古田史学の会一覧

第2905話 2023/01/01

令和四年の回想「新時代の予感」

「古田史学の会」の皆さん、「洛中洛外日記」読者の皆さん、古田ファンの皆さん、古代の真実を愛する皆さん、新年のご挨拶を申し上げます。令和四年(2022)は内外ともに衝撃的で暗い事件が多く、恐らく歴史の転換点の年として記憶されるのではないでしょうか。ここでは古田史学と「古田史学の会」に焦点を絞って令和四年を振り返ってみます。
もっとも象徴的で印象に残ったことが二つあります。一つは、奈良新聞に正木さんの講演記事が大きく掲載されたことです。これは偶然でも僥倖でもなく、関係者による数年にわたる地道な努力の賜物です。このことに深く感謝しています。
二つ目は、インターネットを利用したリモート会議システム(zoom、skype)の研究会活動への採用です。このシステムのおかげで、わたしは多元的古代研究会や東京古田会の例会などに参加させていただくことができ、関東や東北他方の研究者と学問的交流と信頼関係を深めることができました。わたし自身も多くのことを学ぶことができ、今まで知らなかった優れた研究者との出会いも続いています。わたしも研究発表のご依頼をいただくこともあり(注)、自らの研究や認識を見直すよい機会にもなっています。また、「古田史学リモート勉強会」を開催し、今まで機会がなかった遠方の研究者との交流をわたしも始めました。
この二つの事例は、十年前であれば想像もできなかったことであり、わたしたちが歴史の転換点に立っていることを暗示しているように思います。今、このときが新時代なのかもしれません。
最後にわたし個人のことですが、定年退職後二年を経て、ようやく体調が改善しました。定年前十年間のハードワークがたたり、身体はぼろぼろでしたので、養生を続けて薬の服用を全てやめることができました。これからは学問研究と「古田史学の会」の運営、古田学派全体への貢献に尽力する所存です。皆さんのご支援、ご教導をお願いいたします。

(注)本年1月と3月の東京古田会主催「和田家文書研究会」で発表予定です。


第2904話 2022/12/31

『多元』No.173の紹介

友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.173が届きました。同号には拙稿「宮名を以て天皇号を称した王権」を掲載していただきました。同稿は、『東京古田会ニュース』二〇六号(二〇二二年九月)に掲載された橘高修さん(東京古田会・事務局長、日野市)の論稿「『船王後墓誌』から見える近畿王朝」での重要な指摘を受けて著したものです。それは次の指摘です。

「(古田説によれば、船王後墓誌に見える)宮は天皇ごとに違うので、九州王朝は国王が変わるたびに中心となる宮の場所が変わる制度をもっていたことになるわけです。国王が変わるごとに年号が変わることは一般的と思われますが、宮の場所まで変わるとなるとどういうことになるのでしょうか。『天皇の坐す宮』と大宰府などの政庁はどういう関係だったのだろうか」 ※()内は古賀による補記。

この橘高さんの問題提起を受けて、九州王朝(倭国)が七世紀前半頃に恒久的都城・宮として「太宰府」条坊都市(名称はおそらく「倭京」)を造営した後、そこで即位・君臨した天子は何と呼ばれたのかについて考証したものです。関東の研究者たちとの学問的交流により、わたしの問題意識が深められました。
当号には和田昌美さん(多元的古代研究会・事務局長)による「一年を顧みて」が掲載されています。そこで七世紀の太宰府の編年研究について次のように述べています。

 「太宰府は九州王朝の首都の有力候補地と考えられます。しかし、その首都機能の成立年代はなかなか確定しません。(中略)新たな論拠、新たな物証が見つかった時点で議論を前に進めることが賢明なのではないかと愚考します。」

太宰府成立研究におけるエビデンス(出土物など)に基づく新たな研究を示唆されたものです。既存エビデンスの精査をはじめ、新たなエビデンスや視点に基づいた研究を進めたいと思います。


