尾張国分寺の多元性
肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)の多元的「国分寺」研究に刺激を受けて、尾張国分寺跡についてネット検索してみました。頻繁に出張で訪れる愛知県一宮市には尾張一宮の真清田神社がありますから、国分寺も一宮市にあるのかと思っていたら、南隣の稲沢市にありました。
ウィキペディアなどの説明では、尾張国分寺跡は金堂・講堂・南大門が一直線上に配置される様式で、塔はその東側に位置しているとのこと。しかも塔と講堂の主軸方位が異なっており、同時期に造営されたのか疑問がもたれます。
多元的「国分寺」研究における主要な視点には次のようなものがあります。
1.主要伽藍と塔の主軸方位のずれの有無。
2.出土瓦の編年と『続日本紀』の国分寺建立詔時期のずれ。
3.近隣をはしる古代官道などの方位とのずれ。
4.一国に複数の国分寺の存在。
5.塔の位置が寺域(回廊)の外か内か。
以上の視点からの検証により、九州王朝による7世紀の国分寺と聖武天皇による8世紀の国分寺との区別を行うという方法が試みられています。皆さんのお近くに国分寺がありましたら、一度、調査していただけないでしょうか。