考証・和紙の古代史(2)
日本列島での国産和紙製造は、倭国初の全国的戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」(670年)造籍に膨大な紙が必要ですから、この時期までには行われていたと思われますが、更に遡る可能性が高いのではないでしょうか。
たとえば現在も越前和紙の産地として有名な福井県越前市今立町には、5世紀末〜6世紀初頭(継躰天皇が子供の頃)に「岡太川の女神」から製紙の技術が伝えられたという伝承があります。もちろんその伝承が歴史事実かどうかただちには判断できませんが、時代的に考えて、荒唐無稽とは言い難く、歴史事実を反映した伝承ではないかと推定しています。機会を得て、現地調査したいと考えています。
もし越前への製紙技術伝播がこの頃だとすれば、おそらく九州王朝のお膝元である北部九州への製紙技術導入は更に遡ると考えられますから、古墳時代には伝わっていたのではないでしょうか。今後の研究課題です。なお、九州最古の和紙産地とされる福岡県八女地方では、その製紙技術は文禄4年(1595)に越前からやってきた日蓮宗僧侶の日源により伝えられたとされています。これも歴史事実かどうか検証が必要ですが、日本最古の和紙製造伝承を持つ今立町と福岡県八女地方との間に和紙製造で関係があったこととなり、興味深いものと思われます。
なお、大寶2年(702)筑前国戸籍断簡が正倉院に現存しており、これには現地の和紙が用いられていると考えられており、当時の筑前か筑後では和紙生産が行われていたことを意味しますので、16世紀に伝わった八女の和紙を「九州最古」とすることの根拠が不明です。「現存最古」という意味でしょうか。