第2897話 2022/12/18

天孫に君臨する菩薩天子

 昨日はエル大阪(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月はキャンパスプラザ京都6階(ビックカメラJR京都店の北)で開催します。午後は恒例の新春古代史講演会(注)を同施設4階で開催します。

 このところ研究ジャンルが広がり、ハイレベルの発表が続いている関西例会ですが、発表テーマをご覧になってわかるように、今月も様々な研究が発表されました。とりわけ、わたしが注目したのが日野さんの倭国(九州王朝)の政治思想についての研究です。やや説明や論理構造が難解だったこともあり、疑問意見が続出しましたが、多利思北孤が菩薩戒を受けたのは、「菩薩天子」となることにより、国内の天孫諸豪族の上位に立つためであるとする見解は鋭い指摘だと感心しました。
 仏教思想では仏や菩薩は諸天善神よりも上位であり、倭王(天子)は出家しなくても受戒できる菩薩天子となることにより、天孫降臨以来の多くの天神の末裔たちの上に宗教的にも世俗的にも君臨することができたというのが、日野説の論点です。この統治思想は隋の煬帝も持っていたとのことで、おそらく多利思北孤はそれに倣い、国内統治のために仏教を国家的に受容したことになります。ちなみに、王朝交代後の大和朝廷でも聖武天皇らにより採用されています。古代史と思想史を融合したこの日野さんの研究に注目しています。

 12月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔12月度関西例会の内容〕
①『隋書』俀国伝の二つの都 (姫路市・野田利郎)
②常世国と非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)について ―大原重雄氏の『日本書紀』の史料批判の方法をめぐって― (神戸市・谷本 茂)
③縄文語で解く記紀の神々・第九話 カグツチ神から生じた神々 (大阪市・西井健一郎)
④消された詔と移された事情(前) (東大阪市・萩野秀公)
⑤聖地の記述に隠された王朝交代 (茨木市・満田正賢)
⑥縄掛け突起や石棺の形状の系譜 (大山崎町・大原重雄)
⑦傾斜のある石棺 (大山崎町・大原重雄)
⑧今城塚古墳の特徴から垣間見える騎馬遊牧民の姿 (大山崎町・大原重雄)
⑨十七条憲法と「菩薩天子」イデオロギーの違い (たつの市・日野智貴)
⑩同時代史料で九州王朝の天皇はどう呼ばれていたか (八尾市・服部静尚)
⑪多賀城碑から「東西5月行、南北3月行」を検証する (川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 01/21(土) 会場:キャンパスプラザ京都(京都市下京区、ビックカメラJR京都店の北)

(注)
【令和5年 新春古代史講演会 よみがえる京都の飛鳥・白鳳寺院】
□日時 2023年1月21日(土) 午後1時開場~5時
□会場 キャンパスプラザ京都 4階第3講義室 定員170名
□主催 市民古代史の会・京都、古田史学の会・他
□参加費 500円(資料代) ※学生は学生証提示で無料
□講師・演題
 高橋潔氏(公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所 資料担当課長)
     「京都の飛鳥・白鳳寺院 ―平安京遷都前の北山背―」
 古賀達也(古田史学の会・代表)
     「『聖徳太子』伝承と古代寺院の謎」


第2894話 2022/12/13

『古田史学会報』173号の紹介

 『古田史学会報』173号が発行されました。一面には拙稿〝蝦夷国への仏教東流伝承 ―羽黒山「勝照四年」棟札の証言―〟を掲載していただきました。本稿は羽黒山神社にあった「勝照四年(588年)」銘棟札の史料批判の結果、勝照四年が倭国(九州王朝)から蝦夷国への仏教伝来年次を示すものであることを論じたものです。倭国(九州王朝)に仏教が伝来したのは418年とする研究(注)を発表したことがありますが、その170年後に蝦夷国(羽黒山)に仏教が東流したことになります。

 この他に、日野智貴さんの物部氏研究に関する論稿2編が掲載されました。いよいよ古田学派に於ける本格的な物部氏研究の始まりです。どのような展開となるのかはわかりませんが、重要テーマですので、多くの研究者に注目していただければと思います。

