関西例会一覧

第3181話 2023/12/17

万葉28番歌の新解釈

 昨日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。次回、1月例会の会場は豊中倶楽部自治会館です。関西例会としては初めて使用する会場ですので、ご注意下さい。
今回も興味深い発表が続きました。中でも大原さんの〝持統の「白妙の衣」は対馬の鰐浦の白い花のこと〟は持統天皇の『万葉集』28番歌の新解釈です(久冨直子さんとの共同研究)。

春過ぎて夏来たるらし 白たえの衣ほしたり 天の香具山

 この歌の「白たえの衣」とは、対馬北部の鰐浦に群集するヒトツバタゴ(別名:ウミテラシ・ナタオラシ・ミズイシ)の花を例えたもので、春になると辺り一面が真っ白になるような花を咲かせるとのこと。なぜそのように言えるのかを傍証を示して論じた研究で、「洗濯物を山に干したりしない」という久冨さんの説明には一理あると思いました。

 この万葉歌は国文学でも「春過ぎて夏来たるらし」という表現が冗長とする意見もあり、評価が分かれていました。古田先生もこの歌の「天の香具山」を大分県の鶴見岳とする新説を発表されています(注①)。わたしも25年前にこの歌の解釈について論文「染色化学から見た万葉集 紫外線漂白と天の香具山」を発表したことがありましたので(注②)、懐かしく思いました。正木さんも同歌について〝「春過ぎて夏来たるらし」〟(注③)を発表されており、古田学派内でも以前から注目された万葉歌でした。

 12月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔12月度関西例会の内容〕
①国譲りの真相 (大阪市・西井健一郎)
②「中天皇」に関する考察 (茨木市・満田正賢)
③古墳時代のDNA分析結果に当惑する研究者たち NHKフロンティア「日本人とは何者なのか」 (大山崎町・大原重雄)
④持統の「白妙の衣」は対馬の鰐浦の白い花のこと (大山崎町・大原重雄)
⑤続「倭京」と多利思北孤 顕現する「オホキミ」のシルエット (東大阪市・萩野秀公)
⑥NHK[歴史探偵]「白村江の戦い」の虚構 (川西市・正木 裕)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
01/20(土) 会場:豊中倶楽部自治会館
☆01/21(日)は新春古代史講演会(キャンパスプラザ京都)を開催します。

(注)
①古田武彦『古代史の十字路』東洋書林、2001年。
②古賀達也「染色化学から見た万葉集 紫外線漂白と天の香具山」『古田史学会報』26号、1998年。
同「古代のジャパンクオリティー2 万葉集の中の紫外線漂白」『月刊加工技術』6月号、2015年。
③正木 裕「『春過ぎて夏来たるらし』考」『古田史学会報』119号、2013年。

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古田史学の会東淀川区民会館2023.12.16

12月度関西例会発表一覧
(ファイル・参照動画)

YouTube公開動画です。

1,国譲りの真相
(大阪市・西井健一郎)

https://www.youtube.com/watch?v=s0TRJE932Xc
https://www.youtube.com/watch?v=5GTIUSyVS8k
https://www.youtube.com/watch?v=AECnF7YCakA

2,中天皇に関する考察
(八尾市・満田正賢)

https://www.youtube.com/watch?v=F8d2usA_xzM

 

3,古墳時代のDNA分析結果に当惑する研究者たち

      (大山崎町・大原重雄)

このYouTube動画のみ、アドレスの限定公開です。

https://www.youtube.com/watch?v=1MsqLYIr8vU

https://www.youtube.com/watch?v=inlUjT3UBe0

4,持統の白妙の衣は対馬の鰐浦の白い花のこと
(大山崎町・大原重雄)

https://www.youtube.com/watch?v=kS9CXSgqMus

https://www.youtube.com/watch?v=qOP0ey4w01E

5,顕現するオホキミのシルエット
(東大阪市・萩野秀公)

https://www.youtube.com/watch?v=EqqkCkC3MAs

https://www.youtube.com/watch?v=i5MTbdKpVCc

 

6,NHK歴史探偵「白村江の戦い」の虚構
(川西市・正木裕)

https://www.youtube.com/watch?v=r3BDW54K-lA

https://www.youtube.com/watch?v=7b20VarMXL4

準備中https://www.youtube.com/watch?v=0rUjBYkgAQw


第3160話 2023/11/18

初めての関西例会の司会

 本日、浪速区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。司会担当(リモート参加)の西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)がお仕事で出張中なので、わたしが代役を務めました。「古田史学の会」関西例会は30年の歴史を持ちますが、わたしが司会を担当したのは初めてのように思います。次回、12月例会の会場は東淀川区民会館です。

 今回は慣れない司会に集中するため、研究発表は遠慮しました。それに代えて、先週参加した八王子セミナーについて少々紹介しました。一つは、橘高修さん(東京古田会・副会長)が、パネルディスカッションの論点整理ために事前に提示された「タイムテーブル」記載の論点に対する、わたしの見解の紹介(注①)。もう一つは千葉県からセミナーに初参加されたKさんの挨拶を紹介しました。

 Kさんは「古田史学の会」の新会員で、ホームページを見て入会されたようです。初参加者の〝自己紹介・挨拶コーナー〟で、Kさんは「会場参加者が老人ばかりで若い人がいない。わたしは中学生の家庭教師もしているが、その子が古代史(古田説)に興味をもってくれており、〝試験の回答には書いてはいけない〟と断って教えています。その子が高校生になったら二人で八王子セミナーに参加します。」と述べられ、参加者から拍手がおくられました。

