2014年08月27日一覧

第775話 2014/08/27

所功編『日本年号史大事典』

          の「建元」と「改元」

 最近、面白い本を読みました。所功編『日本年号史大事典』(平成26年1月刊、雄山閣)です。所さんといえばテレビにもよく出られている温厚で誠実な学者ですが(その学説への賛否とは別に、人間としては立派な方だと思っています)、残念ながら大和朝廷一元史観にたっておられ、今回の著書も一元史観に貫かれています。しかし、約800頁にも及ぶ大作であり、年号研究の大家にふさわしい労作だと思います。
 同書には古田先生の九州王朝説・九州年号や著作(『失われた九州王朝』)も紹介されており、この点は古田説を無視する他の多くの歴史学者とは異なり、所さんの誠実さがうかがわれます。もっとも、古田先生の九州王朝説に対して「学問的にまったく成り立たない」(15頁)と具体的説明抜きで切り捨てておられ ます。
 同書中、わたしが最も注目したのが「建元」と「改元」の扱いについてでした。まず、所さんは我が国の年号について次のように概説されています。

「日本の年号(元号)は、周知のごとく「大化」建元(645)にはじまり、「大宝」改元(701)から昭和の今日まで千三百年以上にわたり連綿と続いている。」(第三章、54頁)

 すなわち大和朝廷最初の年号を意味する「建元」が「大化」とされ、『続日本紀』に「建元」と記されている「大宝」を「改元」と理解されています。 そして、具体的な年号の解説が「各論 日本公年号の総合解説」(執筆者は久禮旦雄氏ら)でなされるのですが、その「大宝」の項には次のような「改元の経緯及び特記事項」が記されています。

「『続日本紀』大宝元年三月甲午条に「対馬嶋、金を貢ぐ。元を建てて大宝元年としたまふ」としており、対馬より金が献上されたことを祥瑞として、建元(改元)が行われたことがわかる。」(127頁)

 この解説を見て、失礼ながら苦笑を禁じ得ませんでした。『続日本紀』の原文「建元(元を建てて)」を正しく紹介した直後に「建元(改元)」と記されたのですから。いったい「大宝」は建元なのでしょうか、改元なのでしょうか。原文改訂の手段としてカッコ書きにすればよいというものではないと思うので すが。
 所さんは「大宝」を「改元」と説明し、久禮さんは「建元(改元)」と表記解説される。すごい「曲芸」ですね。いつから歴史学は学問としてこのような「手法」が許されるようになったのでしょうか。これこそ研究不正としてなぜ毎日新聞やNHKは、小保方さん(イギリスの商業誌に掲載された論文の約80枚の写真中、3枚の写真に結論に影響しない過誤があっただけ)や笹井さん(同論文執筆指導しただけで、死ぬまで叩かれるようなことはしていない)以上にバッシングしないのでしょうか。このように「学問的にまったく成り立たない」のは、古田先生の九州王朝説ではなく、へんてこな「建元」「改元」解説をせざるを得ない、大和朝廷一元史観の方であることは明白です。本当に面白い本でした。


第774話 2014/08/27

貝原益軒と九州年号

 今朝はJR北陸本線を大聖寺から福井へと向かっています。昨日、北陸地方を襲ったとテレビで報道されていた大雨も、わたしが行った先ではそれほどではありませんでした。

 今朝、ホテルでいただいた読売新聞朝刊1面のコラム「編集手帳」に、今日が江戸時代の学者貝原益軒(1630-1714)の命日と紹介されていました。貝原益軒は筑前黒田藩の学者で『養生訓』『筑前国続風土記』など多くの著書を残しました。益軒はわたしにとってとてもなじみ深い学者です。というのも、九州年号研究で貝原益軒の名前は何度も見てきたからです。
 従来から九州年号は「私年号」や「逸年号」とされてきたり、あるいは僧侶による偽作(偽年号)扱いされてきました。こうした九州年号偽作説が誰により言われてきたのかという研究を、京都大学で開催された日本思想史学会で発表したことがあるのですが、益軒の『続和漢名数』の「日本偽年号」の項に、九州年号を僧侶による偽作と学問的根拠や論証を示さず断定しています。詳細は『「九州年号」の研究』(古田史学の会編、ミネルヴァ書房刊)をご覧下さい。益軒以降、現在に至るまで九州年号偽作説論者は益軒と同様に学問的論証を経ることなく、偽作説を踏襲しているようです。
 益軒の九州年号偽作論は現在の学界に影響を及ぼしているだけではなく、筑前黒田藩有数の学者である益軒の影響もあってか、九州王朝の中枢地域だった筑前の寺社縁起や地誌などから九州年号がかなり消された可能性があるのです。理屈から考えれば九州王朝の中枢領域にもっとも九州年号史料が残存していてもよさそうなのですか、管見によれば筑後や肥前・肥後と比べてちょっと少ないように思われるのです。
 九州年号研究者にとっては益軒先生も困ったことをしてくれたものだと思っています。とはいえ、今日は益軒先生の命日とのことですので、郷里の先学のご冥福をお祈りしたいと思います。