大寶二年「御野国戸籍」と
養老五年「下総国戸籍」の高齢者
「大寶二年(702年)御野国戸籍」にわたしが注目したのは高齢者(70歳以上)の多さでした。古代戸籍研究でいくつもの戸籍を見てきたのですが、最高齢の93歳の女性(加毛郡半布里の都野母若帯部母里賣)を筆頭に高齢者が多く、この史料状況は二倍年暦の影響を受けて成立したのではないかと感じたのです。
70歳以上の高齢者がわたしの調査では38人(男18人、女20人)記されています。文献によって総数が異なるのですが、その比率は全体(2428人。男1092人、女1336人)の1.57%(男1.65%、女1.5%)に相当します(注①)。高齢者率が男より女が低いことも不審ですが、比較的時代が近い養老五年(721年)「下総国戸籍」の高齢者は次の通りで、「御野国戸籍」はその約1.5倍の高齢者率なのです。
【「下総国戸籍」の70歳以上の人】
「妻 孔王部奈爲賣」(73歳)
「母 土師部刀自賣」(72歳)
「母 私部與伎賣」(71歳)
「戸主 孔王部三村」(71歳)
「母 孔王部乎弖賣」(73歳)
「母 小長谷部椋賣」(84歳)
「姑 三枝部宮賣」(75歳)
「孔王部大年」(79歳)
最高齢は「母小長谷部椋賣」(84歳)で、70歳以上は計8人(男2人、女6人)であり、総数772人(男343人、女429人。注②)中の高齢者率は1.04%(男0.58%、女1.4%)です。こちらは女性の方が高く、人の寿命の男女差としてリーズナブルです。
対象地域が御野国と下総国と離れてはいますが、どちらも八世紀第1四半期のほぼ同時代の戸籍ですから、約1.5倍も高齢者率が異なるのは不自然ではないでしょうか。両者を比較した場合、高齢者の男女比率の不自然さから判断しても、より疑うべきは「御野国戸籍」の方なのです(注③)。しかも、同戸籍の不自然さは他にもありました。(つづく)
(注)
①南部昇『日本古代戸籍の研究』(吉川弘文館、1992年)掲載の年齢分布表を元に、『寧楽遺文(上)』(竹内理三編、1962年)で高齢者数を確認した。見落としがあるかもしれないが、大きく異なることはないと考えている。
②同①。
③「下総国戸籍」の年齢も、52歳以上は二倍年暦の影響を受けており、正確には〝「下総国戸籍」よりも「御野国戸籍」の方が二倍年暦の影響を受けた年齢層が広い〟ということである(「御野国戸籍」は33歳以上が二倍年暦の影響を受けている)。この点、後述したい。