5月の津軽調査の目的と準備
「洛中洛外日記」2979話(2023/04/05)〝来月、津軽へ調査旅行します〟で紹介した津軽(弘前市)での和田家文書調査に備えて、「東日流外三郡誌」を久しぶりに精読しています。調査報告と研究成果については、5月の和田家文書研究会(注①)や「古田史学の会」関西例会(5月20日)で発表の予定です。
今回の調査の目的は次の3点です。
(1)現存する和田家文書の精査、
(2)当地の「秋田孝季集史研究会」(竹田侑子会長)の皆さんとの交流、
(3)藤本光幸さん(注②)の墓参です。
同氏は、わたしが30年前に和田家文書調査を始めたときからお世話になった恩人で、竹田侑子さんの実兄にあたります。なお、藤本さんの父方は天内(あまない)家ご出身とのことで、「東日流外三郡誌」や和田家文書の「天内家文書」にも記された一族です。同「天内家文書」を藤本邸で見せて頂きました。古田先生67歳、わたしが38歳のときの懐かしい想い出です。そのときの先生と同じ年齢になったわたしが、藤本さんのお墓参りをすることに不思議な縁(えにし)を感じます。「東日流外三郡誌」が、津軽へ、真実へと、わたしを導いているのかもしれません。
これからの和田家文書研究テーマの一つとして、実現したいことがあります。それは和田家文書史料批判のアプローチとして、同史料群の分類とその方法論の確立です。具体的には、次のようなグループ分けが可能なのか、適切なのかを検討しています。
【和田家文書群の分類(試案)】
(α群)和田末吉書写を中心とする明治写本群。主に「東日流外三郡誌」が相当する。紙は明治の末頃に流行し始めた機械梳き和紙が主流。
(β群)主に末吉の長男、長作による大正・昭和(戦前)写本群。大福帳などの裏紙の再利用が多いようである。
(γ群)戦後作成の模写本(戦後レプリカ)。筆跡調査の結果、書写者は複数である。紙は戦後のもの。厚めの紙が多く使用されており、古色処理が施されているものもある。展示会用として外部に流出しているものによく見られるようだ。
この他に「寛政原本」など江戸期成立と鑑定された史料が少数あり(注③)、これらの貴重史料は(S群)に分類しようかと考慮中です。こうした分類が可能であれば、次は分類ごとに史料批判を行い、その史料がどの分野の研究に有効であるかの検討へと進み、最終的には史料の内容がどの程度の信頼性を有しているかの検証作業になります。
まずは上記分類の可能性と妥当性について検討を続けます。こうしたことも「秋田孝季集史研究会」や「和田家文書研究会」に提起できればと、調査旅行の準備に明け暮れています。
(注)
①東京古田会が隔月で開催。本年1月から和田家文書調査報告をリモート発表させていただいている。次回、5月13日には「『東日流外三郡誌』の考古学」を発表予定。
②藤本光幸氏(2005年10月没)は『東日流外三郡誌』を世に紹介した人物で、北方新社版『東日流外三郡誌』の編集者。次の遺稿と拙稿を参照されたい。
藤本光幸「『和田家文書』に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史考察1」『古田史学会報』71号、2005年。
同「『和田家文書』に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史考察2」『古田史学会報』72号、2006年。
同「『和田家文書』に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史考察3」『古田史学会報』73号、2006年。
同「『和田家文書』に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史考察4」『古田史学会報』75号、2006年。
古賀達也「洛中洛外日記」39話(2005/10/25)〝故・藤本光幸さんのこと〟
③古田武彦氏が「寛政原本」として発表された「東日流内三郡誌」など6史料で、笠谷和比古氏(国際日本文化研究センター研究部教授)の鑑定による。