古田史学の会一覧

第2722話 2022/04/17

横書き併用になった『九州倭国通信』No.206

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.206が届きました。同号には拙稿「七世紀末の近畿天皇家の実像 ―飛鳥・藤原宮木簡の証言―」を掲載していただきました。拙稿は、近畿天皇家(大和朝廷)による天皇号や律令の採用時期について論じ、近年の古田学派による九州王朝研究 を紹介したものです。
 同紙は前号からリニューアル(横書き併用、活字拡大など)がスタートし、今号にも横書きページが併用されていました。これも「九州古代史の会」代表幹事(会長)に就任された工藤常泰さんの野心的な取り組みの一つです。英文や数値を多用する論文は読み(書き)やすくなります。縦書きが主流の文系学術誌にも縦横併用が増えています。わたしが愛読している大阪歴博紀要も縦横併用で、考古学論文は横書き、文献史学論文は縦書きとなっており、読者には有り難い配慮です。


第2721話 2022/04/16

卑弥呼がもらった「尚方作」鏡

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月、5月21日(土)もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。また、会場は未定ですが、6月18日(土)の関西例会は午前中だけとなり、午後は『古代史の争点』(『古代に真実を求めて』25集)出版記念講演会と会員総会を開催することになりました。

 今回の例会では、重要な研究発表が続きました。なかでも服部静尚さんの、福岡県平原遺跡から出土した「尚方作」の銘文をもつ21面の銅鏡が鉛同位体分析から中国産であり、中国の天子の工房である尚方で造られたことを意味する「尚方作」銘文は倭国(卑弥呼)への下賜品にふさわしい〝しるし〟とする考察は見事でした。ただし、それらの鏡が出土した平原1号墳は方形周溝墓であるため、倭人伝に「径百余歩」(円墳を意味する)と記された卑弥呼の墓とは形状が異なることから、壹與の墓かも知れないとされました。同2号墳からの出土土器(庄内式)編年など精緻な年代判定が待たれるところですが、「尚方作」銘文鏡の分布(福岡県が最多)や「尚方作」の銘文が持つ意味の考察は画期的と思われました。
 正木裕さんの万葉歌に見える「大王」研究は、わたしが「洛中洛外日記」〝万葉歌の大王〟で続けている考察と関連するもので、199~202番歌などの「大王」「王・皇子」を具体的に検討され、199番歌の「わが大王」を九州王朝の天子「伊勢王」のこととされました。わたしの考察よりもさらに具体的で進んだ内容であり、興味深いものでした。

 発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔4月度関西例会の内容〕
①倭国の滅亡(姫路市・野田利郎)
②伊吉連博徳書の捉え方について(茨木市・満田正賢)
③「オホゴホリ」は大宰府の旧名(東大阪市・萩野秀公)
④九州年号の分布(京都市・岡下英男)
⑤銅鏡の分布と卑弥呼の鏡(八尾市・服部静尚)
⑥天智紀の工人と水城山城造営記事(大山崎町・大原重雄)
⑦万葉歌の「大王」は誰か(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 05/21(土) 10:00~17:00 会場:ドーンセンター
 06/18(土) 10:00~12:00 会場:未定 ※午後は出版記念講演会と会員総会

 


