2021年09月10日一覧

第2562話 2021/09/10

宮崎県の「あま」姓と「米良」姓の淵源

 宮崎県の西都市や宮崎市に「あま」姓(阿万、阿萬)が濃密分布しており、九州王朝(倭国)王族の姓「天(あま)」の子孫とする仮説を「洛中洛外日記」などで発表してきました(注①)。また、「米良」姓についても宮崎県に最濃密分布していることを紹介したことがあります(注②)。この宮崎県の米良氏が熊本県の菊池氏の後裔で、「天」姓を名のっていたことが記録に遺っています。『山岳宗教史研究叢書16 修験道の伝承文化』に収録されている、日向米良修験道を紹介した次の文です。

 「さてその米良氏は、現在すでに各地に分家してしまったが、その出自については、菊池氏の後裔という説がある。これは近世、近代に書かれた系図、系譜、由緒書に基づいており、また天(あめ)氏を名乗った形跡も見られる。(中略)また、東臼杵郡東郷町附近に定着した米良氏は、天氏を名乗っており、天文十八年には羽坂神社に梵鐘を奉納している。」603~604頁、「米良修験と熊野信仰」(注③)

 肥後の菊池氏と日向の米良氏が関係しているとのことですが、肥後には「蜑(あま)の長者」伝説(注④)があり、『隋書』俀国伝にも天子・阿毎(あま)多利思北孤の名前や噴火する阿蘇山の描写があり、九州王朝と関係が深い地域です。これらから推定すると、九州王朝の王族である「天(あま)」氏の一族が何らかの事情で日向へ移動し、「あま」(阿萬、阿万)姓をそのまま名乗り続けた人々と、「米良」姓に代えた人々がいて、現在に至っているのではないでしょうか。
 幸いも、日向修験道や熊野信仰の史料中に米良氏が「天氏」を名のっていた記録が遺っていたのですが、「あま」(阿萬、阿万)姓の家にもそうした伝承が遺っている可能性があります。当地の方に調査していただけると有り難いです。
 ちなみに、九州王朝の中枢領域である福岡県や佐賀県には「あま」姓の分布は見つかりません。しかし面白いことに、「天本(あまもと)」姓が基山(基肄城)周辺地域(佐賀県・福岡県)に集中分布していることを中島徹也さん(福岡市)からご教示いただきました。この「天本」さんについても調査したいと思います(注⑤)。お知らせいただいた中島さんにお礼申し上げます。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2543~2548話(2021/08/19~23)〝「あま」姓の最密集地は宮崎県(1)~(4)〟
 古賀達也「『あま』姓の分布と論理 ―宮崎県の「阿万」「阿萬」姓と異形前方後円墳―」『古田史学会報』166号、2021年10月(予定)。
②古賀達也「洛中洛外日記」234話(2009/11/08)〝九州王朝天子「天」一族の行方〟
 古賀達也「洛中洛外日記」236話(2009/11/22)〝「米良」姓の分布と熊野信仰〟
③五来重編『山岳宗教史研究叢書16 修験道の伝承文化』昭和五六年(1981)。
④古賀達也「洛中洛外日記」950話(2015/05/12)〝肥後にもあった「アマ(蜑)の長者」伝説〟
⑤「日本姓氏語源辞典」 https://name-power.net/ によれば、「天本」姓の分布は次の通り。
 人口 約3,000人 順位 3,894位
【都道府県順位】
1 佐賀県(約1,100人)
2 福岡県(約1,000人)
3 長崎県(約200人)
4 東京都(約70人)
4 埼玉県(約70人)
6 神奈川県(約70人)
6 大阪府(約70人)
8 広島県(約70人)
9 岡山県(約40人)
9 兵庫県(約40人)

【市区町村順位】
1 佐賀県 鳥栖市(約600人)
2 佐賀県 三養基郡基山町(約500人)
3 福岡県 小郡市(約300人)
4 福岡県 筑紫野市(約120人)
5 福岡県 久留米市(約70人)
6 長崎県 長崎市(約50人)
7 福岡県 福岡市西区(約50人)
8 福岡県 福岡市早良区(約40人)
8 香川県 高松市(約40人)
10 福岡県 北九州市小倉北区(約30人)