2024年08月30日一覧

第3337話 2024/08/30

同時代エビデンスとしての

          「天皇」木簡 (2)

 飛鳥池遺跡から出土した「天皇」木簡について、改めて調査と勉強を続けています。奈良国立文化財研究所HPの「木簡庫」によれば、飛鳥池出土「天皇」木簡は次のように説明されています(注①)。

 〝「天皇」が君主号とすれば、木簡の年代観から天武天皇を指すとみられる。ただし、君主号とは無関係な道教的文言の可能性もある。〟

 「木簡の年代観から天武天皇を指す」とありますが、「天皇」木簡に年代を示す文言は見えませんので、天武天皇とする年代観の根拠がこの説明ではよくわかりません。そこで注目したのが同木簡の出土場所を示す遺構番号のSD1130です。この遺構SD1130とは、飛鳥池遺跡北地区から検出された「南北大溝」です。
ありがたいことに「木簡庫」のデータベース機能により、「天皇」木簡と同じSD1130遺構から出土した調査登録済の木簡をただちに検索することができます。遺構番号の「SD1130」をクリックするだけで512点の木簡がヒットします。すなわち、同遺構から出土した木簡の内、512点の木簡が「木簡庫」に登録されているわけです。削屑を加えれば、出土数はもっと多いはずです。
当該調査報告書(注②)には、同遺構SD1130(南北大溝)について、次の解説があります。

「南北大溝SD1130(PL.111〜117・119〜127・129・130)
本溝は第84・93次調査で検出した素掘りの南北大溝。谷状の地形を埋め立て、南北溝SD1110、そのすぐ西側に並行する南北塀SA1120・1121、木樋SX1114などの造成前に設けられていた排水施設で、東西幅約9m、深さ0.6m。腐植土層や炭層をはさみながら埋没する。木簡は、第84次調査区から3307点(うち削屑2878点)、第93次調査区から10点(うち削屑2点)の計3317点(うち削屑2880点)が出土した。飛鳥池遺跡で最高の出土点数を誇る。木簡が特に集中したのは、北地区と南地区を遮る堰SX1199から北へ15〜30mの間である。このほか、付札状木製品が第84次調査区より14点出土している。」

 SD1130は「素掘りの南北大溝」「排水施設」とあり、この大溝は飛鳥池遺跡の排水溝だったことがわかります。「天皇」木簡は他の多数の木簡とともにそこから出土したわけです。それでは、次に「木簡庫」でヒットした512点の木簡について、代表的なものを紹介します。(つづく)

(注)
①「木簡庫」の「天皇」木簡の解説
【本文】天皇聚□〔露ヵ〕弘寅□\○□
【寸法(mm)】縦(118) 横(19) 厚さ(3)
【遺跡名】飛鳥池遺跡北地区
【所在地】奈良県高市郡明日香村大字飛鳥
【発掘次数】飛鳥藤原第84次
【遺構番号】SD1130
【地区名】5BASNL36
【内容分類】文書
【人名】天皇
【木簡説明】上端・左辺削り、下端折れ、右辺割れ。上端は左角を削り落とし、裏側を面取りする。「天皇、露ヲ聚メ、寅ヲ弘メ…」と訓読できるが、文意は不詳。「露」は雨冠の他字の可能性もある。「天皇」が君主号とすれば、木簡の年代観から天武天皇を指すとみられる。ただし、君主号とは無関係な道教的文言の可能性もある。
②『奈良文化財研究所学報第71冊 飛鳥池遺跡発掘調査報告 本文編〔Ⅰ〕─生産工房関係遺物─』奈良文化財研究所、2021年。


第3336話 2024/08/30

同時代エビデンスとしての

        「天皇」木簡 (1)

 「九州王朝研究のエビデンス」というテーマで、多元的古代研究会のリモート研究会(金曜日10:00~)や「古田史学リモート勉強会」(毎月第二土曜日19:00~)で発表を続けています。

 古田学派の論者により諸説が発表されていますが、わたしの見るところ、ややもすれば自説に不都合なエビデンスを軽視したり(エビデンスの存在そのものをご存じないこともあるかもしれませんが)、『日本書紀』の記述を「わたしはこう解釈する」という解釈論争に終始するケースがありますが、史料根拠(エビデンス)に基づき、意見が異なる他者を説得する、あるいは自説を見直すということが必要です。わたし自身も再考すべき点が少なくありません。そのような問題意識もあって、再勉強を兼ねて「九州王朝研究のエビデンス」の史料整理と発表を続けています。現在まで次のテーマを発表しました。

(1) 造営尺の変遷と九州年号「白雉」
(2) 七世紀の須恵器編年
(3) 木簡
(4) 九州年号

 多くの質問や問題点の指摘を受けて、内容に修正や追記・改良を加えています。なかでも、飛鳥池遺跡から出土した「天皇」木簡の解釈や位置づけについて説明が不十分だったようで、改めて調査と勉強をやり直しています。この「天皇」木簡がどのようなエビデンスであり、どのような位置づけの木簡であるのかについて、再勉強の結果を詳述します。

 奈良国立文化財研究所HPの「木簡庫」によれば、飛鳥池出土「天皇」木簡は次のように説明されています。(つづく)

【本文】天皇聚□〔露ヵ〕弘寅□\○□
【寸法(mm)】縦(118) 横(19) 厚さ(3)
【遺跡名】飛鳥池遺跡北地区
【所在地】奈良県高市郡明日香村大字飛鳥
【発掘次数】飛鳥藤原第84次
【遺構番号】SD1130
【地区名】5BASNL36
【内容分類】文書
【人名】天皇
【木簡説明】上端・左辺削り、下端折れ、右辺割れ。上端は左角を削り落とし、裏側を面取りする。「天皇、露ヲ聚メ、寅ヲ弘メ…」と訓読できるが、文意は不詳。「露」は雨冠の他字の可能性もある。「天皇」が君主号とすれば、木簡の年代観から天武天皇を指すとみられる。ただし、君主号とは無関係な道教的文言の可能性もある。