第2718話 2022/04/12

『古田史学会報』169号の紹介

 『古田史学会報』169号が発行されました。一面は谷本茂さんの〝「聃牟羅国=済州島」説への疑問と「聃牟羅国=フィリピン(ルソン島)」仮説〟です。『隋書』に見える聃牟羅国を済州島とする説に疑義を呈し、フィリピン(ルソン島)とする新説です。谷本さんはわたしの〝兄弟子〟にあたる古田学派の重鎮的研究者です。京都大学の学生時代から、古田先生のご自宅で研究成果を誰よりも早く聞いていたそうです。そうした御縁もあり、『「邪馬台国」はなかった』の発刊30周年記念講演会(2001年10月8日、朝日新聞東京本社別館小ホールにて)では、〝弟子〟らを代表して谷本さんが講演されました。演題は「史料解読方法の画期」でした。わたしも前座として、「古田史学の誕生と未来」という講演をさせていただきました。メインの古田先生の講演は「東方の史料批判 ―中国と日本―」でした。
 拙稿〝失われた飛天 ―クローン釈迦三尊像の証言―〟と〝大化改新詔の都は何処 ―歴史地理学による「畿内の四至」―〟の二編も掲載していただきました。〝失われた飛天〟は、法隆寺釈迦三尊像を三次元解析技術で造ったクローン像の写真を見てひらめいた論稿です。〝大化改新詔の都は何処〟は、古田史学の会・関西例会で発表された大化改新詔に関する主要三説を解説したものです。その中で、改新詔の畿内の四至について歴史地理学で考察した佐々木高弘さんの論文「『畿内の四至』と各都城ネットワークから見た古代の領域認知」を紹介しました。
 〝大化改新詔の都は何処〟を『古田史学会報』に投稿した後、佐々木論文で難波京から紀伊国へ向かう古代官道の「最短ルート」とされた〝孝子峠・雄ノ山峠越え〟は最短距離ではないとする指摘が正木裕さんから寄せられました。もっともな指摘でしたので、調査検討の上、改めて報告する機会を得たいと思います。
 169号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』169号の内容】
○「聃牟羅国=済州島」説への疑問と「聃牟羅国=フィリピン(ルソン島)」仮説 神戸市 谷本 茂
○失われた飛天 ―クローン釈迦三尊像の証言― 京都市 古賀達也
○「倭日子」「倭比売」と言う称号 たつの市 日野智貴
○天孫降臨の天児屋命と伽耶 京都府大山崎町 大原重雄
○大化改新詔の都は何処 ―歴史地理学による「畿内の四至」― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十五
 多利思北孤の時代⑪  ——多利思北孤の「東方遷居」について― 古田史学の会・事務局長 正木 裕
〇古田史学論聚第26集『古代に真実を求めて』の発刊につきまして
○古田武彦記念古代史セミナー2022のお知らせ
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西例会のご案内
○2022年度の会費納入のお願い


第2709話 2022/03/30

『東京古田会ニュース』No.203の紹介

 昨日、『東京古田会ニュース』203号が届きました。拙稿「大和『飛鳥』と筑紫『飛鳥』」を掲載していただきました。古田先生の小郡市の字地名「飛島(とびしま)」飛鳥説をはじめ、正木さんの筑前・筑後広域飛鳥説、服部さんの太宰府「飛鳥浄御原宮」説を紹介し、通説の大和飛鳥説と比較したものです。そして考古学成果と『日本書紀』の飛鳥記事との齟齬が考古学者から指摘されている近年の状況について説明しました。
 同号に掲載された皆川恵子さん(松山市)の論稿「意次と孝季in『和田家文書』その1」には、ベニョフスキー事件の紹介があり勉強になりました。1771年に起こった同事件は、ポーランド人の対ロシア抵抗組織に加わりロシアの捕虜となりカムチャッカ半島に流刑されたモーリツ・ベニョフスキーが船で脱走し、土佐で飲料水を補給し、さらに南下して奄美大島に上陸して、そこからオランダ商館長に書簡(注)を出し、ロシアの北海道(松前)攻撃計画を知らせたというものです。
 ロシアによるウクライナ侵略を目の当たりにしていることもあり、興味深く拝読しました。

