現代一覧

第559話 2013/05/19

難波収さんの訃報

 「洛中洛外日記」第129話「難波収さんとの一夕」などでご紹介しました、オランダ・ユトレヒト市在住の会員、難波収さんが5月8日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。
 難波さんはユトレヒト天文台に勤務されていた天文学者で、古くからの古田先生や古田史学の支持者でした。とても残念でなりません。ご遺族から送られてき
た訃報を転載させていただき、本ホームページ掲載されています難波さんの論稿を紹介します。故人を忍んでご一読いただければと思います。

            

(ご遺族からの訃報)

            

 「いやいや、まだいろいろ書きたいことがあるんだ。
                 読みたい本もまだたくさんあるしねぇ・・・」

            

 いつもそう言っていた父・祖父でしたが、
               母国への旅を無事に終えた直後、
               別れを言う間もなく宇宙に旅立っていきました。
               さようなら、お父さん、おじいちゃん

            

  理学博士 難波 収 儀
                    妻・故 富美代

            

1926年5月3日岡山にて誕生
              2013年5月8日オランダ、ユトレヒトにて死去

(難波さんの論稿)
難波収「人間、古田武彦さんとの出会い」
難波収「オランダの支石墓『ヒューネベット』」
難波収「一士官候補生の戦後の体験」


第558話 2013/05/19

古代ギリシアの「従軍慰安婦」

 昨日の関西例会で、わたしは古代ギリシアの「従軍慰安婦」というテーマでクセノポン著『アナバシス』にギリシア人傭兵部隊に娼婦が多数従軍していたという記事があることを紹介しました。
 ソクラテスの弟子であるクセノポンが著した「上り」という意味の『アナバシス』は、紀元前401年にペルシアの敵中に取り残されたギリシア人傭兵1万数 千人の6000キロに及ぶ脱出の記録です。クセノポンの見事な采配によりギリシア人傭兵は故国に帰還できたのですが、その記録中に娼婦のことが記されてい ます。アルメニア山中の渡河作戦の途中に次の記事が突然現れます。

 「占者たちが河(神)に生贄を供えていると、敵は矢を射かけ、石を投じてきたが、まだこちらには届かなかった。生贄が吉 兆を示すと、全軍の将士が戦いの歌を高らかに唱して鬨の声をあげ、それに合わせて女たちもみな叫んだ−−隊中には多数の娼婦がいたのである。」岩波文庫 『アナバシス』(169頁)

 この娼婦たちはギリシア本国から連れてきたのか、遠征の途中に「合流」したのかは不明ですが、将士の勝ち鬨に唱和して叫んでいることから、前者ではないかと推定しています。
 昨今、物議を醸している橋下大阪市長による「慰安婦」発言もあったことから、いわゆる「従軍慰安婦」が紀元前400年頃の記録に現れている例として紹介 しました。この問題は他国への侵略軍・駐留軍が避けがたく持つ「性犯罪」「性問題」が人類史的にも根が深い問題であり、ある意味では橋下市長の発言を契機 に、より深く考える時ではないかと思います。「建前」だけの議論や、単なるバッシングでは沖縄の米兵による性犯罪をはじめ、世界各地の侵略軍・駐留軍により恐らくは引き起こされているであろう各種の問題を解決できないことは明白です。歴史学や思想史学が机上の学問に終わらないためにも、真剣に考えるべきテーマではないでしょうか。
 5月例会の発表は次の通りでした。なお、6月例会は「古田史学の会」会員総会・記念講演会などのため中止となりました。

 

〔5月度関西例会の内容〕
1). シキの考察−−西村説への尾鰭(大阪市・西井健一郎)
2). 古代に忌み名(諱)の習俗はあったのか(八尾市・服部静尚)
3). 歩と尺の話(八尾市・服部静尚)
4). 古田史学会インターネットホームページ運営報告(東大阪市・横田幸男)
5). 古代ギリシアの「従軍慰安婦」(京都市・古賀達也)
6). 和気(京都市・岡下秀男)
7). 「室見川の銘板」の解釈について(川西市・正木裕)
8). 「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の距離について(川西市・正木裕)
8). 味経宮のこと(八尾市・服部静尚)
9). 史蹟百選・九州篇(木津川市・竹村順弘)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・会誌16集編集遅れ・新東方史学会寄付金会計報告の件・行基について・その他 


