2014年07月05日一覧

第738話 2014/07/05

「邪馬台国」畿内説は学説に非ず(1)

 今日は早朝の新幹線と特急を乗り継いでで松山市へ向かっています。「古田史学の会・四国」主催の講演会で講演するためです。移動時間を利用して、前々から書きたかったテーマ、「『邪馬台国』畿内説は学説に非ず」の執筆を始めたいと思います。

 世にいう「邪馬台国」論争は、古田先生の邪馬壹国博多湾岸説の登場により、学問的には決着がついているはずですが、マスコミや一元史観の学者・研究者では、あいもかわらず「邪馬台国」論争が続けられています。中でも困ったものが「邪馬台国」畿内説という非学問的な「臆説」「珍説」です。そもそも畿内説というものが学問的仮説、すなわち「学説」と言うに値するでしょうか。わたしは畿内説は学説ではないと考えていますが、なぜ学説ではないかということを「洛中洛外日記」で数回に分けて説明することにします。
 たとえば理系の新発見や研究について、新たな仮説を発表する場合、実験データや観測データ、測定データ等の提示が不可欠です。さらにそれらの再現性を担保するために、実験方法や測定・分析方法も開示します。
 企業研究の場合は、それらデータも含めて「発見・発明」そのものを隠します。そもそも企業が自らの経営資源(ヒト・モノ・カネ)を投入して得た新知見を発表(無償で教える)して公知にすることは普通しません(特許出願は例外)。
 しかし、学者や研究者は人類の幸福や社会の発展のために自らの発見や仮説・アイデアを公知(論文発表など)にします。そしてその仮説が他の研究者による追試や利用(コピペもOKです。理系論文には著作権が発生しません)されながら、広く公知となり、真理であればやがて安定した学説として認められます。
 その際、各種データの改竄や捏造は「研究不正」としてやがては明らかとなり、そのような学者・研究者は省みられなくなり学界から淘汰されます。意図的な改竄や捏造ではなく、単純ミスやデータの取り違えは、残念ながら完全には無くなりませんので、その場合は訂正するか、訂正により仮説そのものが成立しなくなった場合は仮説が撤回されます。悪意のないミスであれば、信頼感は揺らぎますが、学界はそのこと自体をそれほど神経質にとがめることはありませんでし た。それよりも、少々不完全・未熟であっても様々な仮説やアイデアを自由に発表しあえる環境のほうが科学の発展にプラスと受け止められてきたものです。で すから、学生や若い研究者の不慣れで未熟な発表でも、温かい目で許容し、ほめたり、励ましたり、助言を与えたりしたものです。こうした研究環境の中で、若 い研究者は成長し、荒削りだけども若さゆえの既成概念にとらわれない画期的な仮説が発表され、そうした青年からの刺激を受けて科学は発展してきたのです。ノーベル賞受賞研究の多くが20代30代の頃の研究成果であることも、このこと裏付けています。
 ところが、近年では学者や研究者が「お金」や自らの「出世」「地位」のために研究するという変な時代になってしまいましたので、「お金」「出世」「地位」に目がくらんで、研究不正(悪意のある意図的なデータ改竄・捏造)を行うケースが発生するようになりました。その結果、科学や研究は大きく傷つきまし た。それに追い打ちをかけたのがマスコミによる無分別なバッシング報道です。悪意のない単純ミスまでもを「研究不正」としてバッシングし始めたのです。小保方さんはその犠牲者だと、わたしは思います。先日も、ある化学系学会の集まりでご年輩の化学者(その分野では日本を代表する方。わたしは若い頃、その方が書いた本や論文で有機合成化学を学びました)が、「あんなにマスコミや理研がバッシングしたら、若い研究者が育たない。才能を潰してしまう」と嘆いておられました。わたしも同感です。
 それでは「邪馬台国」論争のような文献史学ではどうでしょうか。『三国志』倭人伝を基礎史料(データ)として仮説や論理を組み立て、その優劣を競うわけですが、その場合でも学問としては理系と同様ですから、必要にして十分な調査・証明なしでの史料(データ)の意図的な改竄・捏造は許されません。結論その ものに影響する改竄などもってのほかです。このことは容易にご理解いただけることでしょう。
 ところが、「邪馬台国」畿内説はこのデータの改竄を平然と行い、しかも結論(女王国の所在地)そのものに影響をあたえる改竄を行っています。たとえば、 倭人伝には「南、邪馬壹国に至る」とあるのを「東、邪馬台国に至る」というように、「南」を「東」に、「壹」を「台(臺)」に改竄し、「邪馬台国」なるものをでっち上げ、方向を南ではなく東として、むりやりに「邪馬台国」畿内説を提起しているのです。もし、これと同じことを理系の研究論文で行ったら、即アウト、レッドカード(退場)です。それ以前に、論文掲載を拒否されるでしょう。ところが、一元史観の日本古代史学界は「集団」でこの研究不正を行い、「集団」でこの研究不正を容認しているのです。この一点だけでも、「邪馬台国」畿内説は研究不正の所産であり、学説(学問的仮説・学問的態度)に値しないことは明白です。マスコミがなぜこの研究不正をバッシングしないのか「不思議」ですね。(つづく)