(注)ベニョフスキー書簡 1771年7月20日付。ハーグ市の国立中央図書館蔵。


第2708話 2022/03/28

『古代史の争点』

(『古代に真実を求めて』25集)の紹介

 「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』25集が明石書店より発刊されました。同書タイトルは『古代史の争点』で、大原重雄さんが編集長になられて初めての会誌です。同書は「古代史の争点」として、「邪馬台国」・倭の五王・聖徳太子・大化の改新・藤原京と王朝交代を特集テーマとしたもので、大原さんの発案です。
 本書では拙稿三編が採用されましたが、正木さんには全てのテーマで原稿を書いていただきました。それは九州王朝通史概論ともいうべき内容で、この10年間の古田史学の会・関西例会での論争や検証を経たものです。また、古田学派の重鎮的研究者である谷本さんからもハイレベルの論文二編をいただきました。常連執筆者の服部さん、別役さんからも原稿をいただきました。いずれも読み応えのある秀作です。
 こうした論文を収録して、価格も2,200円(税別)に押さえることができました。執筆者、編集部のみなさんや明石書店の森さんに御礼申し上げます。『古代史の争点』が古代史ファンや研究者に支持され、後世に残る一冊になることを願っています。

《『古代史の争点』(『古代に真実を求めて』25集)の収録論文》
□特集 古代史の争点□
―「邪馬台国」・倭の五王・聖徳太子・大化の改新・藤原京と王朝交代―

【邪馬台国】
「邪馬台国」大和説の終焉を告げる 古賀達也
―関川尚巧著『考古学から見た邪馬台国大和説』の気概―
「邪馬台国」が行方不明となった理由 正木 裕

【倭の五王】
俾弥呼・壹與から倭の五王へ 正木 裕
コラム① 『鬼滅の刃』ブームと竈門神社 別役政光

【聖徳太子】
二人の聖徳太子「多利思北孤と利歌彌多弗利」 正木 裕
聖徳太子と仏教 ―石井公成氏に問う― 服部静尚
「鴻臚寺掌客・裴世清=隋・煬帝の遣使」説の妥当性について 谷本 茂
―『日本書紀』に於ける所謂「推古朝の遣隋使」の史料批判―
コラム② 小野妹子と冠位十二階の謎 谷本 茂
コラム③ 教科書から聖徳太子は消えるのか? 別役政光

【大化の改新】
九州王朝と大化の改新 ―盗まれた伊勢王の即位と常色の改革― 正木 裕
九州王朝の全盛期 ―伊勢王の評制施行と難波宮造営― 正木 裕
コラム④ 北部九州から出土したカットグラスと分銅 古賀達也

【藤原京と王朝交代】
王朝統合と交代の新・古代史 ―文武・元明「即位の宣命」の史料批判― 古賀達也
王朝交代の真実 ―称制と禅譲― 服部静尚
中宮天皇 ―薬師寺は九州王朝の寺― 服部静尚


第2686話 2022/02/19

七世紀の須恵器「服部編年」

 本日はドーンセンターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月、3月19日(土)はアネックスパル法円坂で開催します(参加費1,000円)。
 今回の例会で見事だったのが服部静尚さんによる、飛鳥・難波・河内の七世紀の須恵器編年「服部編年」の発表でした。当研究は昨年12月に開催された大阪歴史学会考古学部会で発表されたもので、概要については同月の関西例会でも報告されましたが、今回は諸遺跡の新編年を提示・詳述されました。
 まず、服部さんは飛鳥と難波・河内の須恵器編年において、次の三点の基準を示されました。

1. 飛鳥と難波・河内は文化的に一体とみなし、これらを包含する基準とする。飛鳥編年に難波宮・狭山池を加える。
2. 各編年は須恵器「杯」に集約されると見られる。これに焦点を合わせた基準とする。杯H・G・Bの数量比率を中心に。
3. 考古学の所見を編年基準にする。年輪年代・干支年木簡を編年基準に。

 この三基準により各遺跡を編年すると、『日本書紀』の記事に基づいた従来の飛鳥編年とは全く異なる年代観が現れました。この新たな「服部編年」は基準が合理的で、杯H・G・Bの出土数量比率を中心に編年するという方法が簡明であり、その論理構造は強固(robust)です。論文発表が待たれます。

