「大宝二年籍」断簡の史料批判(22)
本シリーズ〝「大宝二年籍」断簡の史料批判〟は「洛中洛外日記」史上最長の連載となりました。その最後に、下記の補正式提案に至った新仮説の課題と可能性について説明します。
補正式:(「大宝二年籍」年齢-32)÷2+32歳=一倍年暦による実年齢
〔今後の課題〕
①「御野国加毛郡半布里戸籍」以外の古代戸籍について有効かの検証。
②七世紀後半に至る二倍年暦に基づく二倍年齢採用の痕跡の調査。
③「庚午年籍」(670年)造籍後も二倍年齢が採用されていた場合、次回造籍時、たとえば6年後に造籍されたとき、二倍年齢で12歳の子供が新たに出現することになり、その場合、33歳以下でも一倍年齢で最大6歳の誤差を「大宝二年籍」は含む可能性がある。その場合、それを検出し補正する方法が未確立。
〔可能性〕
①従来の古代戸籍研究の前提(史料根拠)であった「戸籍年齢」という基礎データを見直すことによる、新たな古代史研究の展開。
②新仮説に基づく古代戸籍の地域差分析による多元的歴史研究の進展。
これらの課題と可能性についてその一例を紹介しますと、「大宝二年籍」の「筑前国川辺里戸籍」の記載年齢については補正式による年齢補正は不要なようであることから、九州王朝の中心領域では「庚午年籍」造籍時には二倍年齢が採用されていなかった、あるいは造籍時に一倍年齢による換算が行われたということが考えられます。岐阜県の山間部に位置する「御野国加毛郡半布里」との地域差を考えるうえでの一つの視点とできそうです。
本シリーズの内容は論文化し、本年11月に大学セミナーハウス(八王子市)で開催される「古田武彦記念古代史セミナー2020」で発表します(下記参照)。皆さんのご参加をお願いします。(おわり)
「古田武彦記念古代史セミナー2020」
【演題】
古代戸籍に見える二倍年暦の影響
―「大宝二年籍」「延喜二年籍」の史料批判―
【要旨】
古田武彦氏は、倭人伝に見える倭人の長寿記事(八十~百歳)等を根拠に、二倍年暦の存在を提唱された。二倍年暦による年齢計算の影響が古代戸籍に及んでおり、それが庚午年籍(670年)に遡る可能性を論じる。