2021年05月07日一覧

第2451話 2021/05/07

水城の科学的年代測定(14C)情報(1)

このところ文献史学の研究に没頭してきましたが、今日は久しぶりに考古学、特に太宰府関係の年代測定や土器編年についての報告書を読みました。その成果として、水城の基底部出土敷粗朶の炭素同位体比(14C)年代測定について、新しいデータがあることを知り、水城の築造時期についての確信を深めました。
 水城の築造時期について、わたしは『日本書紀』天智紀に見える次の記事の年代(664年)として問題ないと考え、論文を発表してきました(注①)。

 「是歳、対馬嶋・壹岐嶋・筑紫国等に、防と烽を置く。又筑紫に、大堤を築きて水を貯へしむ。名づけて水城と曰ふ。」『日本書紀』天智三年是歳条(664年)

 その主たる根拠は水城の基底部から出土した敷粗朶の炭素同位体比年代測定値でした。
 同敷粗朶は、地山の上に水城を築造するため、基底部強化を目的としての「敷粗朶工法」に使用されていたもので、平成十三年の第35次発掘調査で、調査地の地表から2~3.4m下位にある厚さ約1.5mの積土中に11面の敷粗朶層が発見されました。それは敷粗朶と積土(約10cm)を交互に敷き詰めたものです。その敷粗朶層最上層から採取した粗朶の炭素同位体比年代測定の中央値が660年でした。その数値を重視すると、敷粗朶層の上にある積土層部分(1.4~1.5m)の築造期間も含め、水城の造営年代(完成年)は七世紀後半頃となり、『日本書紀』に記された水城造営を天智三年(664)とする記事ともよく整合しています。
 なお、同敷粗朶層からは最上層のサンプルとは別に、「坪堀」という方法で更に下層からのサンプルも採取されており、その年代は中央値で「坪堀1中層第2層、430年」と「坪堀2第2層、240年」とされ、最上層とは約200~400年の差がありました。わたしはこの差について、サンプリング条件が原因と考えていました。なぜなら、厚さ約1.5mの積土中に11面ある敷粗朶層が数百年もかけて築造されたとは考えられなかったからです。従って、最も安定したサンプリング方法により採取された最上層の粗朶の測定値が最も信頼性が高いと判断したのです。「調査報告書」(注②)にも、「各一点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」とあり、その追加測定を待っていました。ところが、その追加測定が既に実施されていたことを今回の勉強で知りました。(つづく)

(注)
①古賀達也「太宰府条坊と水城の造営時期」『多元』139号、2016年5月。
古賀達也「前畑土塁と水城の編年研究概況」『古田史学会報』140号、2016年6月。
 古賀達也「太宰府都城の年代観 ―近年の研究成果と九州王朝説―」『多元』140号、2016年7月。
 古賀達也「洛中洛外日記」1354話(2017/03/16)〝敷粗朶の出土状況と水城造営年代〟
 古賀達也「理化学的年代測定の可能性と限界 ―水城築造年代を考察する―」『九州倭国通信』186号、2017年5月。
②『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年。