「 関西例会 」一覧

月に一度例会を行っています。大阪I-siteなんばでおこなうことが多いです。

第1425話 2017/06/17

7世紀前半の寺院が近畿に集中する理由

 本日の「古田史学の会」関西例会も先月に続いてi-siteナンバではなくドーンセンターで開催されました。これからも会場が変更されることがありますので、お間違えなきよう。
 今回も充実した発表が続き、そのため質疑応答が長引き、司会進行の西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)からご注意をいただいたほどです。特に感心したのが服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が発表された、7世紀前半の寺院が近畿に集中する理由についての新仮説と「飛鳥時代」建立と推定された寺院遺跡出土軒丸瓦の一覧(A4 10頁、81寺)でした。個別の報告書や写真ではそれら寺院の出土軒丸瓦の多くは見たことがあるのですが、改めて一覧表にされて提示されると、7世紀前半とされる寺院が圧倒的に奈良県を中心に分布することが一目瞭然となるのです。
 服部さんによる分類では「素弁軒丸瓦」が出土する「飛鳥時代」の寺院と見なせるものは69寺あり、その分布は次の通りです。
 福島2・東京1・千葉3・埼玉1・群馬1・長野1・岐阜1・福井1・愛知6・三重2・奈良26・京都2・大阪13・兵庫1・岡山1・広島2・香川2・愛媛2・大分1、計69寺。
 今後の調査により、この数字は変化すると思いますが、奈良や大阪に濃密分布するという傾向は変わらないのではないでしょうか。この考古学的事実こそ、わたしが提起した次の「九州王朝説に刺さった三本の矢」の一つなのです。

《一の矢》日本列島内で巨大古墳の最密集地は北部九州ではなく近畿である。
《二の矢》6世紀末から7世紀前半にかけての、日本列島内での寺院(現存、遺跡)の最密集地は北部九州ではなく近畿である。
《三の矢》7世紀中頃の日本列島内最大規模の宮殿と官衙群遺構は北部九州(太宰府)ではなく大阪市の前期難波宮であり、最古の朝堂院様式の宮殿でもある。

 今回の服部さんの発表は、この《二の矢》に果敢に挑戦されたものです。質疑応答では瓦の編年精度や妥当性、地域差をどのように見るかなど多岐にわたりました。これからの研究の進展が期待されます。
 6月例会の発表は次の通りでした。このところ例会参加者が増加していますので、発表者はレジュメを40部作成してくださるようお願いいたします。また、発表希望者も増えていますので、早めに西村秀己さんに発表申請を行ってください。

〔6月度関西例会の内容〕
①出土遺物の考察(犬山市・掛布広行)
②国家仏教の伝来(八尾市・服部静尚)
③今城塚古墳と岩手や真子分、阿蘇ピンク石(茨木市・満田正賢)
④双鉤填墨(奈良市・水野孝夫)
⑤倭国年号史料(古代逸年号)の基礎的検討(神戸市・谷本茂)
⑥「草津」の地名(京都市・岡下英男)
⑦フィロロギーと古田史学【その3】(吹田市・茂山憲史)
⑧「佐賀なる吉野」に行幸した天子とは誰か(下)(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 6/18会員総会議案等の説明・年間活動報告・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会と懇親会(エルおおさか)・「誰も知らなかった古代史」(森ノ宮)の報告と案内(6/23「盗まれた万葉集」正木裕さん)・『古代に真実を求めて』21集企画案検討中・『古田史学会報』投稿要請・「古田史学の会」関西例会7月会場の件(ドーンセンター、京阪天満橋駅近く)・『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版記念講演会を大阪(9/09)、東京(10/15)で開催・その他