 今回の発表で注目されたのが、大原さんによる九州年号を持つ当麻寺縁起の紹介でした。大原さんの研究によれば、当麻寺(奈良県葛城市)の前身寺院の創建を、推古の時代の定光二年とする史料があり、この「定光二年」は九州年号の「定居二年」((612年))とのこと。そうであれば、『二中歴』に見える倭京二年(619年)の難波天王寺の創建よりも早く、「当麻寺」が九州王朝により創建された可能性をも示すことから、注目すべきものと思われました。なお、定居二年と言えば、泉佐野市日根野慈眼院所蔵の棟札冒頭に記された九州年号「定居二年(612年)」における当地への新羅国太子「修明正覚王」渡来伝承が思い起こされます(注②)。

 11月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔11月度関西例会の内容〕
①裴世清は十余国を陸行した (京都市・岡下英男)
②大国主譜(二)と大年神譜 (大阪市・西井健一郎)
③西井氏の「筑紫後期王朝説への疑問」に答える(1) (八尾市・満田正賢)
④続「倭京」と多利思北孤 倭(ワ)王朝の列島制覇戦略 (東大阪市・萩野秀公)
⑤「邪靡堆(ヤビタイ)」とは何か 唐の李賢の証言 (姫路市・野田利郎)
⑥當麻寺の年代 (大山崎町・大原重雄)
⑦鍵穴を通る神の説話の謎 (大山崎町・大原重雄)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
12/16(土) 会場:東淀川区民会館。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3157話(2023/11/11)〝八王子セミナー・セッションⅡの論点整理〟
②同「洛中洛外日記」2796話(2022/07/24)〝慈眼院「定居二年」棟札の紹介〟
同「洛中洛外日記」2797話(2022/07/26)〝慈眼院「定居二年」棟札の古代史〟
同「洛中洛外日記」2798話(2022/07/29)〝後代成立「九州年号棟札」の論理〟
同「蝦夷国への仏教東流伝承 ―羽黒山「勝照四年」棟札の証言―」『古田史学会報』173号、2022年。


第3141話 2023/10/23

百済禰軍(でいぐん)墓誌銘の「日本」誤読説

 今月21日、浪速区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。11月例会も浪速区民センターで開催します。

 わたしは「よみがえる卑弥呼伝承 ―国内史料に見える「卑弥呼・壹與」―」を発表しました。卑弥呼の墓の有力候補に須玖岡本遺跡にある熊野神社社殿の地(須玖岡本山)とする古田先生の説があります(注①)。その古田説の傍証となる、江戸期史料に記された現地伝承を紹介しました(注②)。

 今回の例会で印象深かったのが、谷本茂さんの「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」(678年)に見える「日本」を国名とするのは誤読との発表でした。同墓誌に記された「日本(夲)」は国名の「日本」ではなく、前後の文脈から「于時日、本余噍、据扶桑以逋誅」と読み、「本余噍」を百済の残党とされました。従来説では「于時、日本、余噍、据扶桑以逋誅」と読まれ、この「日本」を国名の日本としており、わたしもその理解に基づく論稿(注③)を発表していましたので、谷本さんから厳しい批判をいただきました。わたしは〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、これを良い機会として再検討したいと思います。

 今回の例会には会員の中村さん(神戸市)が初参加されました。池上さんは久しぶりの発表でした。

 10月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔10月度関西例会の内容〕
①よみがえる卑弥呼伝承 ―国内史料に見える「卑弥呼・壹與」― (京都市・古賀達也)
②満田氏筑紫後期王朝説への疑問 (大阪市・西井健一郎)
③天の叢雲剣と草薙剣は同一か (京都市・池上正道)
④ハイキング報告「白鬚神社と継体大王ゆかりの地の散策」 (八尾市・満田正賢)
次回ハイキング(11/4)の説明「奈良公園歴史散策」 (大阪市・中山省吾)
正倉院展のお知らせ (京都市・久冨直子)
⑤「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」に“日本”国号はなかった! (神戸市・谷本 茂)
⑥「倭京」と多利思北孤 (東大阪市・萩野秀公)
⑦隋書の俀は倭であり多利思北孤の北は比が妥当 (大山崎町・大原重雄)
⑧難波宮は天武時代の・唐の都督薩夜麻の宮だった (川西市・正木 裕)

○会務報告(正木事務局長) 令和六年新春古代史講演会(2024/1/21、京都市)の件、関西例会の会員向けライブ配信の取り組み、他。

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

(注)
①古田武彦「邪馬壹国の原点」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。
②古賀達也「洛中洛外日記」3114話(2023/09/15)〝『筑前国続風土記拾遺』で探る卑弥呼の墓〟
③古賀達也「百済人祢軍墓誌の考察」『古田史学会報』108号、2012年。

 

古田史学の会浪速区民センター第5会議室 2023.10.21

10月度関西例会発表一覧(参照動画付)

YouTube公開動画は①②です。
「5,」の谷本氏の動画のみ「古田史学会file」内に置いております。

1,よみがえる卑弥呼伝承 国内史料に見える「卑弥呼・壹與」
(京都市・古賀達也)
https://youtu.be/lwEw839dsx8 https://youtu.be/yQv946_HE6w

