第2615話 2021/11/18

「倭の五王」通説2論を拝聴

 先日開催された八王子セミナー2021のテーマ「倭の五王」について、通説に基づくお二人の講演・講義を拝聴しました。一人は、同セミナーで特別講演(注①)された河内春人さん(関東学院大学准教授)。もう一人は、三重大学のリモート公開講座(注②)で講義された小澤毅さん(三重大学教授)です。小澤さんの著書『古代宮都と関連遺跡の研究』(注③)については「洛中洛外日記」などで紹介したことがあり(注④)、以前から注目してきた研究者です。
 両氏は通説に基づいておられ、『宋書』に見える「倭の五王」を「大和朝廷」の天皇とする点は共通しており、古田先生が批判された論点を超えたものとは思われませんが、『宋書』と『日本書紀』との齟齬について、新たな解釈を試みられています。他方、河内や大和の巨大前方後円墳と『日本書紀』の天皇を自説のエビデンスとしており、この点は従来説と変わりありません。
 このような通説に対して、古田先生は『宋書』の史料批判により「倭の五王」と『日本書紀』の天皇は一致しないことを既に論証されています。古田学派に残された最大の課題は、次の考古学的事実の九州王朝説による合理的な説明です。

(1)なぜ前方後円墳の巨大化は四世紀の大和で始まったのか。
(2)なぜ大和や河内に日本列島最大の巨大古墳群が誕生したのか。
(3)なぜ九州島内最大の前方後円墳群が五世紀の日向・大隅で誕生したのか。

 これらは「九州王朝説に刺さった三本の矢」(注⑤)の《一の矢》として問題視してきたテーマとその関連事象です。通説よりも説得力のある論証を作り上げたいと、わたしは何年も考え続けています。

(注)
①河内春人「五世紀の倭王権とその実態」、古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代― 特別講演。公益財団法人大学セミナーハウス主催、2021年11月13日。
②小澤毅「倭の五王とは誰か」、三重大学人文学部公開講座。2021年11月17日。同公開講座の開講を竹内順弘氏(古田史学の会・事務局次長)よりお知らせ頂いた。
③小澤毅『古代宮都と関連遺跡の研究』吉川弘文館、2018年。小澤氏は「邪馬台国」北部九州説論者である。
④古賀達也「洛中洛外日記」1963話(2019/08/14)〝〔書評〕小澤毅著『古代宮都と関連遺跡の研究』一元史観からの「最大古墳は天皇陵」説批判〟
 古賀達也「〔書評〕小澤毅著『古代宮都と関連遺跡の研究』 天皇陵は同時代最大の古墳だったか」『古田史学会報』156号、2020年2月。
⑤古賀達也「九州王朝説に刺さった三本の矢」『古田史学会報』135、136、137号、2016年8、10、12月。
 古賀達也「洛中洛外日記」1221~1254話(2016/07/03~08/14)〝九州王朝説に刺さった三本の矢(1)~(15)〟において、古田学派が説明しなければならないテーマとして、次の3点を指摘した。
【九州王朝説に突き刺さった三本の矢】
《一の矢》日本列島内で巨大古墳の最密集地は北部九州ではなく近畿(河内・大和)。
《二の矢》六世紀末から七世紀にかけての列島内での寺院(現存・遺跡)の最密集地は北部九州ではなく近畿。
《三の矢》全国に評制施行した九州王朝最盛期の七世紀中頃において、国内最大の宮殿・官衙群遺構は北部九州(大宰府政庁)ではなく大阪市の前期難波宮(面積は大宰府政庁の約十倍。東京ドームが一個半入る)であり、国内初の朝堂院様式の宮殿でもある。

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