第2452話 2021/05/08

水城の科学的年代測定(14C)情報(2)

 水城の第35次発掘調査(2001年)で発見された敷粗朶層のサンプルの炭素同位体比(14C)年代測定の中央値は、660年(最上層)、430年(坪堀1中層第2層)、240年(坪堀2第2層)でした。最上層と坪堀とでは約200~400年の差があることから、「調査報告書」(注①)には、「各一点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」とありました。その追加測定が既に実施されており、報告書(注②)も出されていたことを知りましたので紹介します。
 水城には東西二つの門があり、その西門付近北東側が平成十九年(2007年)の第40次調査で発掘されました。そこから敷粗朶の木片と炭化物が採取され、14C年代測定が行われました。それらの暦年較正年代(1σ)は、共に675~769ADの範囲に含まれることがわかりました。そして、報告書には次のように説明されています。

 「記録では水城の建設は664ADとされているので、堤体基底部の敷粗朶の年代値がこれより21年以上新しい理由として、1)年代値は30年程度の誤差を持っている、2)664AD以降も建設が行われた、3)678ADの筑紫地震で水城堤体が部分的に崩壊しその跡を修復した、の3つが考えられる。この年代値の暦年較正年代グラフは時間軸に対する傾きがゆるく変動幅が大きく出やすいことから、1)の可能性が強いと考えられる。」『水城跡 ―下巻―』(注③)

 このように考察され、『日本書紀』天智三年是歳条(664年)の水城築城記事と矛盾しないと判断されています。すなわち、前回紹介した第35次調査での敷粗朶最上層の測定中央値660年と同様の年代観が示されたわけです。
 次に、第38次調査(2004年)に出土した木杭の外皮と、比較検討のため第35次調査(2001年)で出土した植物遺体(粗朶1点、葉2点)3点が測定されています。第38次調査は西土塁丘陵付近の調査で、丘陵取り付き部に版築状積土が確認されました。その積土層の下層から1条の杭列が出土し、そこから採取した木杭の外皮ですから、ほぼ伐採年を測定できる理想的なサンプルです。それら4サンプルの暦年較正年代(1σ)は、木杭(38次調査、外皮)がcalAD777~871年、粗朶(35次調査)がcalAD540~600年、葉calAD653~760年、葉calAD658~765年と報告されています(注④)。
 木杭(38次調査、外皮)の測定値が8世紀後半~9世紀後半を示していることから、水城西端部修築時の木杭と思われます。『続日本紀』天平神護元年(765年)三月条に「修理水城専知官」任命記事が見えますから、水城修理の痕跡ではないでしょうか。
 比較用に測定された第35次調査の粗朶は、天智三年(664年)の水城築城記事よりも100年ほど古い値ですので、使用された敷粗朶に古いものもあったことをうかがわせます。葉2点の測定値は7世紀後半築造を示すものです。
 以上のように、今回紹介した炭素同位体比(14C)年代測定結果は、水城の築造(完成)時期を7世紀後半、おそらくは天智三年(664年)の築城とする説を支持するものと思われます。

(注)
①『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年。
②『水城跡 ―下巻―』九州歴史資料館、2009年。
③同②、259頁。
④同②、328~329頁。

※1σ(シグマ)とは、ばらつきの幅に関する数学的定義で、ある測定値のばらつきが正規分布する場合、その約68%が収まる区間を1σとする。すなわち、1σ区間に収まる確率が約68%であることを意味する。

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