第2411話 2021/03/17

王朝と官道名称の交替(1)

 4月24日(土)に奈良新聞社本社で〝卑弥呼と邪馬壹国『「邪馬台国」はなかった』出版50周年記念講演会〟が「古代大和史研究会(原幸子代表)」主催で開催されます(注①)。わたしも「九州王朝官道の終着点 ―筑紫の都(7世紀)から奈良の都(8世紀)へ―」というテーマで講演させていただくことになりました。そのこともあって、九州王朝官道について残されている問題について、この数日間、考え続けてきました。それは、後に大和朝廷から「五畿七道」と称される九州王朝古代官道の名称変更がいつなされたのかという問題です。
 西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)と山田春廣さん(古田史学の会・会員、鴨川市)の研究(注②)によれば、九州王朝官道が大和朝廷の「七道」へ再編されるにあたり、おおよそ次のような変更がなされています(注③)。

【九州王朝】→【大和朝廷】
 「東山道」 → 「山陽道」「東山道」
 「東海道」 → 「南海道」「東海道」
 「北陸道」 → 「山陰道」「北陸道」
 「北海道」 → なし
 「南海道」 → なし
 「西海道」 → なし
 (九州島) → 「西海道」

 この変更は、各官道の起点となる「都」が、九州王朝から大和朝廷への王朝交替により、太宰府から大和へ移動したため、それにあわせて官道や名称が付け替えられたことによります。
 ところが、その官道名の変更がいつ頃行われたのかが、はっきりしませんでした。今までは、王朝交替した701年頃か、前期難波宮を複都とした650年頃ではないかと、漠然ととらえていました。しかし、近年進めてきた飛鳥・藤原木簡の研究により、七世紀後半から末頃にかけての天武の時代ではないかと考えるようになりました。(つづく)

(注)
①「古代大和史研究会」特別講演会の詳細は次の通り。
◇日時 2021/04/24(土) 13:00~17:00
◇会場 奈良新聞本社西館3階
◇参加費 500円
◇テーマ 卑弥呼と邪馬壹国『「邪馬台国」はなかった』出版50周年記念講演会
◇講師・演題(予定)
 古賀達也(古田史学の会・代表) 九州王朝官道の終着点 ―筑紫の都(7世紀)から奈良の都(8世紀)へ―
 大原重雄(『古代に真実を求めて』編集部) メガーズ説と縄文土器
 満田正賢(古田史学の会・会員) 欽明紀の真実
 服部静尚(『古代に真実を求めて』編集長) 日本書紀の述作者は中国人ではなかった
 正木 裕(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師) 多賀城碑の解釈~蝦夷は間宮海峡を知っていた
②西村秀己「五畿七道の謎」『発見された倭京 ―太宰府都城と官道―』古田史学の会編、明石書店、2018年。初出『古田史学会報』131号、2015年12月。
 山田春廣「『東山道十五國』の比定 ―西村論文『五畿七道の謎』の例証―」『発見された倭京 ―太宰府都城と官道―』古田史学の会編、明石書店、2018年。初出『古田史学会報』139号、2017年4月。
③九州王朝官道の「北海道」「南海道」「西海道」については、『卑弥呼と邪馬壹国』(『古代に真実を求めて』24集、古田史学の会編、明石書店、2021年)掲載の拙稿「九州王朝官道の終着点 ―山道と海道の論理」を参照されたい。

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