 発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔2月度関西例会の内容〕
①胡床と朝床とあぐらをかく埴輪 (大山崎町・大原重雄)
②乙巳の変と九州王朝の関係についての一考察 (茨木市・満田正賢)
③孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白 (八尾市・服部静尚)

(参考)
孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220219@ドーンセンター@古田史学の会@29:01@DSCN0458
孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220219@ドーンセンター@古田史学の会@12:41@DSCN0461
孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220219@ドーンセンター@古田史学の会@09:58@DSCN0463
孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220219@ドーンセンター@古田史学の会@06:32@DSCN0464

④アサクラの語源について (東大阪市・萩野秀公)
⑤長田王の「伊勢娘子の歌」は隼人討伐時に糸島でよまれた歌 (川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 03/19(土) 10:00~17:00 会場:アネックスパル法円坂
 04/16(土) 10:00~17:00 会場:ドーンセンター

 


第2682話 2022/02/14

『古田史学会報』168号の紹介

 『古田史学会報』168号が発行されました。一面は正木事務局長の〝「邪馬壹国九州説」を裏付ける最新のトピックス〟です。同稿は昨年12月に開催された和泉史談会(辻野安彦代表)での講演のエッセンスです。同講演内容は奈良新聞(12月28日付)の第4面(カラー)の一頁全てを使って〝「邪馬壹国九州説」有力 考古学・科学分析で確実に〟と紹介されたもので、『古田史学会報』令和四年の冒頭を飾るにふさわしいものです。
 拙稿〝失われた九州王朝の横笛 ―「樂有五弦琴笛」『隋書』俀国伝―〟と〝古今東西の修学開始年齢 ―『論語』『風姿華傳』『礼記』『国家』―〟の二編も掲載していただきました。野田稿〝『隋書』の「水陸三千里」について〟は関西例会で論争を巻き起こした仮説です。今後の検証や展開が期待されます。吉村稿と大原稿は同じく関西例会で発表された考古学論文で、いずれも興味深いテーマを取り扱ったものです。文献史学の論稿が多い『古田史学会報』にあって、こうした考古学分野の研究は貴重です。

 168号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』168号の内容】
○「壹」から始める古田史学・三十四
 「邪馬壹国九州説」を裏付ける最新のトピックス 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○失われた九州王朝の横笛 ―「樂有五弦琴笛」『隋書』俀国伝― 京都市 古賀達也
○『隋書』の「水陸三千里」について 姫路市 野田利郎
○科野と九州 ―「蕨手文様」への一考察ー 上田市 吉村八洲男
○栄山江流域の前方後円墳について 京都府大山崎町 大原重雄
○古今東西の修学開始年齢 ―『論語』『風姿華傳』『礼記』『国家』― 京都市 古賀達也
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○編集後記 西村秀己


第2672話 2022/02/01

『東京古田会ニュース』No.202の紹介

 昨日、『東京古田会ニュース』202号が届きました。拙稿「古代山城研究の最前線 ―前期難波宮と鬼ノ城の設計尺―」を掲載していただきました。
 昨年11月の八王子セミナー(注①)で、古代山城の造営を五世紀の倭の五王時代とする意見や古代山城は詳しい調査がなされておらず年代を決定できるような出土品はないとする見解が出されていましたので、同論稿では最新の山城研究の成果を紹介し、多くの出土物に基づき七世紀後半から八世紀の築城であるとする見解が考古学者から有力視されていることを説明しました。同時に鬼ノ城や鞠智城などは八世紀になると土器が激減し、廃絶されたとする説があることから、この現象を701年の九州王朝から大和朝廷への王朝交替の痕跡とする説を発表しました。
 更に、鬼ノ城の礎石建物の造営に前期難波宮と同じ基準尺(29.2cm)が採用されており、このことから従来の土器編年では八世紀とされた同遺構が七世紀後半に遡る可能性があるとする調査報告書(注②)の見解を紹介しました。この事実は、前期難波宮と鬼ノ城が共に九州王朝系勢力による造営であること、七世紀の土器編年に四半世紀ほどのぶれがあることを示唆しているとしました。
 古田史学の会・関西例会などで報告されてきた服部静尚さんの「小田富士雄氏の瓦編年に疑問を呈する」も掲載されており、たとえば北部九州出土の百済系単弁瓦を七世紀後半以降とする従来の編年は誤っており、七世紀前半まで遡るとされました。古田学派内に於いて、エビデンスを提示した考古学論文が発表される傾向は、文献史料の解釈論にとどまらない多元史観・九州王朝説の進展をうかがわせるものではないでしょうか。

