日本国は倭国の別種
東野治之さんの近著『史料学探訪』を拝読しています。東野さんは直木孝次郎さんのお弟子さんで、文献史学、なかでも古代文字史料研究者の第一人者といってもよい優れた研究者です。今年の2月に岩波書店から発刊された同書も、古代史料に対する博識と鋭い考察による小論が満載で、とても勉強になります。古田学派の研究者の皆さんにもご一読をお勧めします。
同書の中で最も関心を持って読んだのが、冒頭の「日本国号の研究動向と課題」という論稿で、『旧唐書』の倭国伝・日本国伝に記された「日本国は倭国の別種」は「日本国は倭国の別稱」を誤写・誤伝されたものとする太田晶次郎さんの説を支持されています。
この『旧唐書』の記事は九州王朝説の根拠の一つであり、近畿天皇家一元史観論者にとっては最も「不都合な真実」なのです。従って、何とかこの『旧唐書』の記事を否定したいという「動機」はわからないわけではありません。それにしても「別稱」から「別種」へ誤写・誤伝されたという理解(原文改訂)は、『三国志』倭人伝の邪馬壹国から「邪馬臺国(邪馬台国)」への原文改訂を彷彿とさせる所為です。近畿天皇家一元史観に都合の悪い史料は平気で「原文改訂」するという、日本古代史学界の宿痾を見る思いです。
実は『旧唐書』での「不都合な真実」は「日本国は倭国の別種」記事だけではありません。たとえば倭国と日本国の地勢記事についても次のように明確に別国であると書き分けています。
(倭国伝)「山島に居す」「四面に小島が五十余国」
(日本国伝)「其の国界は東西南北各数千里。西界と南界は大海に至る。東界と北界は大山があり限りとなす。山の外は即ち毛人の国なり。」
このように、倭国は島国であり九州島を示し、日本国は近畿地方を示しています。更に両国の人名も異なっています。
(倭国伝)「其の王、姓は阿毎」
(日本国伝)「其の大臣朝臣真人」「朝臣仲満」「留学生橘逸勢」「学問僧空海」「高階真人」
倭国王の姓を阿毎(あめ)と記しており、『隋書』に見える天子、阿毎多利思北孤と一致しますが、近畿天皇家に阿毎というような姓はありません。他方、日本国伝には仲満(阿部仲麻呂)や空海のように著名な人物名が見え、近畿天皇家側の人物であることが明白です。
そもそも倭国伝冒頭に「倭国は古の倭奴国なり」とあり、この「倭奴国」は「志賀島の金印」をもらった博多湾岸の「委奴国」のこととしています。すなわち、倭国は近畿の王権ではなく、北部九州の王朝であることを『旧唐書』は冒頭から主張しているのです。
こうした『旧唐書』の史料事実(一元史観に不都合な真実)を東野さんは今回の論稿では一切触れておられません。東野さんほどの優れた研究者でも一元史観の宿痾から逃れられないのです。残念と言うほかありません。