2,満田氏筑紫後期王朝説への疑問 (大阪市・西井健一郎)
https://youtu.be/689A1n4DlH4 https://youtu.be/r2x_zdsyGGI

3,天の叢雲剣と草薙剣は同一か (京都市・池上正道)
公開は辞退されました。

4,ハイキング報告「白鬚神社と継体大王ゆかりの地の散策」 (八尾市・満田正賢) 付:次回ハイキング(11/4)の説明・正倉院展のお知らせ
https://youtu.be/eu3rx3u_fdA

5,「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」に日本国号はなかった! (神戸市・谷本 茂)
YouTube講演はありません。「古田史学会file」内に解説動画設置しました。Zoomneeting参加者のみ視聴できます)アクセス場所非公開

付:「東海の古代№248 20214月」号「祢軍墓誌」を読む 名古屋市 石田 泉城(http://furutashigakutokai.g2.xrea.com/kaihou/t248.pdf)

6,「倭京」と多利思北孤 (東大阪市・萩野秀公)
https://youtu.be/mYpKIO8SXqs

7,隋書の俀は倭であり多利思北孤の北は比が妥当 (大山崎町・大原重雄)
https://youtu.be/CTA902B55SM

8,難波宮は天武時代の・唐の都督薩夜麻の宮だった(川西市・正木 裕)
https://youtu.be/KtPUJVPVWc4


第3118話 2023/09/20

中国史書「百済伝」に見える百済王の姓 (1)

 「洛中洛外日記」3069話(2023/07/15)〝賛成するにはちょっと怖い仮説〟で日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)の研究を紹介しました。「古田史学の会」関西例会での「倭国の君主の姓について」という発表です。その要旨は、九州王朝王家の姓の変遷(倭姓→阿毎姓)を歴代中国史書から導き出し、九州王朝内で〝王統〟の変化があったとする仮説です。『宋書』に見える倭の五王は「倭」姓の氏族であり、『隋書』俀国伝に見える「阿毎」姓の王家とは異なる氏族とするもので、これは従来の古田説にはなかったテーマです。

 この日野説は注目すべきものですが、疑義も出されています。例えば、『隋書』俀国伝に見える「阿毎」は「姓」と記されているが、『宋書』に見える「倭讃(倭王)」の「倭」は姓とは記されておらず、「倭」を倭王の姓とするエビデンスはないとの谷本茂さん(古田史学の会・会員、神戸市)の指摘があります(注)。そこで、「倭讃」の「倭」が倭王の姓なのか、国名「倭」の援用なのかについて検討するために、中国史書東夷伝の隣国「百済伝」では、百済王の姓がどのような表記になっているのかを参考として調べてみることにしました。

 管見では次の史書(正史)に「百済伝」があります。『宋書』『南斉書』『梁書』『南史』『魏書(北魏)』『周書(北周)』『隋書』『北史』『旧唐書』『新唐書』。訓み下し文は坂元義種『百済史の研究』(塙書房、1978年)を採用しました。(つづく)

(注)「古田史学リモート勉強会」(2023年8月12日)での質疑応答にて。


第3115話 2023/09/16

『万葉集』「日本挽歌」

     は九州王朝のレクイエム

 本日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。10月例会は浪速区民センターで開催します。

 わたしは「喜田貞吉の批判精神と学問の方法」を発表しました。喜田貞吉が問題提起した三大論争(法隆寺再建論争、『教行信証』代作説、藤原宮長谷田土壇説)の経緯と結果、そして遺された課題について説明し、喜田の批判精神と古田先生の学問の方法をしっかりと継承したいと決意表明しました。

 今回の例会で特に注目したのが上田さんと正木さんの発表でした。上田さんの発表は、『万葉集』巻五「日本挽歌」は九州王朝のレクイエムとする新解釈で、確かに八世紀前半頃の太宰府で歌われた挽歌であれば、新王朝の日本国の挽歌では不自然であり、滅んだ九州王朝(倭国)の挽歌であればよく理解できます。それではなぜ「倭国挽歌」ではなく、「日本挽歌」とされたのかという問題があり、その説明は簡単ではありませんが、興味深い仮説と思われました。

 正木さんは、九州年号の朱鳥改元は倭王・都督である筑紫君薩夜麻崩御によるものとする仮説を発表されました。これには意表を突かれました。『日本書紀』朱鳥元年是歳条の「蛇と犬と相交めり。俄ありて倶に死ぬ。」の記事は、薩夜麻と天武が倶に崩御したことを風刺する歌ではないかともされました。実は、筑紫の有力者「虎丸長者」(藤原虎丸と伝える)が朱鳥元年に没したとする伝承があり、この虎丸が薩夜麻ではないかと考えたこともあったからです。ただし、伝承では朱鳥改元の七月二十日よりも後の十月に虎丸は亡くなったとされており、改元とのタイミングがあわないので九州王朝の天子とはできないと考えてきました。今回の正木説を知り、「虎丸長者」伝説を見直す必要を感じました。

 9月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔9月度関西例会の内容〕
①消された天皇 (大山崎町・大原重雄)
②「梅花の歌」と長屋王の変 (八尾市・上田 武)
③西井氏の問いかけに答える (八尾市・満田正賢)
④白鳳、朱雀、朱鳥、大化期の天子は誰か (八尾市・満田正賢)
⑤喜田貞吉の批判精神と学問の方法 (京都市・古賀達也)
⑥藤原宮(藤原京)の名称と、その遺跡出土の評木簡について (東大阪市・萩野秀公)
⑦部曲は「私有民」なのか? 中村友一氏の研究を受けて (たつの市・日野智貴)
⑧九州王朝から新王朝への交代 ―その時期に関する考察― (姫路市・野田利郎)
天武崩御と倭国(九州王朝)の薩夜麻の崩御 (川西市・正木 裕)
仝レジュメ(pdf書類)ダウンロードできます。