  173号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』173号の内容】
○蝦夷国への仏教東流伝承 ―羽黒山「勝照四年」棟札の証言― 京都市 古賀達也
○新春古代史講演会(1月21日 キャンパスプラザ京都)のお知らせ
○九州物部氏の拠点について たつの市 日野智貴
○伊吉連博徳書の捉え方について 茨木市 満田正賢
○「丹波の遠津臣」についての考察 京丹後市 森 茂夫
○七世紀における土佐国「長岡評」の実在性 高知市 別役政光
○田道間守の持ち帰った橘のナツメヤシの実のデーツとしての考察 京都府大山崎町 大原重雄
○弓削氏と筑紫朝廷 たつの市 日野智貴
○「壹」から始める古田史学・三十九
「太宰府」と白鳳年号の謎Ⅰ 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会・関西例会のご案内

(注)古賀達也「倭国に仏教を伝えたのは誰か ―「仏教伝来」戊午年伝承の研究―」『古代に真実を求めて』第一集、古田史学の会編、1996年。1999年に明石書店から復刊。


第2887話 2022/12/04

よみがえる京都の飛鳥・白鳳寺院2023年 1月21日(土)

京都の秦氏と『隋書』俀国伝の秦王国

 来年1月21日(土)の新春古代史講演会のテーマと演題が次のように決まりました。

〔テーマ〕
□よみがえる京都の飛鳥・白鳳寺院
〔講師・演題〕
□高橋潔氏(京都市埋蔵文化財研究所 資料担当課長)
 京都の飛鳥・白鳳寺院 ―平安京遷都前の北山背―
□古賀達也(古田史学の会・代表)
 「聖徳太子」伝承と古代寺院の謎

 高橋氏の考古学的成果の発表を受けて、わたしからは考古学と文献史学による、京都市(北山背)の古代寺院群と九州王朝(倭国)との関係について論じる予定です。
 同講演に備えて、発掘調査報告書の精査と文献史学による京都(北山背)の研究を進めていますが、わたしが最も注目しているのは、北山背の渡来系氏族とされる秦氏の存在です。七世紀の古代寺院の造営にあたり秦氏が大きな役割をはたしたと通説では説明されているのですが、この秦氏と『隋書』俀国伝に見える秦王国とは関係があるのではないかと考えています。
 この秦氏の「秦」は、「はた」あるいは「はだ」と訓まれていますが、本来は「しん」であり、渡来後のある時期に「はた」「はだ」の訓みが与えられたとする記事が『新撰姓氏録』には見えます。従って、秦(しん)氏と秦(しん)王国は関係があるのではないでしょうか。俀国伝の行程記事に見える秦王国の位置については諸説ありますが、わたしは古田先生が推定された筑後川流域説(注)を支持しています。そして、その地に割拠した渡来系集団としての秦氏は、太宰府条坊都市の造営に貢献したのではないでしょうか。
 その秦氏の一派が倭の五王や多利思北孤の東征に伴って、北山背にも入り、当地の古代寺院群の創建に関わったとする仮説をわたしは検討しています。更には平安京造営にもその秦氏が深く関わったのではないかと考えています。(つづく)

(注)古田武彦『邪馬一国の証明』角川文庫、1980年。後にミネルヴァ書房より復刊。


第2885話 2022/11/29

『東京古田会ニュース』No.207の紹介

本日、『東京古田会ニュース』207号が届きました。拙稿「『東日流外三郡誌』公開以前の史料」を掲載していただきました。同稿は和田家文書調査を開始した1994年頃からの思い出やエピソードを紹介したもので、昭和50年(1975年)から『市浦村史』資料編として世に出た『東日流外三郡誌』よりも先に公開された和田家文書について詳述しました。それは次のような資料です。

