滋賀県湖東の「聖徳太子」伝承(2)
滋賀県甲良町の西明寺から飛鳥時代の絵画が「発見」されたことにより、湖東における九州王朝(多利思北孤)との関係やその痕跡の存在についてわたしは確信を深めました。
『蒲生郡志』などに記された記事だけでは、後世における造作や誤伝の可能性を払拭できず、仮説の根拠としては不安定ではないかと危惧していました。しかし、今回のように飛鳥時代に遡る遺物や遺跡が確認できたことにより、仮説の信頼性を高めることが期待できます。そこで、近江における九州王朝との関係を示唆する遺物などの実証的データをまとめてみました。管見では下記の通りです。
(1)近江の崇福寺と太宰府の観世音寺、飛鳥の川原寺から七世紀後半の同笵軒丸瓦(複弁八葉蓮華文軒丸瓦)が出土している。
(2)滋賀県栗東市の蜂屋遺跡から法隆寺式瓦が大量出土した。
創建法隆寺(若草伽藍。天智9年〔670〕焼失)と同笵の「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」2点(7世紀後半)が確認された。現・法隆寺(西院伽藍。和銅年間に移築)式軒瓦も50点以上確認された。
(3)甲良町西明寺本堂内陣の柱から飛鳥時代の仏画(菩薩立像)を発見。
(4)九州王朝の複都と見られる前期難波宮には、東西二カ所に方形区画があり、その中から八角堂跡が出土している。近江大津宮遺跡からも東西二カ所に方形区画が出土している。この東西二つの方形区画を配置するという両者の平面図は似ており、これは他の王宮には見られない特徴である。
(5)日野町の鬼室集斯神社に九州年号「朱鳥三年戊子」(688年)銘を持つ「鬼室集斯墓碑」が現存する。