「倭の五王」時代の九州の古墳(2)
「倭の五王」の陵墓にふさわしい大型古墳の調査対象として、九州王朝(倭国)の中枢領域である筑前と筑後を見てみることにします。調査には吉村靖徳さんの『九州の古墳』(注①)を主に参照しています。同書は通説により解説されていますが、美しいカラー写真で古墳が紹介されており、わたしは重宝しています。
同書の巻末資料には旧国別・年代別の「九州主要古墳年表」があり、それによると筑前には100mを越える古墳は糸島市の一貴山銚子塚古墳(墳丘長103m、前方後円墳、四世紀後半)と福津市の在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳(墳丘長102m、前方後円墳、六世紀後半)が表示されていますが、五世紀の「倭の五王」の時代の筑前には倭国王墓にふさわしいトップクラスの規模の古墳は見えません。
なお、福津市の宮地嶽古墳(現状径34m、七世紀前半、円墳)は奈良県・見瀬丸山古墳に次ぐ国内二番目の長さを誇る横穴式石室(22m)を持っており、注目されます。
次いで筑後の100mを越える古墳は、「九州主要古墳年表」によれば次のようです。
〔四世紀〕
法正寺古墳(墳丘長102m、前方後円墳、四世紀末、)
〔五世紀〕
石櫃山古墳(墳丘長115m、前方後円墳、五世紀後半、久留米市)※消滅
石人山古墳(墳丘長110m、前方後円墳、五世紀前半~中頃、八女郡広川町)
〔六世紀〕
岩戸山古墳(墳丘長138m、前方後円墳、六世紀前半、八女市)
田主丸大塚古墳(墳丘長103m、前方後円墳、六世紀後半、久留米市)
筑前より筑後の方が100m超の古墳は多いのですが、西都原古墳群などを擁する日向(宮崎県)と比べると質量ともに見劣りします。しかし、六世紀になると筑紫君磐井の陵墓である岩戸山古墳(八女市)が現れます。これは倭国王墓にふさわしく、六世紀の九州では最大規模です。この事実は、〝古墳の規模〟が倭国王墓の重要条件であることを示唆しています。この論理性を徹底すると、五世紀の「倭の五王」の陵墓は日向にあったこととなり、古墳が多数ある日向は九州王朝の〝王家の谷〟(注②)と考えることもできそうです。(つづく)
(注)
①吉村靖徳『九州の古墳』海鳥社、2015年。
②エジプトの「王家の谷」は、ツタンカーメン王墓出土の豪華な副葬品などで有名である。
宮崎県からは国内最大の玉璧(直径33cm)が串間市王の山から出土しており、えびの市・島内114号地下式横穴墓から出土した「龍」銀象嵌大刀とともに注目される。古賀達也「洛中洛外日記」1504話(2017/09/20)〝南九州の「天子」級遺品〟、1502話(2017/09/17)〝「龍」「馬」銀象眼鉄刀の論理〟で論じたので参照されたい。
また、「景初四年」(240年)銘を持つ斜縁盤龍鏡(兵庫県辰馬考古資料館蔵)が持田古墳群(児湯郡高鍋町)から出土している。