第534話 2013/03/09

「古田史学」研究サイト@なんば.opu

 第532話で正木裕さんから紹介されましたように、大阪府立大学なんばキャンパス(I-site なんば)3階ライブラリー内に開設された「古田史学」コーナーに書籍を持ち込みました。本日の「植本祭」には様々なグループが参加し、参加者が持ち寄った本が書棚に並べられました。
   それに先だって今朝、竹村順弘さんの車で古田先生宅に行き、著書や貴重な蔵書を100冊ほど寄贈していただき、「植本祭」に持ち込みました。参加された
会員の皆様にも蔵書を持ち寄っていただき、割り当てられていた書棚が初日で満杯となりました。そのため、さらに書棚の割り当てを増やしていただくようお願
いしています。引き続き、古田史学関連書籍の寄贈を続けたいと思いますので、皆様のご協力をお願い申しあげます。
    「古田史学」コーナーがある3階ライブラリーの正式オープンは4月1日からで、利用者は登録が必要です。2階には会議室等があり、関西例会などにも使用できそうです。近くには地下鉄御堂筋線の大国町駅がありますので、交通の便も良好です。
   本日のグループセッションでは正木さんから「邪馬壱国の人口について」というテーマで発表がありました。竹村さんからは「古田史学史跡ガイド」の試案が報告されました。
   蔵書一覧は後日、ホームページに掲載予定です。「古田史学」コーナーが「古田史学」研究サイトとして、多くの人にご利用いただきたいと願っています。


第533話 2013/03/04

古田武彦著『俾弥呼(ひみか)の真実』

 「編集とはかくあるべきか」。ミネルヴァ書房から出版された古田先生の新著
『俾弥呼の真実』を一読しての感想です。本当に見事な一冊と言うほかありません。同書は「古田史学の会」の友好団体「古田武彦と古代史を研究する会(東京
古田会)」の機関紙「東京古田会NEWS」に連載された古田先生の論稿を分野別に編集されたものです。同会渾身の「作品」ともいうべきものでしょう。
   わたしも「古田史学の会」著作物の編集作業に関わっていますので、編集作業の難しさ、大切さをわかっているつもりですが、『俾弥呼の真実』では見事な
テーマ別分類という編集により、古田先生の思想と学問が系統だって分かりやすく読み続けられるよう工夫されています。それは次の目次を一見しただけでも感
じ取ることができるでしょう。

 第一篇 俾弥呼のふるさと
 第二篇 俾弥呼の時代
 第三篇 真実を語る遺物・出土物
 第四篇 抹消された史実
 第五篇 もう一つの消された日本の歴史 — 和田家文書

 よくこれほどわかりやすく興味を持って読み進められるよう分類されたものだと感心しました。東京古田会による同シリーズは更に二冊が予定されているとのこと。今から楽しみにしています。皆さんにも是非お勧めします。


第532話 2013/03/02

「植本祭」のご案内
       
       
         

 正木裕さんのご尽力により、大阪府立大学なんばキャンパスに古田史学コーナー
が設けられます。古田先生の著作などを書架に並べることになりますが、3月9日に「植本祭」が開催されることになりました。正木さんから下記の案内が寄せ
られましたので、転載します。皆さんのご参加をお待ちしています。

 4月に難波にオープンする大阪府立大学なんばキャンパス「I-siteなんば」に古田史学コーナー(200冊程度収
納)を設けることとなりました。ついては、3月9日(土)13時からのプレオープンセレモニー「植本祭」に、古田史学のセッションを持ち、本の書架入れを
おこないます。
 古田史学関係の本を1冊以上持ち寄れば誰でも参加できます。終了後は学長他も参加するネットワーキングパーティ(2000円)もあります。是非ご参加ください。
 植本祭に関する大学のHPは
 http://opu.is-library.jp/
 「I-siteなんば」の住所は、大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2・3階
 アクセスは、南海電鉄難波駅 なんばパークス方面出口より南約800m 徒歩12分
  地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より南約1,000m 徒歩15分
  地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)1号出口より東約450m 徒歩7分です。


第530話 2013/02/23

中嶋嶺雄さんを悼む
 2月14日、中嶋嶺雄さん(国際教養大学学長)が亡くなられました。76歳とのこと。中嶋さんの訃報をわたしは名古屋のホテルのテレビニュースで知りました。大変残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます。
 中嶋さんは松本深志高校での古田先生の教え子で、新・東方史学会の会長でもあり、陰に陽に古田先生を応援されてきました。松本深志時代の若き古田先生とのエピソードを「洛中洛外日記」第6話「中嶋嶺雄さんと古田先生」で紹介していますので、是非ご覧ください。
 古田先生も中嶋さんのご逝去を大層残念がっておられました。「古田史学会報」4月号に弔辞をご寄稿いただくことになりました。中嶋嶺雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。