○会務報告(正木事務局長) 令和六年新春古代史講演会(2024/1/21、京都市)の件、関西例会の会員向けライブ配信の取り組み、他。

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
10/21(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

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古田史学の会東淀川区民会館 2023.9.16

9月度関西例会発表一覧(参照動画)

 YouTube公開動画①②です。他にはありません。

1,消された天皇 (大山崎町・大原重雄)

2,「梅花の歌」と長屋王の変 (八尾市・上田 武)

3,西井氏の問いかけに答える (八尾市・満田正賢)

4,白鳳、朱雀、朱鳥、大化期の天子は誰か (八尾市・満田正賢)

5,喜田貞吉の批判精神と学問の方法 (京都市・古賀達也)

6,藤原宮(藤原京)の名称と、その遺跡出土の評木簡について
(東大阪市・萩野秀公)

7部曲は「私有民」なのか? 中村友一氏の研究を受けて
(たつの市・日野智貴)

https://youtu.be/BYRNeh-VHY8

8,九州王朝から新王朝への交代 ―その時期に関する考察―
(姫路市・野田利郎)

https://youtu.be/ZDZfIhhV16c https://youtu.be/TooP9uL7qqQ

9,天武崩御と倭国(九州王朝)の薩夜麻の崩御 (川西市・正木 裕)

https://youtu.be/W122qfOPRS8


第3103話 2023/09/02

好太王碑文の「從抜城」の訓み (1)

 昨日、リモート参加した多元的古代研究会主催の研究会で、高句麗好太王碑(注①)碑文中の「從抜城」の訓みについて議論が交わされました。同碑文には多くの城名が記されていますが、『好太王碑論争の解明』(注②)によれば、碑文中の頻出文字は次のようです。

  文字 出現数 全文字中の率
1  城  108 6.61%
2  烟   71 4.35%
3  看   47 2.88%
4  王   32 1.96%
5  國   27 1.65%

 出現数の根拠や計算方法について、著者(藤田友治さん・故人)が次のように説明しています。

 「王健軍氏の釈文を基にすれば、全文字は一七七五文字である。そのうち欠け落ちてしまって判読できない文字一四一を引いた文字中に占める頻出文字」

 著者の藤田さんは、1985年に吉林省集安の好太王碑を古田先生らとともに現地調査しており、この数値の信頼性は高いと思います。その碑文の第二面末に次の文があります。便宜的に句読点を付し、改行しました。

十年庚子。教遣步騎五萬往救新羅。
從男居城至新羅城。
倭滿其中。官軍方至、倭賊退。
□□□□□□□□□背急追。
至任那加羅從拔城、城即歸服。

 この部分は、通常、次のように読まれています。

 「十年庚子(340年)。のりて、步騎五萬を遣わし、往って新羅を救わせる。男居城より新羅城に至る。倭はその中に満ちていた。官軍(步騎五萬)がまさに至ると、倭賊は退いた。[□□□□□□□□□背急追]任那加羅の從拔城に至れば、城はすぐに歸服した。」

 同碑文の用例としては、「從」は「~より」の意味で使用されており、「抜城」は『三国史記』では「城を抜く」(城を攻略する)の意味で使用されています。例えば次の用例があります。

○跪王、自誓、從今以後、永為奴客 (王にひざまずき、みずから「今より以後、永く奴客となる」と誓う)《碑文第一面》
○從男居城至新羅城 (男居城より新羅城に至る)《碑文第二面》

○南伐百済抜十城 (南、百済を伐ち、十城を抜く)『三国史記』高句麗本紀第六 広開土王

 しかし、通説ではこの記事中の「從拔城」を城の固有名としているようです。(つづく)

(注)
①好太王碑(こうたいおうひ)は、高句麗の第19代の王である好太王(広開土王)の業績を称えた石碑。広開土王碑とも言われる。中国吉林省集安市に存在し、高さ約6.3m・幅約1.5mの石碑で、四面に計1802文字が刻まれている。
②藤田友治『好太王碑論争の解明』新泉社、1986年。291頁


第3096話 2023/08/20

九州から関東への鵜飼の伝播

 昨日、都島区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。9月例会は東淀川区民会館で開催します。

 わたしは「木簡の中の王朝交代」を発表しました。701年の九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交代により、木簡に記された行政単位「評」が「郡」に全国一斉に変わることは郡評論争により著名です。同時に荷札木簡などの年次表記(干支→年号)やその記載位置(冒頭→末尾)も変わることを紹介し、それら書式変化の理由は、九州王朝と大和朝廷の〝行政命令〟によるもので、偶然の全国一斉変化ではなく、国家意思の表れと見なさざるを得ないとしました。