第1403話 2017/05/20

南方熊楠生誕150年

 本日の「古田史学の会」関西例会はいつものi-siteナンバではなくドーンセンターで開催されました。7月まではドーンセンターで開催されますので、お間違えなきよう。
 今年は和歌山県が生んだ世界的天才学者、南方熊楠の生誕150年とのことで、岡下さんから南方熊楠の著作や学問研究スタイルについて報告がありました。鶴見和子さんの著書『南方熊楠』から引用された「南方の強みは、自分の経験及び自分で調べた資料にてらしあわせて、命題の妥当性をたしかめてみる、権威によって、たやすく信じることをしない、という点にあった。」という論評は、わたしが20代の頃読んだ「南方熊楠選集」の読後感と通じるところがあり、懐かしく思いました。
 わたしも久しぶりに「『副都詔』(天武紀)の史料批判」を発表させていただきました。その内容は「洛中洛外日記」1398話「前期難波宮副都説反対論者への問い(3)話」をベースに、副都建設・遷都の手順や、水城築造などについても論究しました。
 5月例会の発表は次の通りでした。和泉史談会の矢野会長様にもご参加いただきました。このところ例会参加者が増加していますので、発表者はレジュメを40部作成してくださるようお願いいたします。

〔5月度関西例会の内容〕
①カグツチ神と「夏来にけらし」歌(大阪市・西井健一郎)
②「倭国」「日本国」認識の系譜(八尾市・服部静尚)
③日羅に関する考察(茨木市・満田正賢)
④皇極・孝徳・斉明・天智・天武・持統・文武・元明天皇の考察(犬山市・掛布広行)
⑤「副都詔」(天武紀)の史料批判(京都市・古賀達也)
⑥「南方熊楠」生誕150年(京都市・岡下英男)
⑦フィロロギーと古田史学【その2】(吹田市・茂山憲史)
⑧ニギハヤヒの正体(東大阪市・萩野秀公)
⑨佐賀なる吉野に行幸した天子とは誰か(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 和泉史談会矢野会長様からご挨拶・会費入金状況・年間活動報告・「誰も知らなかった古代史」(森ノ宮)で5/12西川寿勝氏(狭山池博物館)、中尾智行氏(弥生文化博物館)が講演「大阪の歴史資産を現代に活かす -学芸員の取り組み-」、5/26古賀が講演予定「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」・『古代に真実を求めて』21集企画案検討中・『古田史学会報』投稿要請・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会と懇親会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会5~7月会場変更の件(ドーンセンター、京阪天満橋駅近く)・『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版記念講演会を大阪(9/09)・東京(10/15)で開催・沖ノ島世界遺産認定の件・その他


2017/05/23

古田史学の会・関西2017年 6月例会

期日

2017年 6月17日(土)
午前10時より午後5時まで

場所

ドーンセンター
(大阪府立男女共同参画・青少年センター)
B1階中会議室4多目的ルーム

交通アクセスはここから

住所:大阪市中央区大手前1丁目3番49号

・京阪「天満橋」駅、地下鉄谷町線「天満橋」駅1番出入口から東へ約350m。
・JR東西線「大阪城北詰」駅下車。2番出口より土佐堀通り沿いに西へ約550m。

報告

会員発表例は例会報告参照

参加費 500円

7月例会は15日(土)、府立ドーンセンター(天満橋)4Fでおこないます。

 

 

 

第1370話 2017/04/15

フィロロギーと古田史学

 本日の「古田史学の会」関西例会で、最も深く考えさせられた発表は古代史のテーマではなく、茂山さんの「フィロロギーと古田史学【その1】」という哲学・論理学の分野の発表でした。
  古田先生の恩師、村岡典嗣先生がヨーロッパから導入されたアウグスト・ベークのフィロロギー(文献学と訳されることが多い)の著書『解釈学と批判 -古典文献学の精髄-』(安酸敏眞訳、知泉書館。原題 Encyklopadie und Methodologie der philologischen Wissenschaften)の解説です。特に「実証」と「論証」の関係性についての説明はとても勉強になりました。
 村岡先生の「学問は実証よりも論証を重んじる」という言葉の意味について、「実証」も「論証」もそれらが正しいかどうかは「論証」によって改めて証明できなければならないとされ、この「論証の二重構造」こそ「実証よりも論証が重要」という本当の意味だとする指摘は、村岡先生の言葉を正しく理解する上で貴重な示唆と思いました。このテーマを連続して発表されるとのことですので、「関西例会」がますます楽しみとなりました。
 4月例会の発表は次の通りでした。

