2019年01月08日一覧

第1818話 2019/01/08

臼杵石仏の「九州年号」の検証(1)

 わたしは三十年以上にわたり九州年号の研究を進めてきました。とりわけ、同時代史料の調査研究は最重要テーマでした。その中で、「大化五子年(六九九)」土器や「朱鳥三年戊子(六八八)」銘鬼室集斯墓碑、そして「(白雉)元壬子年(六五二)」木簡などの同時代九州年号史料について発表してきました。他方、九州年号史料として認定できずにきた史料もありました。そのひとつに大分県の「臼杵石仏」に関する「正和四年」刻銘があります。そこで、九州年号と認定できなかった理由について紹介し、史料批判という学問の基本的方法について説明します。
 比較的初期の頃の九州年号に「正和(五二六〜五三〇)」があり、九州年号史料として有名な『襲国偽僭考』を著した鶴峯戊申が十九歳のとき記した『臼杵小鑑』(国会図書館所蔵本。冨川ケイ子さん提供)にこの「正和」に関する次のような記事が見えます。

 「満月寺
 (前略)〈満月寺は宣化天皇以前の開基ときこゆ〉十三佛の石像に正和四年卯月五日とあるハ日本偽年号〈九州年号といふ〉の正和四年にて、花園院の正和にてハあらず。さて其偽年号の正和ハ継体天皇廿年丙午ヲ為正和元年と偽年号考に見えたれば、四年ハ継体天皇の廿四年にあたれり。然れば日羅が開山も此比の事と見えたり。(後略)」
 ※〈〉内は二行割注。旧字は現行の字体に改め、句読点を付した。(古賀)

 九州年号真作説に立つ鶴峯戊申のこの記事を読んで、九州年号「正和」が臼杵の満月寺の石仏に彫られていることを鶴峯は見ており、現存していれば同時代九州年号金石文になるかもしれないとわたしは期待しました。しかし、鶴峯も記しているように、「正和」は鎌倉時代にもあり、九州年号の「正和(五二六〜五三〇)」なのか、鎌倉時代の「正和(一三一二〜一三一七)」なのかを確認できなければ、九州年号史料とは断定できないと考えました。というのも、自説に都合が良くても、まずは疑ってかかるという姿勢が研究者には不可欠だからです。(つづく)