2023年05月13日一覧

第3014話 2023/05/13

豊島勝蔵氏の証言、

   「墳館(ふんだて)」の発見

 この度の和田家文書調査では数々の成果に恵まれたのですが、その一つに弘前市の古書店で「東日流外三郡誌」関連の古書を購入できたことがあります。恐らく地元でなければ入手できないような資料もあり、望外のことでした。それはガリ版刷りでホッチキスどめの「津軽の安東について」の表題をもつ冊子です。表紙には次のように記されています。

「津軽の安東について
郷土史研究家
豊島勝蔵

昭和57年4月25日
於 五所川原市民図書館
昭和57年度北奥文化研究会総会 記念講演会」

 市浦村史版『東日流外三郡誌』を編纂された豊島勝蔵さんの講演録、本文39頁の手作り冊子です。東日流外三郡誌に触れた部分が多く、偽作説が現れた当時の雰囲気が豊島氏の口吻から感じられます。この中で次のような貴重な証言が記されています。市浦村(当時)の遺跡〝墳館〟発見の経緯が紹介された次の部分です。

〝(墳館)
それから、ずうっと市浦に入ってきてしまったんですけども、磯松の所に、これは外三郡誌馬鹿にならないなあと思った一つなんですけれども、市浦の方で今まで墳館発見していながったわけです。福島城、唐川城ね、太田の鏡城とかいうのはわかっていたのですけれども、墳館があったのはわからなかったんです。
外三郡誌によって初めて出て来たもんで、一体どこら辺だろうと言うので、磯松の人達の通りがかりの婆様をつかまえて聞いたわけです。「ん、あすことばフンダデってしたんだ…」というわけです。最初古舘かなと思っていたわけです。行って見ました。熊野宮のある傍なんです。行って見ましたら完全に城跡なんです。空堀が三つ位あるんでねんですか。残っている所は個人持ちで、上は畑にしています。けれども、完全な城跡だということわかったわけです。それで外三郡誌に書いてあるところを見ますと、そこは安東一族の霊を祀る所ですね。安東の墓所です。神護寺という名前も出て来ますけどね。完全な城跡だとわかったんです。
(五輪の塔)
ふしぎにも、そこから完全な五輪の塔が出るんです。あすこに墓地があ〈ママ〉ますけど、その墓地の所に二基完全なのがあるんです。三がい位になっていますけど同じものが二つ。これは一体どっから来たんだ聞きますと「墳館の所です。まだまだ五輪の部分品はたくさん出る。」というのです。ちょっとこう墳館の沢になっている所、五輪の沢という名前で呼んでいます。私達が古館だなあと思っていた所、墓場であったわけですね。墳墓の墳なんです。それが外三郡誌ではじめて上巻の中に名前を出すようになったわけです。〈後略〉〟

 東日流外三郡誌には「墳館」と記された地図などが見えますが、その遺構が現地の婆様たちからは「フンダデ」「墳館」と呼ばれており、実在していたことがわかったという内容です。それまでは、地元の研究者は「古舘」と理解していたようです。この豊島勝蔵さんの証言は東日流外三郡誌に記された「墳館」の存在が事実であり、それは安東氏の墓所(墳)であったことが五輪の塔の出土から明らかになったというものです。これは東日流外三郡誌真作説を指示するものです。

 この他にも同冊子には豊島さんによる貴重な情報が載せられており、別の機会に紹介したいと思います。