〔4月度関西例会の内容〕
①古田説批判(2倍年歴・魏志倭人伝)『古代史家は古代史を偽造する』抜粋(犬山市・掛布広行)
②「九州王朝の勢力範囲」清水淹氏に答える(八尾市・服部静尚)
③フィロロギーと古田史学【その1】(吹田市・茂山憲史)
④降臨神話の原話から神武説話へ(東大阪市・萩野秀公)
⑤薩夜麻の都督就任と倭国(九州王朝)における二重権力状態の発生(川西市・正木裕)
⑥王朝交代(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版・会員数増加の報告・年間活動報告・「古代史セッション」(森ノ宮)で4/21米田敏幸氏、5/26古賀が講演予定・『古田史学会報』投稿要請・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会5〜7月会場変更の件(ドーンセンター、京阪天満橋駅近く)・『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』出版記念講演会を大阪(9/09)・東京(10/15)で開催・『九州倭国通信』に正木・服部論稿が掲載・『多元』に古賀稿が掲載・筑紫野市前畑土塁保存署名の協力・その他


第1364話 2017/04/06

井上信正さん大阪講演のご案内

 太宰府条坊研究の第一人者である井上信正さん(太宰府市教育委員会)をお招きして、大阪市で講演会を開催します。「古田史学の会」会員総会の記念講演会ですが、会員以外も参加可能で無料です。関西ではお聞きする機会が少ない井上さんの太宰府や筑紫野市前畑土塁の最新研究成果を御講演いただきます。お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。

〔日時〕6月18日(日)13:20〜16:00
〔会場〕エル大阪 5階研修室2(大阪市中央区北浜)
       交通アクセス
〔講師〕井上信正氏(太宰府市教育委員会)
〔演題〕大宰府都城について
〔主催〕古田史学の会
〔参加費〕無料
〔会員総会〕講演会終了後に「古田史学の会」会員総会を開催します。会員の皆様のご出席をお願いします。
〔懇親会〕会員総会後に希望者による懇親会(有料)を開催します。懇親会参加申し込みは、当日会場にて受付ます。非会員も参加できます。


第1356話 2017/03/18

九州王朝の大尺と小尺

 本日の「古田史学の会」関西例会では、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)が発表された古代の「高麗尺」はなかったとするテーマで、九州王朝「尺」についてわたしとの質疑応答が続きました。その討論を経て、南朝尺(25cm弱)を採用していた九州王朝は7世紀初頭には北朝の隋との交流開始により北朝尺(30cm弱)を採用したとの見解に収斂しました。その根拠として太宰府条坊区画(約90m=300尺)があげられます。しかしながら、大宰府政庁や観世音寺などの北部エリアの新条坊区画が太宰府条坊都市の区画と「尺」単位が微妙に異なる点についてはその事情が「不明」で、引き続き、検討することになりました。この点については、6月の「古田史学の会」会員総会記念講演会の講師・井上信正さん(太宰府市教育委員会)にもお聞きしようと思います。
 前期難波宮の条坊単位も北朝尺(30cm弱)によっているようですので、九州王朝は7世紀初頭から前期難波宮造営の7世紀中頃までは北朝尺で、大宰府政庁・観世音寺の新条坊エリア造営の670年(白鳳10年)頃にはそれとはやや異なった「尺」を用いたと考えられます。大宝律令の大尺と小尺は九州王朝が採用していた北朝尺と南朝尺を反映したものではないでしょうか。服部さんの発表と討論によって、九州王朝「尺」に対する認識が深まりました。
 3月例会の発表は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
①「東山道十五国」の比定 -山田春廣説の紹介-(高松市・西村秀己)
②高麗尺やめませんか(八尾市・服部静尚)
③師木の波延から追う神武帝と国号日本の原姿(大阪市・西井健一郎)
④6〜7世紀の王墓と継躰天皇陵(神戸市・谷本茂)
⑤晋書の西南夷とは(茨木市・満田正賢)
⑥「帝王本紀」・「帝紀」について(東大阪市・萩野秀公)
⑦『神功紀』が語る「八十梟帥討伐譚は邇邇芸命らの肥前討伐譚からの盗用」(川西市・正木裕)
⑧全盛期の九州王朝を担った筑後勢力 -筑後は倭国の首府だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・7/08 久留米大学で古賀が講演予定・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)で笠谷和比古氏(日本国際日本文化センター名誉教授)が講演・筑紫野市「前畑遺跡筑紫土塁」保存の署名協力要請・『唯物論研究』138号発刊と内容説明・『古田史学会報』投稿要請・西村竣一氏(東京学芸大学元教授・日本国際教育学会元会長)の訃報・6/18「古田史学の会」会員総会と井上信正氏(太宰府市教育委員会)講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会5〜7月会場変更の件(ドーンセンター)・3/27「古代史セッション」(森ノ宮)で正木氏が講演予定・今月の新入会員情報・『多元』に古賀論稿が掲載・その他

