第2199話 2020/08/08

田中禎昭さんの古代戸籍研究

 「洛中洛外日記」で連載した〝「大宝二年籍」断簡の史料批判〟を読まれた正木裕さん(古田史学の会・事務局長)から重要な研究論文をご紹介頂きました。専修大学の田中禎昭さんによる「編戸形態にみる年齢秩序―半布里戸籍と大嶋郷戸籍の比較から―」という論文で、近年の研究でもあり、わたしは全く知りませんでした。
 正木さんからFaceBookに寄せられた田中論文(部分)を転載します。

◆田中禎昭(たなか・よしあき)「編戸形態にみる年齢秩序―半布里戸籍と大嶋郷戸籍の比較から―」(専修人文論集99号 95-123, 2016)113P~114P

 大嶋郷戸籍では20歳以下の女性には配偶者・親世代尊属呼称者が1例も見えず,20歳代の女性でも同年代のわずか4.2%程度の割合でしか存在しない。つまり,「妻」「妾」の多数は41歳以上で,彼女たちが41歳以上の戸主に同籍されているという関係が見られるのである。
 では,こうした戸主の配偶関係に見られる特徴は,当時の婚姻・家族の実態を反映したものといえるのだろうか。
 もし仮に,これを8世紀初頭における実態とみるならば,当時は41歳以上の高齢結婚が中心で,40歳以下の結婚が少なかったということにもなりかねない。しかし,以下に述べる点から,こうした戸籍から婚姻・家族の実態を想定する考え方が誤っているのは明らかである。
 人口統計学の方法を古代戸籍研究に適用した W.W.ファリスや今津勝紀は,7~8世紀当時,平均寿命(出生時平均余命)は約30年,また5歳以上の平均死亡年齢は約40年であった事実を明らかにした。また服藤早苗は,古代には40歳から「老人」とする観念があったことを指摘している。
 したがって,男性が41歳を超えてからはじめて年長の配偶者を持つとするならば,当時の平均死亡年齢を超えた男女「老人」世代に婚姻と新世帯形成のピークを認めることになってしまう。
 しかし現実には,すでに明らかにされているように,7~9世紀頃における古代女性の実態的な婚姻年齢は8歳以上か13歳以上という若年であった。
 それだけでなく,近年,坂江渉は古代の歌垣史料の検討から,婚姻適齢期に達した女性すべてに結婚を奨励する「皆婚」規範が存在した事実を明らかにしている。したがって,老年結婚の普遍性を示すように見える戸籍上の現象は,若年結婚が多かった当時の婚姻の実態とはまったくかけ離れていることがわかる。
【以上引用終わり】

 正木さんも古代戸籍の年齢は二倍年暦(二倍年齢)による理解が必要と考えられているようです。なお、田中禎昭さんは従来の古代戸籍研究と同様に、戸籍記載年齢をそのまま採用して論究されています。従来説による理解と二倍年齢による理解とでは、どちらがより無理のない説明が可能となるのかが、これからは問われてきます。古田学派の中から本格的な古代戸籍研究者の登場が期待されます。

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