2023年07月12日一覧

第3066話 2023/07/12

九州王朝宝冠の出土地

久留米大学公開講座の講演では、柳澤家所蔵の九州王朝の宝冠(注①)を紹介しました。男女一対の恐らくは金銅製の見事な宝冠であり、九州王朝の王族クラスのものと思われます。1999年6月19日、わたしは古田先生と筑紫野市の柳澤義幸さんのご自宅を訪問し、この宝冠を拝見しました(注②)。このときの写真を講演会でご披露し、出土地は太宰府近辺の古墳からと聞いただけで、詳細は不明と説明しました。
講演会終了後、福岡市から参加されたYさんから、出土地のことを記した本があることを教えて頂きました。本日、そのYさんからお電話をいただき、『豊葦原国譲りから邪馬台国夜須へ』(注③)という本に、朝倉郡筑前町夜須松延の鷲尾古墳から出土したことが記されているとのことでした。
筑前町夜須松延の地名を聞き、同地が九州王朝倭王の子孫が居住した地とする史料「松野連系図」の存在をわたしは知っていましたので、この情報の信憑性を強く感じました(注④)。現在、鷲尾古墳の調査報告書を探していますが、どうも〝未調査〟のようです。
「松野連倭王系図(国立国会図書館所蔵)」によれば、五世紀の倭王「武」の次代「哲」の傍注に「倭国王」とあり、三代後の「牛慈」の傍注に「金刺宮御宇服降/為夜須評督」、四代後の「長提」の傍注には「小治田朝 評督/居筑紫国夜須評松狭野」と見え、「哲」から「長提」は六世紀初頭から評制の時代にかかる七世紀中頃の人物と考えられ、当地に九州王朝の王族が居住していたことがうかがえます。この系図の記事と柳澤家所蔵の宝冠が無関係とは思えません。引き続き、調査します。教えて頂いたYさんに感謝します。

(注)
①古田武彦『古代史をゆるがす 真実への7つの鍵』原書房、平成五年(1993)。ミネルヴァ書房より復刻。
②古賀達也「古田先生と『三前』を行く」『古田史学会報』33号、1999年。
③平山昌博『豊葦原国譲りから邪馬台国夜須へ』梓書院、2003年。
④古賀達也「洛中洛外日記」24322450話(2021/04/12~05/06)〝「倭王(松野連)系図」の史料批判(1)~(12)〟