 今回の例会では、大原さんから興味深い鉄刀銘の紹介がありました。それは伝群馬県藤岡市西平井出土の銀象嵌太刀に描かれた魚と鳥(鵜)、花形文という図像で、熊本県の江田船山古墳出土銀象嵌太刀の魚・鵜・花形文と共通しています(江田船山の太刀には馬も描かれている)。この一致は両者の関係をうかがわせるもので、大原さんは九州勢力の関東進出を思わせるとされ、わたしもこの見解に賛成です。群馬県からは魚をくわえた鳥(鵜か)の埴輪も出土しており、海から離れた関東平野の奥地に鵜飼が伝わっていたことに驚きました。なぜなら、北部九州の鵜飼用の鵜は海鵜だからです。海鵜を捕獲して調教するため、古代では鵜飼の風習は海からそれほど離れていない地域に限られると、なんとなく考えてきましたが、大原さんの紹介により、認識を改めることができました。なお、『記紀』に見える〝鵜飼〟については別述したいと思います。

 わたしは九州王朝の鵜飼の伝統について論文発表(注)したことがありますが、その執筆時には群馬県での鵜飼について知りませんでした。倭の五王による関東侵攻の痕跡として、「鵜飼」の風習は注目されます。

 8月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔8月度関西例会の内容〕
①稲荷山鉄剣銘文の杖刀人は呪禁者との解釈 (大山崎町・大原重雄)
②近畿朝にいなかった安閑・宣化帝 (大阪市・西井健一郎)
木簡の中の王朝交代 (京都市・古賀達也)
仝PDF書類もダウンロードして下さい。
Youtubu動画ではありません。広告も出ません。

④末盧国の所在と魏使の行程 (川西市・正木 裕)

○会務報告(正木事務局長)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
9/16(土) 会場:東淀川区民会館 ※JR・阪急 淡路駅から徒歩10分。
10/21(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

(注)
「九州王朝の筑後遷宮 玉垂命と九州王朝の都」『新・古代学』第4集、2000年。
「九州王朝と鵜飼」『古田史学会報』36号、2000年。
「『日出ずる処の天子』の時代 試論・九州王朝史の復元」『新・古代学』第5集、2001年。
○「洛中洛外日記」704話(2014/05/05)〝『隋書』と和水町〟


第3069話 2023/07/15

賛成するにはちょっと怖い仮説

 本日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。わたしは久留米大学で追加発表した「吉野ヶ里出土石棺 被葬者の行方」を報告しました。今回の例会では、とても興味深く重要な研究が発表されました。
その一つが上田さんによる河内国分寺研究でした。柏原市にある河内国分寺周辺からは七世紀創建の多くの寺院が出土しており、当地は言わば九州王朝時代における仏教先進地と指摘されたことです。この地域について、わたしは不勉強でしたので驚くことばかりでした。九州王朝と大和朝廷による多元的国分寺という視点での更なる解明が期待されました。

 もう一つ、九州王朝王家の姓の変遷(倭姓→阿毎姓)を歴代中国史書から導き出し、九州王朝内で〝王統〟の変化があったとする日野さんの研究も注目されました。『宋書』に見える倭の五王は「倭」姓の氏族(物部氏とするのが有力)であり、『隋書』俀国伝に見える「阿毎」姓の王家とは異なる氏族とする仮説です。従来の古田説にはなかったテーマであり、賛成するにはちょっと怖い仮説ですが、検討すべき視点と思われました。

 7月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔7月度関西例会の内容〕
①河内国分寺について (八尾市・上田 武)
②宣化の詔について (茨木市・満田正賢)
③二つの大国主神譜 (大阪市・西井健一郎)
④吉野ヶ里出土石棺 被葬者の行方 (京都市・古賀達也)
⑤荷札木簡の干支表示と貢進國分布 (京都市・岡下英男)
⑥俀国伝と阿蘇山(姫路市・野田利郎)
⑦倭国の君主の姓について (たつの市・日野智貴)
⑧「神武」即位年と「皇暦・二倍年暦」 (川西市・正木 裕)

○関西例会・遺跡めぐり運営の提案(正木事務局長)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
8/19(土) 会場:都島区民センター ※JR京橋駅北口より徒歩10分。


第3044話 2023/06/17

古代の気候変動と考古学の接点

 本日、エルおおさかで「古田史学の会」関西例会が開催されました。午後からは「古田史学の会」記念講演会と会員総会が開催されました。

 本日の関西例会で、わたしは「和田家文書の明治写本と大正写本」を発表しました。テレビ東京 土曜スペシャル〝みちのく黄金伝承の謎を求めて〟(昭和61年頃に放送)で映された「東日流外三郡誌」明治写本の紙質や筆跡に注目し、大正写本と比較しました。
午後の講演会では、若林邦彦同志社大学教授と正木 裕さん(古田史学の会・事務局長)が下記の講演をされました。

若林邦彦さん(同志社大学歴史資料館・教授)
「大阪平野の初期農耕 ―国家形成期遺跡群の動態」
正木 裕さん(古田史学の会・事務局長)
「万葉歌に見る九州王朝の興亡」

 若林さんの講演では、年輪酸素同位体比による古代の気候変動(降水量)の研究成果と集落・水田遺構の分布と規模の変動から、弥生時代~古墳時代における環境変化による人々の移動を読み取り、大阪平野での国家形成期の歴史を解明するという研究成果が解説されました。

 その中で、「水害を前提に暮らす弥生集団」や「古墳時代中期(5世紀)に水田と集落域分離傾向(おらが田んぼから切り離されていく人々)」の痕跡が示され、「この変化の背景にはBC1世紀からAD1~6世紀の多雨環境の適応もあるが、地域社会の政治的統合の変化とも関係する。→古代国家的社会への動き」と説明されました。最新の理化学的研究成果を駆使されての仮説であり、参加者からも好評でした。