一、「飯詰町諸翁聞取帳」 昭和24年(1949年)
『飯詰村史』に和田家から提供された「飯詰町諸翁聞取帳」が多数引用されています。『飯詰村史』は昭和26年(1951年)の刊行ですが、編者の福士貞蔵氏による自序には昭和24年(1949年)の年次が記されており、終戦後間もなく編集されたことがわかります。福士氏は「飯詰町諸翁聞取帳」を『陸奥史談』第拾八輯、昭和26年(1951年)にも紹介しています。「藤原藤房卿の足跡を尋ねて」という論文です。

二、開米智鎧「役小角」史料 昭和26年(1951年)
『飯詰村史』で和田家の「役小角」史料を紹介されたのが開米智鎧氏(飯詰・大泉寺住職)です。開米氏は「青森民友新聞」にも和田家発見の遺物について、昭和31年(1956年)11月1日から「中山修験宗の開祖役行者伝」を連載し、翌年の2月13日まで68回を数えています。さらにその翌日からは「中山修験宗の開祖文化物語」とタイトルを変えて、これも6月3日まで80回の連載です。

三、開米智鎧『金光上人』昭和39年(1964年)
和田家から提供された金光上人関連文書に基づいて著された金光上人伝が『金光上人』昭和39年(1964年)です。同書には多くの和田家文書が紹介されています。

来年1月14日(土)に開催される「和田家文書」研究会(東京古田会主催)で、これらについて詳しく説明させていただきます。


第2874話 2022/11/07

「古田史学の会」入会案内を作成

 この度、「古田史学の会」では会員募集のための入会案内を作成しました。A4サイズを三つ折りにしたもので、両面に博多湾の志賀島・能古島などの遠景をフルカラー印刷したものです。デザイン・レイアウトは久冨直子さん(『古代に真実を求めて』編集部)に担当していただきました。なかなかの出来映えです。
 次の説明文を中心に、入会方法や活動内容、連絡先、「古田史学の会」発行書籍紹介などが掲載されています。これからも改訂を加え、最終的には郵便振込用紙を併記し、会員増加に役立てたいと考えています。

【「古田史学の会」の案内】
 「古田史学の会」は、思想史学者・歴史学者の古田武彦(ふるた たけひこ)氏(1926-2015)の学説を支持する有志による古田氏を囲んでの講演会・研究会活動を母体とし、1994年4月に創設されました。
 古田氏が提唱した独自の古代史観(邪馬壹国博多湾岸説、多元史観、九州王朝説など)は「古田史学」と総称されます。親鸞研究なども含め80冊を越える古田氏の著書は、氏亡き後も今なお多くの読者に支持されています。


第2873話 2022/11/06

『多元』No.172の紹介

 友好団体「多元的古代研究会」の会誌『多元』No.172が届きました。同号には拙稿「藤原宮下層条坊と倭京」を掲載していただきました。同稿は、藤原宮(大宮土壇)下層から出土した条坊跡を根拠に、条坊建設当初の王宮は大宮土壇の北西の長谷田土壇にあったのではないかとする仮説を論じたものです。そして、その後に藤原京条坊域は東へ拡張され、その中央に位置する大宮土壇に藤原宮が新たに創建されたため、『日本書紀』には藤原京を「新益京」と記され、この「新益」は条坊域拡張を意味した命名としました。
 この他に、和田昌美さん(多元の会・事務局長)の論稿「正木裕講演『俾弥呼は漢字を用いていた』所感」では、十月の正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の講演を紹介し、「講演では、倭人の漢字の世界が周の時代に始まったことを力説されました。中国史書や漢字の字義を考察した結果と最新の考古学の成果を結びつけた論考であり、大変明快で説得力がありました。」との所感が述べられていました。また、同稿末尾には、わたしの〝周代の二倍年齢〟説の紹介がありました。