○服部編集長から『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』発刊の報告。(出版記念講演会を東京・福岡などで開催を企画中)


第1338話 2017/02/19

住吉神は「筑紫の神」「軍神」

 昨日の「古田史学の会」関西例会では新視点からの研究報告が続き、触発されました。
 服部さんの報告では、倭国(九州王朝)が中国南朝(梁)の冊封体制から離脱するときの国際情勢(百済や北魏との関係)などについて論議が深まりました。
 岡下さんからは、「多利思北孤」は自署名ではなく隋側が選んだ文字ではないかとされました。その理由として、「北孤」の字義が天子にふさわしいものではないとされ、論争が巻き起こりました。
 原さんからは、住吉大社の祭神は「筑紫の神」「軍神」とされていることから、九州王朝による「常備軍」としての性格を持った神社だったのではないかとする意表を突く仮説が報告されました。また、住吉神社の祭神を祖と伝える氏族がないという調査結果なども示され、とても興味深いものでした。
 正木さんからは天孫降臨説話において「空白」となっている筑前や肥前、糸島、唐津の説話が神武記紀に盗用されているとして、その詳細を展開されました。
 発表者へは『古田史学会報』への投稿を要請しました。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人の歩み』紹介(奈良市・水野孝夫)
②倭国が冊封から離脱した理由(八尾市・服部静尚)
③魏志倭人伝の中の30カ国の考察(茨木市・満田正賢)
④原伝承上の、崇神帝・初国知らす(大阪市・西井健一郎)
⑤「金印」と志賀海神社の占い(京都市・古賀達也)
⑥「多利思北孤」について(京都市・岡下英男)
⑦住吉神社は常備軍で神領は駐屯地(2)・住吉大社での埴使の神事(2)(奈良市・原幸子)
⑧九州王朝の九州平定 筑紫糸島・肥前平定(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 1/22新春講演会の報告・『古田史学会報』投稿要請・下山昌孝氏(多元的古代研究会・元副会長)、荒金卓也氏(九州古代史の会・元代表)の訃報・文芸誌『飛行船』の大北恭宏氏「大知識人・坂口安吾」紹介・2/16 「大阪さくら会」の服部氏講演報告・2/25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・2/22NHKカルチャーセンターで谷本氏が講義・2/23「古代史セッション」(森ノ宮)の案内(大阪夏の陣はなぜおこったか、笠谷和比古氏)・6/18「古田史学の会」会員総会と講演会(エルおおさか)・「古田史学の会」関西例会会場確保の件・久留米市で「連玉(れんだま)」(弥生時代後期)が出土(犬塚幹夫氏からの情報)・その他