 講演会後に開催された「古田史学の会」定期会員総会では、創立30周年の記念事業企画検討を含む提案事項全てが承認され、滞りなく終了しました。

6月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

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古田史学の会エルおおさか 2023.6.17

6月度関西例会・講演会発表一覧(ファイル・参照動画)

YouTube公開動画は①②③です。

午前の関西例会

1,和田家文書の明治写本と大正写本 (京都市・古賀達也)

YouTube動画①https://www.youtube.com/watch?v=GkNVF8VnOlc

2,秦王国はプレ大宰府である ―国体制の特色― (姫路市・野田利郎)

YouTube動画①https://youtu.be/uWVSvVMKNgI

午後の講演会

1,若林邦彦(同志社大学歴史資料館・教授)
「大阪平野の初期農耕 国家形成期遺跡群の動態」

ファイル・講演記録はありません。

2,正木 (古田史学の会・事務局長)
「万葉歌に見る九州王朝の興亡」

YouTube動画のみ①https://youtu.be/XJFlbXeW1xA
https://youtu.be/1YC4xSdznwIhttps://youtu.be/RV7J_Q9wAUs


第3021話 2023/05/20

旧王朝が新王朝に取って代わられる時

本日、都島区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月はエルおおさかで、午後は「古田史学の会」記念講演会と会員総会を開催します。会員の皆さんのご出席をお願いいたします。

本日の関西例会で、わたしは「東日流外三郡誌の考古学 ―「和田家文書」令和の再調査―」を発表しました。北東北地方最大の城館遺跡である福島城の築造年代を14~15世紀とする従来説よりも、発掘調査の結果、東日流外三郡誌に記された承保元年(1074年)が正しかったことなどを紹介し、これは真作説を支持する考古学的事実であるとしました。また、今回実施した弘前市での和田家文書調査の報告も行いました。

今回の例会では優れた発表が続き、なかでも正木さんの「消された和銅五年の九州王朝討伐譚」は、王朝交代前後の九州王朝(倭国)と大和朝廷(日本国)の激しいせめぎ合いを復元したもので、『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』を史料根拠に、王朝交代後に〝「禅譲」の約を破り「放伐」に及んだ大和朝廷〟という論証はとても印象的でした。おそらく、旧王朝が新王朝に取って代わられる時とはこのようなものであったかと、目に浮かぶような説明が続きました。論文発表が待たれます。

この他にも大原さんの「男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ」や日野さんの「日本書紀の史料批判方法」は示唆に富んだ発表でした。

次回6月は午後から会員総会記念講演会があるため、例会は午前中だけとなります。そのため二名しか発表できないとのことなので、わたしは「テレビ東京 土曜スペシャル〝みちのく黄金伝承の謎を求めて〟の上映」を急いで申し込むことにしました。同番組は昭和61年頃に放送されたもので、藤本光幸さんや和田喜八郎さんも出演され、「東日流外三郡誌」明治写本などが映っており、今では貴重なものです。なお、同番組のビデオは竹田元春さん(弘前市)よりいただいたもので、おそらく関西では初めて見る人が多いのではないでしょうか。

5月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔5月度関西例会の内容〕
①渡来人に関する基礎的考察 (茨木市・満田正賢)
②天之石屋戸と大蛇退治に登場する神々 (大阪市・西井健一郎)
③遺跡巡りハイキング(5月)の報告 (豊中市・中本賢治)
④ハイキング・マニュアルの解説・6月の案内 (上田 武・正木 裕)
⑤〝古田武彦〟著作権利用に関する覚書(案)の説明 (古田史学の会・代表 古賀達也)
⑥東日流外三郡誌の考古学 ―「和田家文書」令和の再調査― (京都市・古賀達也)
⑦男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ (大山崎町・大原重雄)
⑧日本書紀の史料批判方法 (たつの市・日野智貴)
⑨消された和銅五年の九州王朝討伐譚 (川西市・正木 裕)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
6/17(土) 会場:エルおおさか(大阪府立労働センター) ※京阪天満橋駅より西300m。午後は「古田史学の会」記念講演会・会員総会。

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古田史学の会 都島区民センター2023.05.20

5月度関西例会発表一覧(ファイル・参照動画)

YouTube公開動画は①④⑤です。
「6,」の古賀氏の正式な動画は、ファイルから視聴できます。

1,渡来人に関する基礎的考察 (茨木市・満田正賢)

https://youtu.be/Fkf6eX0V8jQ https://youtu.be/RvseEIlZZV8

2,天之石屋戸と大蛇退治に登場する神々 (大阪市・西井健一郎)

https://youtu.be/zL9a0HN6xwIhttps://youtu.be/E8GFr4Q1pWk

3,遺跡巡りハイキング(5月)の報告 (豊中市・中本賢治)

https://youtu.be/FpyOlhOT0j8

4,5,はなし

6,東日流外三郡誌の考古学 「和田家文書」令和の再調査―
  (京都市・古賀達也)
https://www.youtube.com/watch?v=EtuDJ2WGQyI
(正規版)

https://youtu.be/1RCFty1_zBY ②https://youtu.be/EkTIdnZVLV0

7,男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ
(大山崎町・大原重雄)

https://youtu.be/fxftMIQx3d8https://youtu.be/i6GzR-Lw9x4

8,日本書紀の史料批判方法 (たつの市・日野智貴)

