第3116話 2023/09/17

「筑前國字小名取調帳」須玖村の字「盤石」

 「洛中洛外日記」3114話(2023/09/15)〝『筑前国続風土記拾遺』で探る卑弥呼の墓〟で、卑弥呼の墓の有力候補として須玖岡本遺跡(福岡県春日市須玖岡本山)の山上にある熊野神社の地とする古田説を紹介しました。そしてその徴証として『筑前国続風土記拾遺』(注①)の須玖村「熊野権現社」の記事を指摘しました。

「熊野権現社
岡本に在。枝郷岡本 野添 新村等の産土也。
○村の東岡本の近所にバンシヤクテンといふ所より、天明の比百姓幸作と云者畑を穿て銅矛壱本掘出せり。長二尺余、其形は早良郷小戸、また當郡住吉社の蔵にある物と同物なり。又其側皇后峰といふ山にて寛政のころ百姓和作といふもの矛を鋳る型の石を掘出せり。先年當郡井尻村の大塚といふ所より出たる物と同しきなり。矛ハ熊野村に蔵置しか近年盗人取りて失たり。此皇后峯ハ神后の御古跡のよし村老いひ傅ふれとも詳なることを知るものなし。いかなるをりにかかゝる物のこゝに埋りありしか。」『筑前国続風土記拾遺』上巻、320~321頁。

 ここに見える「皇后峯」が熊野神社が鎮座する「須玖岡本山」のことと思われるのですが、その場所は「バンシヤクテン」の「又其側皇后峰といふ山」とありますので、「バンシヤクテン」という地名を探すことにしました。なお、「バンシヤクテン」の意味はよくわかりません。漢字表記ではなく、カタカナで表記されていることから、『筑前国続風土記拾遺』編纂時点で既に意味不明となっていたのかもしれません。

 幸い、古田先生の著書(注②)に「福岡県須玖・岡本遺跡を中心として弥生期から古墳期までの遺跡分布図」(注③)が掲載されており、その地図によれば熊野神社の東側に「バンシャク」という地名が見え、これが「バンシヤクテン」のことか、それと関係した地名と思われます。その位置であれば「又其側皇后峰といふ山」という記述に対応でき、熊野神社がある「須玖岡本山」の山頂部が、その側にある「皇后峰」に相当します。

 更に明治政府が作成した「筑前国字小名聞取帳」(注④)によれば、「筑前國那珂郡須玖村」に字「岡本山」「盤石(バンジャク)」が並んでおり、この「盤石(バンジャク)」が「バンシヤクテン」のことで、須玖岡本山に隣接していることが推定できます。
以上の調査結果から、『筑前国続風土記拾遺』に記された「皇后峰」が熊野神社の地「須玖岡本山」の山頂を指していることがわかりました。そうであれば、「皇后峯ハ神后の御古跡」という村の古老の伝えは、此の地が神功皇后とされる女王がいたという伝承であり、卑弥呼の伝承が『日本書紀』成立以後に神功皇后に置き換えられたと考えるべきです。

 以上のように、〝熊野神社社殿下に卑弥呼の墓がある〟とした古田先生の推察は、考古学・文献史学・現存地名・現地伝承を根拠として成立しており、やはり最有力説と思われるのです。

(注)
①広渡正利校訂・青柳種信著『筑前国続風土記拾遺 上巻』文献出版、平成五年(1993年)。
②古田武彦「邪馬壹国の原点」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。
③福岡県教育委員会・調査資料、1963年。
④『明治前期 全国村名小字調査書』第4巻 九州、ゆまに書房、1986年。

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