(注)
古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代― 実施報告。公益財団法人大学セミナーハウス主催、2021年11月13~14日。
②『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書236 史跡鬼城山2』岡山県教育委員会、2013年。


第2671話 2022/01/31

ミニ講演会「化学者が語る古代史」

 先週、上京区の喫茶店「うらのつき」さんで古代史のミニ講演会を行いました。妻が懇意にしているお店で、以前からご要請いただいていたこともあり、一念発起して「化学者が語る古代史」として話させていただきました。
 それほど広いお店ではないためやや密になりましたが、参加者には医療関係者もおられ、コロナ対策は万全でした。参加者からは古代史以外に化学や政治についても質問や意見がだされ、「元気が出た」と好評だったようです。毎月行ってほしいとのことでしたので、参加者と話題が続く限り行うことにしました。
 当日、使用したレジュメを転載します。

令和四年(2022年)1月26日
うらのつき古代塾
―化学者が語る日本古代史―
         講師 古賀達也
《講師紹介》
福岡県久留米市出身
京都の化学会社に45年間勤務(色素化学・染色化学)
古田武彦氏(1926-2015年 日本古代史・親鸞研究)に師事
古田史学の会・代表(全国組織、会員約400名)
著書(共著) 『「九州年号」の研究』、『邪馬壹国の歴史学』、『九州王朝の論理』、他

《前話》 理系のわたしの歴史研究
(1)歴史学は犯罪捜査と共通する性格を持つ
 ①どちらも過去に起こった事件の真実(真相)を解明する。
 ②証拠と動機(なぜ?)の解明が必要。
 ③ただし弁護士がつかない⇒冤罪発生のリスクが伴う。
(2)最新科学は正しいのか
〈アポロ計画〉実績がある旧技術を採用し、人類を月面に送った。
〈足利事件〉当時、最先端の科学技術DNA鑑定で有罪⇒悲劇的な冤罪が発生した。
〈和歌山カレー毒物事件〉最新科学装置によるヒ素の分析により有罪判決⇒因果関係が非論理的で冤罪の可能性がある。
(3)教科書に書かれている日本古代史は前提から間違っている。
〈日本古代史の前提〉大和朝廷が日本列島の唯一の卓越した王朝である。⇒この『古事記』『日本書紀』の記述は信用してもよいのか。

《第一話》 学校では教えない本当の古代史
(1)大和朝廷の最初の年号は大化か?
 ■『日本書紀』の三年号
 「大化」645~649年 「白雉」650~654年 「朱鳥」686年
 ■「改元」と「建元」 ※「建元」は王朝の最初の年号で、一回しかない。後は王朝が滅ぶまで「改元」が続く。
 大化改元(645年)、白雉改元(650年)、朱鳥改元(686年)『日本書紀』の三年号は全て「改元」とある。
 大宝建元(701年)『続日本紀』大宝以降は改元が連続して続き、令和に至る。
(2)「白鳳時代」「白鳳文化」の「白鳳」とは何か?
 「白鳳」(661~683年)は九州年号の一つ。九州年号は、「継体」元年(517年)から「大長」九年(712年)まで連続して続く。九州年号の中に「白雉」(652~660年)、「朱鳥」(686~694年)、「大化」(695~704年)がある。⇒『日本書紀』は他の王朝の年号(九州年号)を転用している。
(3)地名に遺された「九州」「太宰府」「内裏(大裏)」とは何か?
(4)金印(国宝)はなぜ志賀島(福岡市)から出土したのか?
 「漢委奴国王」を「かんのわのなのこくおう」とは読めない。⇒漢の委奴(ゐの)国王。
(5)博多湾岸に飛来する渡り鳥の名はなぜ「都鳥(ミヤコドリ)」なのか?
(6)古代中国の史書は倭国(日本国)をどのように記しているか?

