柿本人麻呂系図の紹介 (5)
『柿本家系図』と『東大寺上院修中過去帳』の「柿本男玉」と『続日本紀』叙位記事(注①)の「柿本小玉」とでは用字が異なるので、『続日本紀』以外の別系統史料を探索したところ、『朝野群載』「聖武天皇東大寺大佛殿勅願板文」(注②)の末尾に次の「柿本男玉」記事がありました。
「東大寺大佛殿前板文
勅曰。朕以薄徳。(中略)
大佛師従四位下國公麻呂 。大鑄師従五位下高市大國。従五位下高市眞麻呂。従五位下柿本男玉。大工従五位下猪名部百世。従五位下益田縄手。」国史大系29上『朝野群載』390~391頁
ここには「従五位下柿本男玉」とあり、『続日本紀』の「外従五位下小玉」とは位階や名前の用字が異なります。『柿本家系図』と『東大寺上院修中過去帳』の「柿本男玉」とは、名前の用字が同じです。
この「聖武天皇東大寺大佛殿勅願板文」の冒頭部分は聖武天皇の詔勅であり、『続日本紀』天平十五年(743)十月条の大仏発願詔とほぼ同文です。その後の部分は太政官からの布告などで構成されています。こうした史料状況から判断すると、末尾の「柿本男玉」らの記事は東大寺に伝わった史料(『東大寺上院修中過去帳』など)に基づいている可能性が高いと思われます。このことから、『続日本紀』に見える「小玉」は朝廷側の史料に、「男玉」は東大寺側史料に基づいた用字と考えてよいようです。(つづく)
(注)
①『続日本紀』天平勝宝元年(749)十二月条、天平勝宝二年(750)十二月条。
②『朝野群載』三善為康編、永久四年(1116)成立。