2019年07月25日一覧

第1948話 2019/07/25

奇想天外の「お墓参り」論

 服部静尚さんの講演「盗まれた天皇陵 -卑弥呼の墓はどこに-」では古墳以外に、大和朝廷一元史観の根拠となっている土器についても鋭い指摘がなされました。たとえば、大和で発生し、全国に伝わったとされる庄内式土器の胎土分析結果から、生産地は大和ではなく北部九州や吉備・河内であること、大和から出土した布留式土器の生産地は加賀であったことなど、最新の考古学的知見も紹介されました。なお、これらの新知見は一元史観論者からは事実上〝無視〟されているようです。
 今回の服部さんの講演で、わたしが最も驚いたのが「お墓参り」論という奇想天外の新仮説でした。それは、飛鳥時代の天皇陵の所在地を示され、飛鳥宮からお墓参りするのにまる一日かかるほどの遠距離の地にあり、不自然と指摘されたのです。例えば継体天皇の子供の宣化・欽明が飛鳥から継体天皇陵まで墓参りに行くのに片道三日もかかります。このように天皇が住んでいる王宮から遠く離れた地に父祖の墓(天皇陵)があるのは墓参りに不便であることから、『延喜式』に記されたそれら天皇陵を天皇家の祖先の墓とするのは疑わしいとされました。
 こうした奇想天外の発想は服部さんらしいのですが、わたしが驚いたのはこのアイデアそのものではありません。このアイデア(思いつき)を学問的仮説とするためのエビデンス(根拠)が素晴らしかったのです。
 最初にこの「墓参り」論を聞いたとき、わたしはすぐに次の反証が浮かびました。対馬などに遺る両墓制です。両墓制とは埋葬した墓とは別に遺族の居住地の近くにお墓参りのための墓を造るという制度です。おそらく、お墓を住居の近くに造ることを忌み、そのため離れた場所に埋葬し、日常的なお墓参り(先祖供養)のために住居の近くに「参り墓」を造ったものと思われます。
 この両墓制が天皇家でも採用されていたのではないかという反証が可能なため、服部さんのアイデアは面白いけれども仮説としての論証(両墓制という反証を論理的に排除できる根拠と説明)は困難ではないかと考えたのです。ところが、服部さんは飛鳥時代の天皇陵の位置を記した地図に続けて二枚の地図を示されました。わたしはその二枚の地図(エビデンス)に驚いたのです。それは奈良時代と平安時代の天皇陵をプロットした地図でした。それは奈良時代の天皇陵はほぼ奈良市とその周辺にあり、平安時代には京都市内に天皇陵が造営されていることを示していました。それぞれの王宮(平城宮・平安宮)から日帰りで墓参できるという位置関係に陵墓があるのです。
 これらの事実は、王朝交替後の天皇家は王宮の近辺に天皇陵を造るという風習を持つことを意味し、天皇家が両墓制という風習を持っていたことを否定するのです。少なくとも8世紀以降はそうです。従って7世紀(飛鳥時代)以前の飛鳥から遠く離れた天皇陵(たとえば河内の巨大前方後円墳)を天皇家の墓とすることを疑うに足る論理性(理屈)を服部さんの「墓参り」論は提起しています。
 近年、服部さんが提起された仮説には、「言われてみればその通り」という〝コロンブスの卵〟のような新視点があります。たとえば律令官制による全国支配に必要な官僚は約八千人で、その官僚たちの執務が可能な規模の王宮・官衙遺構と、家族も含めて数万人が居住可能な大都市(条坊都市)の存在(考古学的遺跡)を提示しなければ、律令時代(7世紀)の王朝の都とは認められないという指摘は画期的でした。それまでの考古学的根拠を示さず自説に都合のよい所を九州王朝の都とする古田学派内にあった諸説を木っ端みじんに吹き飛ばしました。
 その結果、この服部さんの「律令官制王都」論による批判に耐えうる仮説として、前期難波宮九州王朝複都説(古賀説)や太宰府飛鳥宮論(服部説)、九州王朝系近江朝論(正木説)、九州王朝系藤原宮論(西村説)などが生き残り、それらの是非を巡って「古田史学の会」関西例会で厳しい論争が続き、今日に至っています。
 更に「律令官制王都」論を発展させた新論証「太宰府条坊都市=首都」も画期的でした。『養老律令』などによれば大和朝廷の律令官制における「大宰府官僚」の人数は九州地方を統括する程度の少人数なのですが、服部さんはそのような少人数であれば、あの大規模な太宰府条坊都市は不要であり、逆から言えば、太宰府条坊都市の巨大さこそ当地が王朝の首都であったことを示しており、この論理性は九州王朝説を支持しているとされました。すなわち、巨大条坊都市太宰府の存在そのものが九州王朝説でなければ説明ができず、その存在が九州王朝説を論証するエビデンスとなっていることを指摘されたのです。
 今回の「墓参り」論など、一連の服部さんの新仮説は奇想天外という他ありません。こうして古田学派の研究水準は一元史観に真正面から対峙する令和時代にふさわしい新段階に突入したのです。