〔『隋書』倭(俀)国伝の証言〕
 倭国王の名前は阿毎多利思北孤(アメ・タリシホコ)で男性(奥さんがいる)。太子の名前は利歌彌多弗利(リ・カミタフリ)。当時の大和朝廷の天皇は推古天皇で女性。隋の使者は倭国王に面会しており、倭国王が男か女かを見間違うとは考えられない。
 また、倭国には阿蘇山があり、隋使はその噴火を見ている。「阿蘇山あり。その石、故なくして火を起こし、天に接す。(有阿蘇山其石無故火起接天)」と記している。

〔『旧唐書』倭国伝・日本国伝の証言〕
 日本列島には倭国と日本国があり、両国は別の国とされている。「日本国は倭国の別種なり。(日本國者、倭國之別種也)」と記している。そして、「日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あ)わす。(日本舊小國、併倭國之地)」と記し、日本国(大和朝廷)が倭国(九州王朝)を併合したとある。古代の日本列島で王朝交替があった。
(7)中国史書と『日本書紀』はどちらが信用できるのか?
 勝者が自らのために創作した歴史書(『日本書紀』)は、〝容疑者の証言〟であり、そのまま証拠として採用してはならない。〝うらどり〟が必要。
 中国史書の倭国伝・日本国伝は、隣国の観察記録であり、言わば防犯カメラの録画のようなもの。精度の差はあるが、基本的に証拠として採用できる。


第2662話 2022/01/15

韓国の前方後円墳が意味するもの

 本日はi-siteなんばで「古田史学の会」関西例会が開催されました。午後は新春古代史講演会が開催されました。来月、2月19日(土)はドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。

 今回の例会は午前中だけのため、野田さんと大原さんによる三件の発表でした。その中で特に考えさせられたのが、大原さんによる韓国の前方後円墳についての考察でした。栄山江流域で発見が続いた前方後円墳について、その石室や副葬品から大和ではなく九州の勢力との関係が確実視されていることから、倭の五王の時代での九州王朝(倭国)の影響力や支配領域が韓半島に及んでいた痕跡と考えてきました。
 そうした見方に対して大原さんは「そこに前方後円墳があるからといって倭国の支配地とはならない。」とされ、その理由として日本列島内の「渡来人の施設が多く見られるところを他国の占領地とは考えない。」「また、列島に前方後円墳がある地域は、ヤマト王権の支配地だとは言い切れないのと同じこと」と指摘されました。言われてみればその通りです。韓国の前方後円墳について、もっと深く考察する必要を痛感しました。

 発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。

〔1月度関西例会の内容〕
①津軽海峡の認識 (姫路市・野田利郎)
②栄山江流域の前方後円墳をどうとらえるか (大山崎町・大原重雄)
③天若日子が休息する胡床に関して (大山崎町・大原重雄)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 02/19(土) 10:00~17:00 会場:ドーンセンター


第2661話 2022/01/14

活字が大きくなった『九州倭国通信』No.205

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.205が届きました。同号には拙稿「文字文化が花開く弥生の筑紫」を掲載していただきました。拙稿は、近年発見が続く弥生時代の硯についての柳田康雄さんの「倭国における方形板石硯と研石の出現年代と製作技術」(『纒向学研究』第八号、2020年)と久住猛雄さんの「松江市田和山遺跡出土「文字」板石硯の発見と提起する諸問題」『古代文化』(Vol.72-1 2020年6月)を紹介したものです。
 同紙は、今号から活字が大きくなりました。ご高齢の読者にはありがたい改善です。これは「九州古代史の会」代表幹事(会長)に就任された工藤常泰さんの新たな取り組み成果の一つです。そのため、投稿規定の字数制限が厳しくなりましたが、わたしも協力させていただくことにし、拙稿の字数を従来よりも半減させました。資料の紹介や論証は要点のみに絞り込みましたが、読みやすい文章になったのではないかと思います。