https://youtu.be/zT58RwfO_tUhttps://youtu.be/Zd8UyWmnyEg

9,消された和銅五年の九州王朝討伐譚 (川西市・正木 裕)

https://youtu.be/OqOClFljGrU

https://youtu.be/2gSPFCsgv2shttps://youtu.be/DBcmoWHqpjc


第2987話 2023/04/16

火の婚姻儀礼、

  九州西北部・信州・関東に分布

 昨日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月は都島区民センターで開催です。

 昨日の関西例会で、わたしは「律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現 ―中央官僚の母体は太宰府―」を発表しました。これは先月発表したテーマ(注①)の続編で、本年11月の〝八王子セミナー2023〟で発表予定の主要部分、七世紀の律令制王都・中央官僚群の成立と須恵器坏Bの出現時期に相関関係があるとする仮説です(注②)。その結果、七世紀前半から中頃にかけて大宰府政庁で最初に坏B(卓上使用のための食器)が本格使用されたとしました。

 今回、大原さんの発表で紹介された「火の婚姻儀礼」の分布図はとても興味深いものでした。同分布図は江守五夫さんの研究(注③)によるものとのことで、〝花嫁が火を跨いで婚家に入る〟という入家儀礼が九州西北部(肥前・肥後・豊後)と信州(長野県)と関東に濃密分布しています。北部九州と信州に古代まで遡るであろう密接な関係が遺っていることは今までも紹介してきたところですが(注④)、「火の婚姻儀礼」という共通点があることを今回初めて知りました。

 4月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔4月度関西例会の内容〕
① 後期九州王朝に関する仮説の再提起 (茨木市・満田正賢)
② 「藤原宮・京」呼称について (八尾市・上田 武)
③ 遺跡巡りハイキング(4月、石切神社・暗峠・枚岡神社・他)の報告 (萩野秀公・上田 武)
④ 律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現 ―中央官僚の母体は太宰府― (京都市・古賀達也)
⑤ 5月の遺跡巡りハイキングの案内 (豊中市 中本賢治)
⑥ 火を跨ぐ婚姻儀礼を見ていた裴世清 (大山崎町・大原重雄)
⑦『書紀』の史料批判― 「真実は痕跡を残す」 (川西市・正木 裕)
⑧ 天照大神とスサノオのウケヒで成る神々(概要) (大阪市・西井健一郎)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
5/20(土) 会場:都島区民センター ※JR京橋駅北口より徒歩10分。
6/17(土) 会場:エルおおさか(大阪府立労働センター) ※京阪天満橋駅より西300m。午後は「古田史学の会」記念講演会・会員総会。

(注)
①「七世紀、律令制王都の絶対条件 ―律令制官僚の発生と移動―」を発表した。
②古賀達也「太宰府出土須恵器杯Bと律令官制 ―九州王朝史と須恵器の進化―」『多元』167号、2022年。
③江守五夫「日本の婚姻 ―その歴史と民俗」日本基礎文化の民俗学的研究Ⅱ、弘文堂、1986年。
④古賀達也「洛中洛外日記」442話(2012/06/10)〝「十五社神社」と「十六天神社」〟
同「洛中洛外日記」483話(2012/10/16)〝岡谷市の「十五社神社」〟
同「洛中洛外日記」484話(2012/10/17)〝「十五社神社」の分布〟
同「洛中洛外日記」1065話(2015/09/30)〝長野県内の「高良社」の考察〟
同「洛中洛外日記」1240話(2016/07/31)〝長野県内の「高良社」の考察(2)〟
同「洛中洛外日記」1246話(2016/08/05)〝長野県南部の「筑紫神社」〟
同「洛中洛外日記」1248話(2016/08/08)〝信州と九州を繋ぐ「異本阿蘇氏系図」〟
同「洛中洛外日記」1260話(2016/08/21)〝神稲(くましろ)と高良神社〟
同「洛中洛外日記」1720話(2018/08/12)〝肥後と信州の共通遺伝性疾患分布〟
同「洛中洛外日記」2050話(2019/12/04)〝古代の九州と信州の諸接点〟
同「洛中洛外日記」2085話(2020/02/16)〝「筑後国風土記」の疾病記事と八面大王〟
同「多元的『信州』研究の新展開」『多元』136号、2016年。

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古田史学の会 東淀川区民会館 2023.04.15

4月度関西例会発表一覧(ファイル・参照動画)

 YouTube公開動画は①②③です。参照PDF動画は古賀のみです。

1,後期九州王朝に関する仮説の再提起 (茨木市・満田正賢)

https://www.youtube.com/watch?v=ddTOPiHaHdg

https://www.youtube.com/watch?v=MRaujps7WTE

2, 「藤原宮・京」呼称について (八尾市・上田 武)
https://www.youtube.com/watch?v=yxbvsx9hyds

https://www.youtube.com/watch?v=cMyTHKbueRU

https://www.youtube.com/watch?v=57FxJJOx5zo

3, 遺跡巡りハイキング
(4月、石切神社・暗峠・枚岡神社・他)の報告 (萩野秀公・上田 武)
Youtube動画はありません。

4, 律令制王都の誕生と須恵器坏Bの出現
―中央官僚の母体は太宰府― (京都市・古賀達也)