第1328話 2017/01/26

NHKカルチャー神戸教室で谷本茂さんが講義

 「古田史学の会」会員で関西屈指の論客、谷本茂さんがNHKカルチャー神戸教室の冬期特別一日講座で講義されることとなりました。テーマは「神話となった聖徳太子の幻像 〜『遣隋使』の謎を解く〜」で、とても面白そうな内容です。詳細は下記の通りです。ふるってご参加ください。古代史にご興味をお持ちの知り合いの方々にお知らせ・お勧めいただければ幸いです。

□日時
2017年2月22日 13:00〜15:00(1回)
□会場
NHKカルチャー神戸教室
 電話078-360-6198 FAX:078-360-6189
 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-2-2 HDC神戸6F
 ※JR神戸駅前すぐ、阪急・阪神・山陽 高速神戸駅から徒歩4分

□上記電話・FAXの受付時間:月〜土 9:30〜15:00
□受講料(税込):会員2,808円 一般(入会)不要3,369円
※筆記用具を持参してください。資料は講師が準備します。


第1327話 2017/01/23

研究論文の進歩性と新規性

 「洛中洛外日記」1315話「2016年の回顧『研究』編」でわたしが紹介した、2016年の『古田史学会報』に発表された特に印象に残った優れた論文の「選考基準」についての質問が、先日の「古田史学の会」関西例会の参加者から出されました。良い機会ですので、わたしが選考に当たって重視している「研究論文の進歩性と新規性」という問題についてご説明することにします。
 わたしは次の論文を特に優れていると判断し、「洛中洛外日記」で紹介しました。

①「近江朝年号」の実在について 川西市 正木裕(133号)
②古代の都城 -宮域に官僚約八千人- 八尾市 服部静尚(136号)
③盗まれた天皇陵 八尾市 服部静尚(137号)
④南海道の付け替え 高松市 西村秀己(136号)
⑤隋・煬帝のときに鴻臚寺掌客は無かった! 神戸市・谷本 茂(134号)

