第3444話 2025/03/07

唐詩に見える王朝交代の列島 (5)

 ―王維の詩の「九州」は九州島か―

 中小路駿逸先生は、唐詩に表れる「扶桑」「扶桑の東」「扶桑の東の更に東」に着目したのですが、古田先生は王維の詩に見える「九州」に注目し、それを九州王朝の故地である「九州島」、あるいは「九州王朝」そのものを意味するとされました(注①)。前話で紹介した❷《秘書晁監の日本國に還るを送る》の詩です。

❷《秘書晁監の日本國に還るを送る》王維(699?~759?年)
積水不可極 安知滄海東
九州何處所 萬里若乘空 →「所」を「遠」「去」とする版本がある。
向國唯看日 歸帆但信風
鼇身映天黑 魚眼射波紅
郷樹扶桑外 主人孤島中 →郷樹扶桑は外(古田説による)
別離方異域 音信若為通
(巻一二七)

 これは、唐の官僚(秘書)として勤めていた阿倍仲麻呂が帰国する際の送別の式で王維が作ったとされる詩です。古田先生はこの詩の「九州何處所」を〝九州は何処(いずれ)の所ぞ〟と読み、この九州を九州島のこととされました。すなわち、仲麻呂は九州王朝の故地で唐詩で扶桑とよばれる九州島に帰ると理解したのです。すなわち、仲麻呂九州出身説です。それに対応するように、「郷樹扶桑外」も通説の〝郷樹扶桑の外〟ではなく、〝郷樹扶桑は外〟と読み、仲麻呂の故郷にある樹、扶桑(九州島を意味する)は中国から遠く離れた「外」にあると解釈しました。扶桑=外(遠地)とする理解です。

 この古田先生の解釈に対して、中小路先生はそのような読みは成立しないと批判されました(注②)。(つづく)

(注)
①古田武彦「日中関係史の新史料批判 ―王維と李白―」『古田武彦講演集98』古田史学の会編、1991年。
古田武彦・福永晋三・古賀達也「九州の探求」『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』2000年、明石書店。
②中小路駿逸「王維が阿倍仲麻呂に贈った詩にあらわれる「九州」、「扶桑」および「孤島」の意味について」『中小路駿逸遺稿集 九州王権と大和王権』海鳥社、2017年。

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