第2537話 2021/08/14

太宰府出土、須恵器と土師器の話(2)

 牛頸(うしくび)窯跡群から太宰府条坊都市に供給された食器(土器)は須恵器と土師器です。土師器は淡いオレンジ色がかった土器で、主に煮炊き用に使用されたと考えられています。須恵器は青みがかった灰色の土器で、こちらは食事用の容器、今でいえばお茶碗として使用されていたようです。須恵器の方が高温の還元炎で焼成するため、堅くて丈夫です。五世紀初頭頃に朝鮮半島から九州王朝(倭国)に伝わったようで、わが国最古の須恵器窯跡遺跡は福岡県筑前町(小隈・山隈・八並窯跡群等)から発見されています(注)。
 この須恵器は、なぜか七世紀になると様相が急に進化し始めるので、土器編年に使用されています。大きな変化の目安として、古墳時代から続く丸底で丸い蓋を持つ「杯(つき)H」から始まり、蓋につまみが付く「杯G」、更に底に足が付く「杯B」と変化し、その様相の違いを利用して相対編年が可能となります。実際には細部の形式変化や大きさ(法量)の変化も利用して、より詳しく分類・編年されています。それについては専門的になりますので、ここでは説明を省きます。
 これら須恵器杯の中で、わたしが最も注目しているのが杯Bです。その様式変化の理由と背景、その発生時期が九州王朝史と密接な関係があると考えています。なぜなら、その様式変化には必ず理由(歴史的必要性)があったはずだからです。(つづく)

(注)古賀達也「洛中洛外日記」1488~1494話(2017/08/26~09/03)〝須恵器窯跡群の多元史観(1)~(5)〟
 古賀達也「須恵器窯跡群の多元史観 ―大和朝廷一元史観への挑戦―」『古田史学会報』144号、2018年2月。

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