「御舟入」の淵源
三笠宮殿下が薨去され、「昭和」や「戦後」が歴史となりつつあり、感慨深いものがあります。ご葬儀に関する報道で「御舟入(おふないり)」という言葉が用いられ、「納棺」のことと説明されていました。皇室では納棺のことを「御舟入」と称されていることに、この言葉は古代にまで遡るものではないかと思いました。
『隋書』「イ妥国伝」によれば古代日本の葬儀の風習として、ご遺体を船に乗せて運ぶという次のような記述があります。
「死者は棺槨に納める、親しい来客は屍の側で歌舞し、妻子兄弟は白布で服を作る。貴人の場合、三年間は外で殯(かりもがり=埋葬前に棺桶に安置する)し、庶人は日を占って埋葬する。葬儀に及ぶと、屍を船上に置き、陸地にこれを牽引する、あるいは小さな御輿を以て行なう。」『隋書』「イ妥国伝」
この葬儀の記事に続いて有名な阿蘇山の記事が見えます。
「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。」
九州王朝や北部九州におけるご遺体を舟に乗せるという風習を淵源とするのが、皇室における「御舟入」という言葉ではないでしょうか。「舟形石棺」や肥後北部に分布する石穴墓に見られるご遺体を安置する部分にある舟のような文様の彫り込みも、この風習に淵源するように思われます。
「御舟入」という皇室用語に、九州王朝(倭国)と皇室(大和朝廷の末裔)の関係を感じるのですが、いかがでしょうか。