古田先生の土器編年試案(セリエーション) (5)
須恵器セリエーションの分類作業におけるハードル(d)は考古学者でなければ判断を誤りかねないケースで、文献史学の研究者にはかなり難しいものです。
(d) 出土土器型式に地域差や定義の違いがあり、飛鳥編年による型式(須恵器坏H・G・B)と対応が一見して困難なケースがある。その地域差を理解していないと型式の分類を間違ってしまうことがある。
出土土器型式の地域差や定義の違いにより、分類を間違えそうになったという、わたしの体験を紹介します。「洛中洛外日記」〝太宰府出土、須恵器と土師器の話(7)〟(注①)で紹介しましたが、牛頸窯跡群の調査報告書『牛頸小田浦窯跡群Ⅱ』(注②)に掲載された須恵器坏に次のような説明があり、わたしは途方に暮れました。
(1) 26頁第16図73・74の須恵器蓋に「つまみ」はないが、説明ではそれらを「坏G」とする。
(2) 37頁第24図83の須恵器蓋にも「つまみ」はないが、説明ではでは「坏B」とする。
「つまみ」がない須恵器蓋を坏Gや坏Bとする説明をわたしは理解できませんでした。これでは太宰府土器編年の根幹が揺らぎかねませんので、調査報告書を発行した大野城市に上記の点について質問したところ、次の回答が届きました。その要旨を転記します。
【質問1】26頁第16図73・74の「坏G」の認識
ご指摘のとおり、一般的な「坏G蓋」は「つまみ」を有しており、大野城市でも「かえり」「つまみ」を有す蓋と身のセットを「坏G」と理解しています。
ところが、本市の牛頸窯跡群では、「かえり」を有すものの「つまみ」を欠く蓋が一定量あり、「つまみ」がないものも含めて「坏G」と表現しています。
【質問2】37頁第24図83の「坏B」の認識
ご指摘のとおり、一般的な「坏B蓋」には「つまみ」があり、坏身には「足=高台」を有しています。
「坏G」と同様、牛頸窯跡群では、高台を有する杯身とセットになる蓋で「つまみ」を欠く蓋が一定量あり、「つまみ」がないものも含めて「坏B」と表現しています。
以上のとおり、牛頸窯跡群では、坏G蓋・坏B蓋につまみを欠くものが一定量存在しております。近畿地域では、つまみを有するものが一般的かと思いますが、この点は地域性が発現しているものと理解できるのかもしれません。
以上の回答とともに、資料として添付されていた『牛頸窯跡群 ―総括報告書Ⅰ―』(注③)の「例言」には、次の説明がありました。
「須恵器蓋坏については、奈良文化財研究所が使用している名称坏H(古墳時代通有の合子形蓋坏)、坏G(基本的にはつまみとかえりを持つ蓋と身のセット。ただし牛頸窯跡群産須恵器にはつまみのない蓋もある)、坏B(高台付きの坏)、坏A(無高台の坏)を使用する場合がある。」『牛頸窯跡群 ―総括報告書Ⅰ―』
すなわち、蓋に「かえり」が付いているものは「つまみ」がなくても坏Gに分類していたのです。おそらく同一遺構から「つまみ」付きの坏G蓋が多数出土し、併出した「つまみ」無しの蓋でも「かえり」があれば、坏Gに見なすということのようです。蓋に「つまみ」がない坏Bも同様です。こうしたことから、調査報告書の須恵器を分類する際は「つまみ」の有無だけでの単純な型式判断で済ませることなく、地域差も考慮しなければならないことを知ったのです。
以上のことから、太宰府関連遺構出土の須恵器坏セリエーション分類作業は、当地の考古学者の協力を得たり、地域差について教えを請うことから始めなければならないことに気づき、わたしは土器編年研究に一層慎重になりました。他方、土器セリエーションによる相対編年は考古学界の先進的研究者に採用されつつあります。その成果が古田史学・九州王朝説と整合する日が来ることを期待し、わたしたち古田学派研究者による精緻なセリエーションでの土器編年確立が待たれます。(おわり)
(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」2547話(2021/08/22)〝太宰府出土、須恵器と土師器の話(7)〟
②『牛頸小田浦窯跡群Ⅱ ―79地点の調査― 大野城市文化財調査報告書 73集』大野城市教育委員会、2007年。
③『牛頸窯跡群 ―総括報告書Ⅰ― 大野城市文化財調査報告書 第77集』大野城市教育委員会、2008年。