 リンクしました。

「邪馬壹国」の官名
 — 俾弥呼は漢字を用いていた
正木裕


第2860話 2022/10/16

銅鐸圏への侵入ルートは鳴門海峡

 昨日はドーンセンター(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会はエル大阪(大阪市中央区)で開催します(参加費1,000円)。コロナ騒動もやや落ち着いてきたためか、減少していた例会参加者数も徐々に戻りつつあるようです。
 今回の例会では正木さんの研究が注目されました。『日本書紀』神功紀の近江での忍熊王との戦闘譚を九州王朝の銅鐸圏への侵攻とする仮説を正木さんは発表されていましたが(注)、このときの神功皇后・武内宿禰らの九州から近江へ向かうルートが明石海峡ではなく、鳴門海峡であることを今回は指摘されました。これは神武東征ルートと同じであり、明石海峡が銅鐸圏の防衛拠点であることを神功紀の記事により明らかにされ、同時に銅鐸の出土数がこの記事と対応しているとされました。正木さんによれば、兵庫県の銅鐸出土数(68個)は全国一であり、その内の26個が淡路島からの出土とのこと。このように考古学的出土事実も正木説に対応しており、強い説得力を感じました。
 昼食休憩後、全国の会員へのサービスとして、関西例会のリモート参加制度を発足させたいとの提案をわたしから行い、実施のメリットや予想される問題点、運用ルール、参加登録手数料などについての試案を説明させていただきました。例会参加者からは賛否両論が出ましたので、それらのご意見を踏まえて検討を継続することにしました。
 10月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

(注)正木裕「神功紀(記)の『麛坂王・忍熊王の謀反』」古田史学の会・関西例会、2020年1月。
正木裕「神功紀(記)の「麛坂王(かごさかおう)・忍熊王(おしくまおう)の謀反」とは何か」『古田史学会報』156号、2020年。

〔10月度関西例会の内容〕
①縄文語で解く記紀の神々・七 ―伊邪那美神の生んだ国々(大阪市・西井健一郎)
②装飾古墳に見られる顎鬚の集団(大山崎町・大原重雄)
③『旧唐書』の倭国・日本国(姫路市・野田利郎)
④九州年号の証明 ―白鳳は白雉の美称にあらず(八尾市・服部静尚)
⑤群書類従に収録された各種縁起、系図の中にある九州年号の出典に関する考察(茨木市・満田正賢)
⑥「渦の道」の発見により達成できた銅矛勢力の銅鐸勢力駆逐(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 11/19(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)


第2857話 2022/10/13

『古田史学会報』172号の紹介

 『古田史学会報』172号が発行されました。一面に掲載された「『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について」は中国古典に博識な谷本さんならではの論稿です。『漢書』に付された三種類の注記(如淳・臣瓚・顔師古)について論じた西嶋定生氏の説を紹介し、そこでの古田説批判が的を射て居らず、「古田氏の見解を無視し、その内容に言及しないのは不可解」としたものです。『後漢書』の臣瓚注について、わたしは勉強したことがなく、西嶋氏の古田説批判も知りませんでした。古田先生とのお付き合いが永い谷本さんの論稿に、冥界の先生も目を細めておられることでしょう。

 拙稿〝官僚たちの王朝交代 ―律令制官人登用の母体―〟と〝「二倍年歴」研究の思い出 ―古田先生の遺訓と遺命―〟を掲載していただきました。前者は、七世紀末の藤原宮で執務した大勢の律令制官僚は前期難波宮の官僚が登用されたとする佐藤隆さん(大阪市教育委員会)の説を紹介し、その前期難波宮官僚群の母体となったのは七世紀前半の九州王朝の太宰府官僚群とするものです。
後者は、二十年ほど前に『論語』は二倍年暦で書かれているとする説を発表したとき、わたしに託された古田先生の遺訓(悉皆調査)と遺命(書籍発行)の経緯を紹介したものです。古田史学を生み出した古田先生の人となりを、わたしや関係者の記憶が確かな内に書きとどめていく必要を感じており、機会があればこれからも紹介したいと思います。

 172号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』172号の内容】
○『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について 神戸市 谷本 茂
○室見川銘板はやはり清朝の文鎮 京都府大山崎町 大原重雄
○官僚たちの王朝交代 ―律令制官人登用の母体― 京都市 古賀達也
○倭国の女帝は如何にして仏教を受け入れたか 八尾市 服部静尚
○乙巳の変は九州王朝による蘇我本宗家からの権力奪還の戦いだった 茨木市 満田正賢
○「二倍年歴」研究の思い出 ―古田先生の遺訓と遺命― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・三十八
九州万葉歌巡り 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○古田史学の会・関西例会のご案内


