水城築造年代の考古学エビデンス (3)
水城の築造年代に関する考古学エビデンスに土器があります。なかでも7世紀は須恵器が杯H(古墳時代からの古い様式)から杯G(中葉頃に発生)、杯B(後半から出現し、第4四半期には主流となる)へと変化を続けているため、須恵器による相対編年が比較的容易な時代です。
ここで大切なことは土器のサンプリング条件(出土場所・主土層位・出土状況)です。発掘調査報告書(注①)には水城からの出土土器が多数掲載されていますが、水城の築造後、その周辺に廃棄された土器や水城城内で使用・廃棄された土器は築造時期を示さず、築造後にそれら土器が使用・廃棄された年代を示すと言うに留まります。このことは「洛中洛外日記」でも説明してきたところです(注②)。
従って、水城築造年代のエビデンスとできるのは、堤体内から出土した土器です。水城築造時に堤体内に取り込まれた土器であれば、築造時に使用・廃棄されたものだからです。堤体内からの出土土器は少数ですが、水城の基底部に埋設した木樋の抜き取り跡から須恵器杯Gが出土しています(注③)。他方、水城の上や周囲から出土した主流須恵器が杯Bであることを併せ考えると、水城の築造年代は杯Gが発生した7世紀中葉以降かつ杯B発生よりも前ということができます。具体的年代を推定すれば640~660年頃となり、「7世紀中葉頃」という表現が良いように思います。ですから、水城の築造を5世紀とすることは考古学エビデンス(土器編年)を無視したものと言わざるを得ません。(つづく)
(注)
①『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅰ』九州歴史資料館、2001年。
『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年。
『水城跡 ―上巻―』九州歴史資料館、2009年。
『水城跡 ―下巻―』九州歴史資料館、2009年。
②古賀達也「洛中洛外日記」2530~2532話(2021/08/03~05)〝土器編年による水城造営時期の考察(1)~(3)〟
③『水城跡 ―下巻―』192頁に掲載されたSX050 SX051 SX135の土器(須恵器坏H、坏G、他)。