第3216話 2024/02/04

「東西・南北」正方位遺構の年代観 (2)

 古代遺構で「東西・南北」正方位を持つもので、一元史観の通説も含めて造営年代が早いものに、前期難波宮と同条坊遺構があります。九州年号の白雉元年(652)に創建された前期難波宮は、南北正方位で朝堂院様式を持ち、当時、列島内最大規模の宮殿です。その南門から真南に延びる朱雀大路も南北正方位で、同じく真南に伸びる「難波大道」に繋がっています。ところが前期難波宮に先立ち、倭京二年(619)に創建(注①)された難波天王寺(現・四天王寺)は南北軸が4度西偏しており、正方位ではありません(注②)。

 わたしは難波天王寺も前期難波宮も九州王朝(倭国)による造営と考えていますから、九州王朝は当地において「東西・南北」正方位の建築を採用したのは、白雉元年(652)頃からと考えることができます。そうすると、太宰府政庁Ⅰ期と同条坊都市が「東西・南北」正方位で造営開始されたのは、七世紀前半とする理解が可能となります。もちろん、九州王朝の中枢領域では更に早く「東西・南北」正方位での造営を開始した可能性もありますが、今のところそれを裏付ける確実なエビデンスを知りません。(つづく)

(注)
①『二中歴』年代歴に「倭京 二年難波天王寺聖徳造」とある。創建瓦の編年により、大阪歴博では620年頃の創建とする。
②古賀達也「九州王朝の都市計画 ―前期難波宮と難波大道―」『古田史学会報』146号、2018年。
同「洛中洛外日記」1774話(2018/10/19)〝創建四天王寺の4度西偏〟

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