2022年04月10日一覧

第2716話 2022/04/10

万葉歌の大王 (5)

 ―万葉仮名「オオキミ」の変遷―

 万葉歌に見える「大王」を今回は別の視点から考察します。それはオオキミという倭語にどのような漢字が当てられたのか、その変遷についての検討です。
 倭国には漢字が伝来する前から歌謡があり、人々が口承で伝えていたものと思われます。漢字伝来後は、倭語に対応した音の漢字を一字一音で表記し、後に音だけではなく倭語の意味に対応する漢字や漢単語をいわゆる訓読みとして倭語表記しています。そうして成立した万葉仮名で記録された和歌により、『万葉集』などの歌集が編纂されます。
 今回のテーマである万葉歌の「大王」も倭語のオオキミの意味に対応する漢単語の訓読み表記です。従って、原初形は一字一音の漢字表記であり、その痕跡が『万葉集』にも遺っており、次の万葉歌に採用されています。

【巻三 0239】
[題詞] 長皇子遊猟路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]
[原文] 八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三猟立流 弱薦乎 猟路乃小野尓 十六社者 伊波比拝目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拝 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞
[訓読] やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並めて 御狩り立たせる 若薦を 狩路の小野に 獣こそば い匍ひ拝め 鶉こそ い匍ひ廻れ 獣じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひ廻り 畏みと 仕へまつりて ひさかたの 天見るごとく まそ鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも

【巻三 0240】
[題詞] 反歌一首
[原文] 久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有
[訓読] ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり

長歌末尾の「我が大君かも」(吾於富吉美可聞)の「於富吉美」がそれです。冒頭の「やすみしし 我が大君」には「大王」が採用されており、音読み表記(於富吉美)と訓読み表記(大王)が混在した珍しい例です。ちなみに、この歌の「大王」「於富吉美」を古田先生は「甘木(天歸)の大王」とされました(注①)。そして、この「甘木の大王」を「九州王朝の王者」と表現されたのですが、「九州王朝の天子」とはされていないようです。先生の〝基本ルール〟「天子≠大王」によれば「甘木の大王」は九州王朝の天子ではなく、その下にいた複数の大王の一人ということになるからです。
 この歌は人麿が九州王朝の宮廷歌人として作歌したものと思われますが、古田説に従えば、当時(七世紀後半)の「九州王朝の大王」の子供の称号を「皇子」と人麿は表記したことになります。しかし、九州王朝の天子「中皇命」が「大王」と表記(注②)されていたことを考えれば、この「甘木の大王」も九州王朝の天子としてよいのではないでしょうか。(つづく)

(注)
①古田武彦『古代史の十字路』東洋書林、平成十三年(2001)、「《特論二》甘木の人麿挽歌」277頁。
②「やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」『万葉集』巻一 3
[題詞] 天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
[原文] 八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里