 これらの論文はいずれも研究論文としての「進歩性」と「新規性」が他の論文よりも際だっていました。
 特許出願に関わられた経験のある方ならよくご存じのことですが、特許庁による特許審査では、その特許申請の内容が社会の役に立つのかという「進歩性」の有無と、まだ誰もやったことのない初めての事例であるのかという「新規性」の有無が厳しく審査されます。そして進歩性と新規性が認められると、それが事実に基づいているかどうかという「実施例」と「実施データ」がこれまた厳しくチェックされます。ここに虚偽データや虚偽記述があると拒絶査定されますし、特許が成立した後で発覚すれば厳しい罰則(企業倒産するケースもあります)が課せられるほどです。
 わたしも勤務先での特許申請においては、特許事務所の専門家と何度も打ち合わせを行い、最後は胃が痛くなるような決断をして特許出願します。場合によっては担当審査官の個人的「性格」まで勘案して文言やデータの修正を行うこともあるほどです。
 学術論文でも同様に「進歩性」と「新規性」が学術誌への採否で厳しく審査(査読)されます。その研究が学問や研究に役立つ進歩性があるのか、まだ誰も行ったことがない、あるいは未発見という「新規性」があるのかをその分野の第一人者とされる研究者が査読します。権威のある学術誌ほど採用のハードルは高いのですが、世界中の研究者はそうした権威ある学術誌(ネイチャー誌は有名)への採用を目指して切磋琢磨しています。従って、投稿されたほとんどの論文は「没」になる運命が待っているのです。
 『古田史学会報』では通常の学会誌ほど厳しくは査定しませんが、進歩性・新規性の有無、そして論証の成立の有無や史料根拠の妥当性は重要視しています。念のため付け加えますが、採否にあたり、わたしの説とあっているかどうかは判断基準とはしませんし、更にいうならば個別の古田説にあっているか異なっているかも採否には無関係です。この点、誤解が生じやすいのではっきりと断言しておきます。
 また、投稿論文の採否検討にあたり、わたしが不得意な分野は、そのことをよくご存じの方に意見を求めることもあります。わたしが「採用」と判断しても、西村秀己さんから「不採用」とされるケースも極めて希ですがありました。掲載後に会員読者から「なぜこのような原稿を採用するのか」という厳しいご指摘が届いたことも一度や二度ではありません。ちなみに最も厳しい意見を寄せられたのは古田先生でした。そのときは、採用理由や経緯を詳しく説明し、その論文に対する反論をわたしが書くことでご了解いただいたこともありました。懐かしい思い出です。
 以上のことを「2016年の回顧『研究』編」で紹介した論文①の正木稿を例に、具体的に解説します。正木さんの「『近江朝年号』の実在について」は、それまでの九州年号研究において、後代における誤記誤伝として研究の対象とされることがほとんどなかった「中元」「果安」という年号を真正面から取り上げられ、「九州王朝系近江朝」という新概念を提起されたものでした。従って、「新規性」については問題ありません。
 また「近江朝」や「壬申の乱」、「不改の常典」など古代史研究に於いて多くの謎に包まれていたテーマについて、解決のための新たな視点を提起するという「進歩性」も有していました。史料根拠も明白ですし、論証過程に極端な恣意性や無理もなく、一応論証は成立しています。
 もちろん、わたしが発表していた「九州王朝の近江遷都」説とも異なっていたのですが、わたしの仮説よりも有力と思い、その理由を解説した拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷 -正木新説の展開と考察-」を執筆したほどです。〔番外〕として拙稿を併記したのも、それほど正木稿のインパクトが強かったからに他なりません。
 正木説の当否はこれからの論争により検証されることと思いますが、7〜8世紀における九州王朝から大和朝廷への王朝交代時期の歴史の真相に迫る上で、この正木説の進歩性と新規性は2016年に発表された論文の中でも際だったものと、わたしは考えています。他の論稿②③④⑤も同様です。皆さんも「進歩性」「新規性」という視点でそれらの論文を再読していただければと思います。なお、わたしが紹介しなかったこの他の論文も、『古田史学会報』に掲載されたという点に於いて、いずれも優れた論稿であることは言うまでもありません。この点も誤解の無いようにお願いします。


第1325話 2017/01/21

九州年号「継躰」建元の追号説

 本日の「古田史学の会」関西例会では偶然にも九州年号「継躰」建元について二件の研究が報告されました。
 一つは西村さんによるもので、『二中歴』にのみ最初の九州年号「継躰」が見える理由として、九州王朝が梁の冊封から離脱して「善記」という年号を公布したとき、それ以前に「継躰」という年号も遡って「公布」、すなわち追号したとする仮説(アイデア)です。追号という事情により『二中歴』以外の史料には「善記」を「最初の年号」と記されることになったとされました。この仮説の成立や論証過程は西村さんから論文として発表されることと思いますが、単なるアイデアとは思えない説得力もあり、今後の論争が期待されます。
 二つ目は正木さんからの研究報告です。『聖徳太子伝暦』に見える「遷都予言記事」(九州王朝の多利思北孤の記事と思われます)の中に、「聖徳太子」46歳のとき(617年)から100年前(517年)に都を置いたというような記事があるのですが、この517年が九州年号の「継躰」建元の年に一致します。このことから、正木さんは筑後のある場所に筑紫君磐井が遷都し、それを記念して「継躰」建元した史料痕跡ではないかとされました。また、617年の翌年には九州年号が「倭京」と改元されるのですが、この年が太宰府遷都の年とする仮説をわたしは発表したことがあります(「よみがえる倭京(太宰府)」『古田史学会報』50号 2002年、「『太宰府』建都年代に関する考察」『古田史学会報』65号 2004年)。今回の正木さんの報告は「継躰」建元年にも遷都の痕跡を発見されたものです。この『聖徳太子伝暦』の「遷都予言記事」は、九州王朝の遷都関連記事を「聖徳太子」の事績としてまとめて記録したものとする理解が可能となり、とても興味深い発表でした。
 1月例会の発表は次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
①『別府の風土と人のあゆみ』の宣伝(奈良市・水野孝夫)
②倭国年号建元を考える(高松市・西村秀己)
③古代九州の国の変遷(茨木市・満田正賢)
④倭国と狗奴国の紛争(相模原市・冨川ケイ子)
⑤出野正・張莉著『倭人とはなにか』-漢字から読み解く日本人の源流-(奈良市・出野正)
⑥洛陽発見の三角縁神獣鏡の銘文から(八尾市・服部静尚)
⑦文字伝来と北朝認識(八尾市・服部静尚)
⑧井上信正氏講演会の報告「大宰府 古代都市と迎賓施設」(京都市・古賀達也)
⑨九州王朝の王都の変遷と筑後勢力(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の準備・02.16 「大阪さくら会」で服部氏が講演・02.25 久留米大学で正木氏、服部氏が講演・7月久留米大学で古賀が講演・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・その他


