第2462話 2021/05/15

「倭の五王」時代(5世紀)の考古学(4)

 ―九州最大の西都原古墳群(日向国)―

 消費財である土器(須恵器)を都市へ供給する須恵器窯跡群の分布という視点から、「倭の五王」の王都候補地として筑後川両岸の地(朝倉郡・夜須郡・浮羽郡・三井郡・三潴郡)を挙げました。次に王墓(大型古墳群)の分布という視点から、王都候補地を検討してみます。「倭の五王」の陵墓ですから、少なくとも他地域よりも大型の古墳が五基以上存在する地域が候補地となります。
 吉村靖徳さんの『九州の古墳』(注①)によれば、北部九州においてこの条件をクリアできるのは筑後の八女古墳群とその西側に続く三潴の古墳群です。八女古墳群には九州王朝(倭国)の王、筑紫君磐井の岩戸山古墳(墳丘長138m)があり、その祖先の墓と推定されている石人山古墳(墳丘長110m、5世紀中頃の前方後円墳)があります。三潴には御塚古墳(墳丘長78m、5世紀後半のホタテ貝式古墳)と権現塚古墳(墳径51m、6世紀前半の円墳)があり、今は消滅していますが銚子塚古墳(墳丘長80m、前方後円墳)がありました。
 このように北部九州では5世紀の大型古墳は筑後地方に分布していますが、九州全体を見たとき、様相は一変します。宮崎県(日向)南部に規模・数量とも筑後地方を圧倒する巨大古墳群があるのです。それは西都原古墳群(注②)です。時代も5世紀が中心です。お隣の鹿児島県東側(大隅)にも5世紀の唐仁古墳群(注③)があります。その代表的な古墳を紹介します。

《宮崎県(日向)》
女狭穂塚(176m、5世紀前半の前方後円墳) ※九州で最大の古墳。
男狭穂塚(155m、5世紀前半の帆立貝式前方後円墳) ※九州で2番目の規模の古墳。
児屋根塚(110m、5世紀前半の前方後円墳)

《鹿児島県(大隅)》
唐仁大塚(墳丘長154m、5世紀初頭頃の前方後円墳) ※九州で3番目の規模の古墳。
横瀬古墳(墳丘長134m、5世紀初頭頃の前方後円墳)

 5世紀における九州王朝の王都の場所を考える上で、倭国王にふさわしい大型古墳の分布という視点から判断すると、王都の最有力候補地は南九州の西都市地域となってしまいます。もちろん、その探索範囲を日本全体にまで拡大すると、河内の古墳群へと落ち着きます(注④)。(つづく)

(注)
①吉村靖徳『九州の古墳』海鳥社、2015年。全ページカラー写真付きの好著。
②宮崎県西都市にある、3世紀末から6世紀代にわたって造営された300基を越す古墳群。前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基、地下式横穴墓、横穴墓からなる。国内最大級の古墳群として知られ、5世紀前半代には九州最大規模の前方後円墳・女狭穂塚を擁する。
③鹿児島県肝属郡東串良町にある。前方後円墳4基と130基を越す円墳からなる鹿児島県内最大の古墳群。唐仁大塚(墳丘長154m、5世紀初頭頃)は西都原古墳群の女狭穂塚・男狭穂塚に次ぐ九州内3番目の規模。
④この視点を重視した結果、河内の巨大前方後円墳群を九州王朝の王墓とする論者(吉田舜『九州王朝一元論』葦書房刊、1993年)もある。古賀達也「洛中洛外日記」1498話(2017/09/09)〝大型前方後円墳と多元史観の論理(4)〟を参照されたい。

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