PDF動画https://www.youtube.com/watch?v=CFEL2JXs280

https://www.youtube.com/watch?v=nvvKQTUsy5Y

https://www.youtube.com/watch?v=i9mTsZlpDBQ

5,5月の遺跡巡りハイキングの案内 (豊中市 中本賢治)
Youtube動画はありません。

6火を跨ぐ婚姻儀礼を見ていた裴世清 (大山崎町・大原重雄)

https://www.youtube.com/watch?v=fxftMIQx3d8
https://www.youtube.com/watch?v=i6GzR-Lw9x4

7,『書紀』の史料批判― 「真実は痕跡を残す」 (川西市・正木 裕)

https://www.youtube.com/watch?v=xDIrINAVcrE

https://www.youtube.com/watch?v=M6FnNPugbs0

https://www.youtube.com/watch?v=ahrgKO8H7lk

8、天照大神とスサノオのウケヒで成る神々(概要)
(大阪市・西井健一郎)

   Youtube動画はありません。


第2969話 2023/03/19

『大安寺伽藍縁起』の

  仲天皇と袁智天皇 (1)

 3月17日の「多元の会」のリモート研究会では、藤田隆一さんから『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』(注①)の原文に基づく解説がなされ、とても勉強になりました。今まで同縁起の活字本による研究はしたことがありますが、やはり原文に基づいた研究の重要さを再認識することができました。しかも、藤田さんの解説によれば同縁起は天平十九年(747年)に作成された原本とのことで、もしそうであればなおさら貴重です。
以前から気になっていたのですが、同縁起には「仲(なか)天皇」と「袁智(おち)天皇」という『日本書紀』に見えない天皇名が記されており、特に「仲天皇」を誰とするのかについては諸説あり、未だ通説がないようです。両天皇は次の文脈中に現れます(注②)。

「爾時後岡基宮御宇 天皇造此寺
司阿倍倉橋麻呂、穗積百足二人任賜、以後、天皇行幸筑志朝倉宮、
將崩賜時、甚痛憂勅〔久〕、此寺授誰參來〔久〕、先帝待問賜者、如何答申〔止〕憂賜〔支〕、爾時近江宮御宇 天皇奏〔久〕、開〔伊〕髻墨刺〔乎〕刺、肩負鋸、腰刺斧奉爲奏〔支〕、仲天皇奏〔久〕、妾〔毛〕我妋等、炊女而奉造〔止〕奏〔支〕、爾時手拍慶賜而崩賜之」※〔〕内の時は小字。

「一帳像具脇侍菩薩八部等卅六像
右袁智 天皇坐難波宮而、庚戌年冬十月始、辛亥年春三月造畢」

 仲天皇と袁智天皇以外の天皇の場合は、次のように『日本書紀』などに見える宮号による表記を用いており、天平十九年(747年)成立の文書として穏当な様式です。

○小治田宮御宇太帝天皇〈推古〉
○飛鳥宮御宇天皇(癸巳年・633年)〈舒明〉
○飛鳥岡基宮御宇天皇(歳次己亥・639年)〈舒明〉
○前岡本宮御宇天皇(庚子年・640年)〈舒明〉
○後岡基宮御宇天皇〈斉明〉
○飛鳥岡基宮御宇天皇〈斉明〉
○近江宮御宇天皇〈天智〉
○淡海大津宮御宇天皇〈天智〉
○飛鳥淨御原宮御宇天皇(歳次癸酉・673年)〈天武〉
○淨御原宮御宇天皇(丙戌年七月・686年)〈天武〉
○飛鳥淨御原宮御宇天皇(甲午年・694年)〈持統〉
○後藤原宮御宇天皇〈文武〉
○平城宮御宇天皇(養老六年歳次壬戌・722年)〈元正〉
○平城宮御宇天皇(養老七年歳次癸亥・723年)〈元正〉
○平城宮御宇天皇(天平二年歳次庚午・730年)〈聖武〉
○平城宮御宇天皇(天平十六年歳次甲申・744年)〈聖武〉

 以上は『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』から天皇名を抜粋し、即位順・年次順に並べ替えたもので、重複するものなどは省きました。〈〉内はわたしによる比定です。このように天皇名が宮号で表記されているのですが、仲天皇と袁智天皇だけがこの表記ルールから外れています。これは同縁起編纂に当たり参考にした元史料に「仲天皇」「袁智天皇」とあり、そのまま転用したものと解さざるを得ません。そうであれば『日本書紀』に見えない両天皇を、九州王朝系の天皇と理解することが多元史観・九州王朝説では可能です。
ちなみに、国会図書館デジタルコレクションの『群書類従』所収『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』には、「仲天皇」を「件天皇」に、「袁智天皇」は「天智天皇」に置き換えられています。「仲(なか)」は「件(くだん)」の誤字と判断したうえでの原文改訂と思われますが、「袁智」を「天智」としたのは、八世紀後半頃に淡海三船により付されたとされる『日本書紀』の漢風諡号が天平十九年(747年)までに成立していなければならず、また同縁起には漢風諡号が見られないことからも、これは無理な原文改訂と思われます。いずれにしても、『群書類従』本の編者も、原文にあった「仲天皇」「袁智天皇」をそのままでは意味不明としていたことがうかがえます。(つづく)

(注)
①大安寺(奈良市)が天平十九年(747年)に国家に進上した縁起と財産目録。正暦寺(奈良市)に伝わった古本(重要文化財)が国立歴史民俗博物館に保管されている。同本を原本とする説と写本とする説があるようである。
②竹内理三編『寧楽遺文』中巻(東京堂、1962年)による。