第1310話 2016/12/17

『倭人伝』「陸行一月」の計算方法

 本日の「古田史学の会」関西例会はバラエティーに富み、かつ質疑も濃密なものでした。一年を締めくくるにふさわしい内容で、とても勉強になりました。
 満田さんは例会デビューでした。厳しい批判が出されましたがめげることなく引き続き発表を続けられるとのこと。谷本さんからは『日本書紀』応神紀などの年代が信用できないことを詳細に説明されました。その中で、わたしが25年前に書いた論文中の年代判断の甘さも指摘され、冷や汗ものでしたが、久しぶりに読み直した自分の若い頃の論文に懐かしさを覚えました。
 正木さんからは「倭人伝」行程記事の「陸行一月」を陳寿がどのような基準で計算したのかについての研究報告がなされました。『初學記』や『太平御覧』に引用された「漢律」の規定によれば、使者が遠国に派遣される場合、5日働いて1日休む「五日得一休」であることを明らかにされました。その規定に基づいて「倭人伝」の里程を計算すると、どんぴしゃりで30日「陸行一月」になるのです。正木さんの中国古典調査力にはいつも驚かされるのですが、今回も見事な論証でした。『古田史学会報』での発表が待ち遠しいものです。
 12月例会の発表は次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
①古事記の中の「倭」と「夜麻登」(八尾市・服部静尚)
②魏志倭人伝の中にある卑弥呼の都(茨木市・満田正賢)
③神功皇后・応神天皇の年代をめぐって(神戸市・谷本茂)
④「四天王寺」、略称「天王寺」(京都市・岡下英男)
⑤「水城は水攻めの攻撃装置である」という作業仮説について(下)(吹田市・茂山憲史)
⑥文武天皇は「軽天皇」(相模原市・冨川ケイ子)
⑦住吉神は九州王朝の軍神であった。そして、当麻寺は九州王朝の官寺(奈良市・原幸子)
⑧太宰府を囲む「巨大土塁」と『書紀』の「田身嶺・多武嶺」・大野城(川西市・正木裕)
⑨『魏志倭人伝』の陸行一月について -陳寿は極めて厳密な史官だった-(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
大阪府立大学「古田史学コーナー」の移転完了(2階)・千歳市の「まちライブラリー」で「古田史学コーナー」設置と12.23「植本祭」で講演(古田史学の会・北海道 今井俊圀さん「邪馬台国はなかった!?〜古代史の謎〜」)・11.26和水町で古代史講演会の報告・11.27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の報告(久留米大学福岡サテライト)・2016.11.14東京ダイワハウスで服部静尚さんが講演・12.24東京古田会例会で冨川ケイ子さん講演「河内戦争」・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・会費未納者への督促・『古代に真実を求めて』20集「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」の編集について・「他流試合」の勧め・12.03史跡巡りハイキングの実施報告・その他