『古田史学会報』139号のご案内
『古田史学会報』139号が発行されましたので、ご紹介します。本号には刮目すべき論文二編が収録されています。西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)の「倭国(九州)年号建元を考える」と山田春廣さんの「『東山道十五国』の比定 -西村論文『五畿七道の謎』の例証-」です。
西村さんの論稿は、『二中歴』年代歴のみに見える最初の九州年号「継躰」を、「善記」年号が建元された時、遡って「追号」されたものとする新仮説です。西村さんからこのアイデアを初めて聞いたとき、わたしは「変なことを言ってるなあ。西村さんらしくもない」と思い、年号の「追号」など聞いたこともないと反論し、論争となりました。しかし、そう考えざるを得ない『二中歴』「善記」細注記事の矛盾や、中国での「追号」例があることなどの説明を聞くうちに、これはすごい仮説かもしれないと思うようになったのです。引き続き、論争や検証が必要ですが、なぜ「継躰」年号が『二中歴』にしか現れず、他の九州年号史料が「善記」を年号の初めとする理由などが、西村説により説明可能となるのです。
山田稿は『日本書紀』景行紀に見える「東山道十五国都督」という記事について、大和朝廷にとっての東山道諸国は8国であり、この記事とは対応していないが、九州王朝の東山道(豊前・山陽道・東山道など)であれば、ちょうど15国になることを明らかにされました。従って景行紀の当該記事は九州王朝史料に基づくもので、記事中に見える「都督」も九州王朝の都督であるとされました。
わたしも、景行紀の「都督」を以前から不思議な記事だと思っていたのですが、わけがわからないまま放置してきました。それを今回山田さんが九州王朝の古代官道「東山道」として、見事な解説で解き明かされたのです。山田稿を受けて、西村さんは「編集後記」で、九州王朝の「東海道」を「豊後・南海道・東海道など」とする見解を示されました。これらの論稿を読み、九州王朝説に基づく多元的古代官道研究の幕開けを予感しました。
このように『古田史学会報』139号は九州王朝研究にとって画期をなすものとなりました。掲載された論稿・記事は次の通りです。
『古田史学会報』139号の内容
○倭国(九州)年号建元を考える 高松市 西村秀己
○6月18日(日)井上信正氏講演会・「古田史学の会」会員総会のお知らせ
○太宰府編年への田村圓澄さんの慧眼 京都市 古賀達也
○「東山道十五国」の比定 -西村論文「五畿七道の謎」の例証- 鴨川市 山田春廣
○「多利思北孤」について 京都市 岡下秀男
○書評 倭人とはなにか -漢字から読み解く日本人の源流- 木津市 竹村順弘
○金印と志賀海神社の占い 京都市 古賀達也
○ご紹介 『大知識人坂口安吾』大北恭宏(『飛行船』二〇一六年冬。第二〇号より抜粋) 事務局長 正木 裕
○文字伝来 八尾市 服部静尚
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」セッション
○「壹」から始める古田史学Ⅹ 倭国通史私案⑤
九州王朝の九州平定-糸島から肥前平定譚
古田史学の会・事務局長 正木裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○二〇一七年度 会費納入のお願い
○編集後記 西村秀己