第2846話 2022/09/28

『東京古田会ニュース』No.206の紹介

 本日、『東京古田会ニュース』206号が届きました。拙稿「和田家文書に使用された和紙」を掲載していただきました。同稿は和田家文書に使用された紙が明治時代の和紙であることや、故・竹内強さんによる美濃和紙の紙問屋調査報告(注①)などを紹介したものです。
 同号には拙稿の他にも皆川恵子さん(松山市)「意次と孝季in『和田家文書』」、玉川宏さん(弘前市、注②)「大神神社と三ツ鳥居」が掲載され、和田家文書特集の観がありました。これも東京古田会ならではの特色と思いました。わたしも、これを機にしばらくは和田家文書関連の投稿を続けたいと考えています。

(注)
①竹内強「寄稿 和田家文書『北斗抄』に使用された美濃和紙を探して」『和田家資料3 北斗抄 一~十一』藤本光幸編、北方新社、二〇〇六年。
②秋田孝季集史研究会・事務局長。


第2838話 2022/09/17

九州年号関連研究三件の発表

 本日はドーンセンター(大阪市中央区)で「古田史学の会」関西例会が開催されました。来月の関西例会もドーンセンターで開催します(参加費1,000円)。
 今回の例会では、珍しいことに九州年号関連の研究が三件発表されました。特に興味深く拝聴したのが、萩野さんの発表で、白雉開元の儀式が行われたのは前期難波宮ではなく、太宰府とするものでした。古田先生がご健在の時、先生(太宰府説)とわたし(前期難波宮説)とで厳しく論争したテーマでしたので、当時のことを思い出し、懐かしい気分になりました。このときのことを拙稿「古田先生との論争的対話 ―『都城論』の論理構造―」(『古田史学会報』147号、2018年)で紹介していますので、ご参照ください。
 正木さんからは九州年号の訓みについての試案が発表されました。基本的には日本呉音と思われるが、途中から日本漢音に変化した可能性についても言及されました。難しいテーマなので例会参加者を交えて検討が行われました。従来「ぜんき」と訓まれていた善記は、日本呉音では「ぜんこ」になり、白雉・白鳳は「びゃくち」「びゃくほう」、大化に至っては「たいけ」になるとのことで、ちょっと驚きました。『古代に真実を求めて』26集に大原重雄さん作成の「九州年号年表」を掲載しますので、そこに九州年号の訓みが付記される予定です。
 9月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

 なお、例会後の懇親会では、関西例会のリモート参加について役員とネット配信担当者とで検討を続けました。希望される「古田史学の会」会員に参加登録費(初回のみ)をお支払いいただいて、関西例会へのリモート参加を認める方向で話しがまとまりました。これから、具体的な検討に入ります。

〔9月度関西例会の内容〕
①日本書紀に出現する九州年号の成立に関する作業仮説(茨木市・満田正賢)
②白雉開元式は本拠地で(東大阪市・萩野秀公)
③神代七代の神(三)(大阪市・西井健一郎)
④『漢書』地理志・「倭人」項の臣瓚注について(神戸市・谷本 茂)
⑤『隋書』俀国伝の「此後遂絶」の解釈(京都市・岡下英男)
⑥装飾古墳絵画の馬に乗る小さな子(大山崎町・大原重雄)
⑦倭国にあった二つの王家 ―海幸山幸説話―(八尾市・服部静尚)
⑧不改常典とは(八尾市・服部静尚)
⑨九州年号の訓み(川西市・正木 裕)

◎「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円(三密回避に大部屋使用の場合は1,000円)
 10/15(土) 会場:ドーンセンター(大阪市中央区)
 11/19(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)
12/17(土) 会場:エル大阪(大阪市中央区)