第2656話 2022/01/07

令和4年新春古代史講演会1月15日

令和4年新春古代史講演会1月15日

令和四年新春古代史講演会の画期

 1月15日(土)に開催される新春古代史講演会は学問的に重要なテーマがお二人の講師により発表されます。それは七世紀後半における倭国の王都王宮に関する考古学と文献学のコラボ講演会と言えるもので、古田史学・多元史観にとって重要な仮説発表の場となるからです。演題と講師は次の通りです。

○「発掘調査成果からみた前期難波宮の歴史的位置づけ」 講師 佐藤隆さん(大阪市教育委員会文化財保護課副主幹)
○「文献学から見た前期難波宮と藤原宮」 講師 正木裕さん(大阪府立大学講師、古田史学の会・事務局長)

 佐藤隆さんは大阪歴博の考古学者として難波の発掘調査にたずさわられ、次の論文に代表される画期的な研究成果を発表されてきた考古学者です。

①「古代難波地域の土器様相とその歴史的背景」『難波宮址の研究 第十一 前期難波宮内裏西方官衙地域の調査』大阪市文化財協会、2000年。
②「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」『大阪歴史博物館 研究紀要』第15号、2017年。
③「難波京域の再検討 ―推定京域および歴史的評価を中心に―」『大阪歴史博物館 研究紀要』第19号、2021年。

 ①は土器の難波編年の論文で、『日本書紀』の記事に大きく依存している従来の飛鳥編年に比べて、年輪年代測定や干支木簡などの信頼性の高い資料に基づいて難波編年は暦年とリンクされており、特に七世紀では最も優れた編年です。
 ②は、七世紀後半の難波と大和の出土土器量などの比較により、『日本書紀』の記事と考古学出土事実が異なっていることを明言した画期的論文です。近年の考古学論文で最も優れたものとわたしは高く評価しています。
 ③は従来条坊の有無が不明だった前期難波宮の北西側に、基準尺が29.2cmで造営された条坊の存在を明らかにしたもので、難波宮の南側に広がる条坊の造営尺(29.49cm)とは異なり、前期難波宮造営尺(29.2cm)に一致しているとされた論文です。前期難波宮の条坊に異なる二つの基準尺が採用されていることが明らかとなりました。
 これらの佐藤さんの業績は素晴らしいもので、わたしたち古田学派にとっては、それではなぜ②や③の現象が発生したのかという疑問を抱き、多元史観・九州王朝説の視点から解明することが課題となります。講演会でそれらの問題解決のヒントが得られることを期待しています。
 佐藤さんの講演を受けて、正木さんからは難波京から藤原京への展開についての九州王朝説による最新研究が発表されます。佐藤さんが明示された考古学事実に、正木さんによる文献学によってどのような歴史像がを示されるのか、わたしは注目しています。古田史学ファンの皆さんや研究者には是非とも聞いていただきたい新春古代史講演会です。

《新春古代史講演会の概要》
◇日時 1月15日(土) 13時30分から17時まで
◇会場 i-site なんば(大阪府立大学なんばサテライト)
◇参加費 1,000円
◇主催(共催) 古代大和史研究会、和泉史談会、市民古代史研究会・京都、市民古代史研究会・東大阪、誰も知らなかった古代史の会、古田史学の会

講演掲載

多元史観と文献学(『書紀』の資料批判)から見た前期難波宮と藤原宮 正木裕

 
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なお、佐藤先生の講演には近日に論文発表される内容があり現在は公開できません。
(発表後、先生のご了解をいただければ公開も検討したいと思います。)