝の第2都であり、そこを中心に畿内の範囲が、九州王朝の天子(利歌彌多弗利)により646年(命長7年)に提示された詔勅とする説を発表されま した。もし696年の詔勅であれば、近江京が畿外になってしまうが、この詔勅が近江大津宮造営前の646年に出されたのであれば、この問題がクリアできるとされました。
大化2年の改新詔は九州年号の大化2年(696)に藤原宮で出された「建郡の詔勅」とするわたしの説を否定する説ですが、有力な仮説と思われました。この服部説に対して賛否両論が出されましたが、時間切れとなり、これからも論争が続くと思います。
正木さん(古田史学の会・全国世話人)は6世紀を対象として『日本書紀』を精査され、欽明23年(562)に新羅から滅ぼされた任那が、推古8年(600)に新羅と交戦する記事があることなどに着目されました。その結果、干支が一巡する60年前の記事が推古紀に挿入されているとされました。同時に、こうした朝鮮半島での倭国の交戦記事などは九州王朝の事績を『日本書紀』編者が盗用したとする仮説を発表されました。なかなか説得力のある仮説でし た。
11月例会の発表は次の通りでした。遠くは関東のさいたま市から参加された方もあり、有り難くもあり、そうした熱心な参加者に満足していただけるような例会であらねばならないと、決意を新たにしました。東京でも例会を開催してほしいというご意見も多数いただいており、使命の重さを受け止めています。
〔11月度関西例会の内容〕
1). 関から見た九州王朝(八尾市・服部静尚)
2). 畿内を定めたのは九州王朝か — すべてが繋がった(八尾市・服部静尚)
3). 「青竜三年」鏡(京都市・岡下英男)
4). ニギハヤヒを追う(東大阪市・萩野秀公)
5). 盗用された任那救援の戦い — 敏達・崇峻・推古紀の真実(川西市・正木裕)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況(『百問百答+α』校正中、続著『真実の誕生 宗教と国家論』(仮題)、11/08八王子大学セミナーの報告、松本深志校友会誌への投稿書き上げ、『古代に真実を求めて』18集用「家永氏との聖徳太子論争をふりかえる」古田先生インタビュー12.09、新年賀詞交換会 2015.1.10、ギリシア旅行 2015.4.1~4.8)・『古代に真実を求めて』18集特集の原稿執筆「聖徳太子架空説の系譜」執筆・古田先生依頼図書(『隋書』『時と永遠』)購入・京都市船岡山の建勲神社訪問・ニッペOB会・その他