第2579話 2021/09/24

 『東日流外三郡誌』偽作説の根拠の一つに〝『東日流外三郡誌』の編著者である秋田孝季(あきた・たかすえ)が実在した証拠がない〟というものがありました。この偽作説に反論するため、わたしは秋田孝季の名前を求めて、和田家文書以外の史料調査を続けてきました。ところが、視点を変えた素晴らしい研究が発表されました。「洛中洛外日記」392話(注①)で紹介した、太田齊二郎さん(古田史学の会・会員、元副代表)による秋田市土崎地区の「橘」姓調査です。「寛政宝剣額」や『東日流外三郡誌』に記されているように、秋田孝季の居住地として「秋田土崎」が知られていました。更に孝季の元の姓は「橘」とされており、太田さんはこの二つに着目されました。
 和田家文書によれば秋田孝季のもとの名前は橘次郎孝季とされています。孝季の母親が秋田家三春藩主に「後妻」として入ったことにより、橘次郎孝季から秋田孝季と名乗るようになったようです。ですから、秋田土崎は孝季の「実家」の橘家があった可能性が高いのです。全国的に見れば、秋田県や秋田市に橘姓はそれほど多く分布していません。ところが、秋田市内の橘姓の七割が土崎に集中していることを太田さんが発見されました(太田さんは秋田県出身)。

〝孝季の兄「橘太郎守季」の確認がはかどらず、「橘」さん達への電話作戦を思い付き、図書館の資料室で電話帳を開いた時に気づいたのですが、秋田市の人口三十万のうち八万人の旧土崎湊地区に、市内全体で約四十の「橘」のうち七割が集中していたのです。〟(注②)

 この発見により、孝季が『東日流外三郡誌』をなぜ土崎で執筆したのかがわかりました。同書に記されたとおり、実家の橘家が土崎にあったのです。太田さんにより発見された秋田市内に於ける「橘」姓の分布状況は秋田孝季実在の根拠とでき、『東日流外三郡誌』真作説を支持するものです。

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」392話(2012/03/05)〝秋田土崎の橘氏〟
http://furutasigaku.jp/jfuruta/nikki8/nikki392.html
太田齊二郎「孝季眩映〈古代橘氏の巻〉」『古田史学会報』24号、1998年2月。
http://furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/tugaru24.html

【写真】「寛政宝剣額」と『東日流内三郡誌』。共に「土崎之住人 秋田孝季」とある。

寛政宝剣額 土崎之住人 秋田孝季

寛政宝剣額 土崎之住人 秋田孝季

東日流内三郡誌 土崎之住人秋田孝季

東日流内三郡誌 土崎之住人 秋田孝季

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