第529話 2013/02/23

谷本茂さんの古代史講義

 古田史学の会会員で古くからの古田史学研究者である谷本茂さんがNHK文化センター梅田教室で古代史の講義をされます。テーマは「邪馬台国は大和にあったか?」というもので、多元史観古田史学による講義です。皆さんの受講をおすすめします。
 
 谷本さんは2001年に東京で開催された『「邪馬台国」はなかった』発刊30周年記念講演会で、わたしとともに祝賀講演を行った間柄で、優れた研究者で
す。中でも短里研究では優れた業績を残されており、祝賀講演でも「史料解読方法の画期」というテーマで短里説を展開されました。
   谷本さんは京都大学在学中(1972年頃)からの古田ファンだそうで、古田先生の息子さんの家庭教師をしながら、古田先生の最新研究を真っ先に聞かれていたとのこと。
  「大変おいしいアルバイトだった」と祝賀講演でも話されていました。
 
 祝賀講演のわたしの演題は「古田史学の誕生と未来」というものでした。当初、事務局に提出していた演題は「古田史学を学ぶ覚悟」だったのですが、「刺激
的すぎる」というあまりよくわからない理由で変更を求められ、「古田史学の誕生と未来」に落ち着きました。もっとも内容に変更はなく、「わたしたちの学問
は、体制に認められようとか、私利私欲のためにあるのではなく、真実と人間の理性にのみ依拠し、百年後二百年後の青年のために真実を追求する、この学問を
やっていきたい。」と「檄」を飛ばしました。
   あの日からもう12年たったのかと思うと、それだけ私も谷本さんも、そして古田先生も年齢を重ねたのだと、感慨深いものがあります。これからも谷本さんと共に切磋琢磨して古田先生の学問を継承していかねばならないと、決意を新たにしました。
   谷本さんの講義は下記の通りです。ご参照ください。
   NHKカルチャー NHK文化センター梅田教室
   邪馬台国は大和にあったか?(講師:谷本茂)
  2013年4月8日(月)と4月22日(月)の2回 10:30~12:00
  一般受講料:6,300円(NHK文化セ ンター会員受講料:5,670円)
  問い合せ電話:06-6367-0880
  【概 要】
   古代史の重要な発掘や調査があると決まって大新聞が報道する「邪馬台国=近畿説に新たな証拠!」という論調には大きな疑問符がつきまといます。
   三角縁神獣鏡は卑弥呼に贈られた鏡なのか?箸墓は卑弥呼の墓である可能性が高いのか?三世紀の近畿に存在した王権を「邪馬台国」と判断する根拠は何なのか?
 
 客観的な出土物の分析ならびに文献との整合性を重視する立場から、古代史の研究・報道に関わる冷静な批判的視点を提案します。「こうであろう」論理から
「こうであるはずがない」論理に転換することで、新しい古代史の展望が開けてくることを、具体的な事例で解説します。
   NHK文化セ ンターの当該ページは↓
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_854561.html


第509話 2012/12/27

NHK大河ドラマ「平清盛」雑感

 NHK大河ドラマ「平清盛」が終わりました。巷では視聴率が最低だったとか、場面が暗い汚いなどと散々な評判のようです が、わたしはなかなかの名作と思いました。NHK大河ドラマで、わたしが全編を見たのは「平清盛」と「龍馬伝」だけです。どちらも面白かったのですが、平 安時代末期という時代背景や、登場人物の名前が「平○○」「源○○」「○○法皇」「○○上皇」ばかりで、わかりにくかったことも視聴率低迷の要因かもしれ ません。
 しかし、わたしは平安時代の勉強になりましたし、場面の多くが地元の京都市内ということもあって、とても身近に感じられました。それと豪華俳優陣、中でも常盤御前(牛若丸の母)役の武井咲さんや、清盛の妻・時子役の深田恭子さんらの平安時代の衣装をまとった美しさも魅力的でした。清盛役の松山ケンイチさ んの演技や特殊メイクも回を追うごとに迫真さを増し、良かったと思います。この「平清盛」は後世必ずや再評価されるに違いありません。
 古代から中世に移る源平の時代ですが、鎌倉時代に入ると、それまで諸史料に散在していた九州年号が、各種年代暦や『二中歴』(鎌倉時代初頭の成立)などの文献に「九州年号群」史料としてまとまって出現・成立するようになります。この現象を、近畿天皇家という古代王権が衰退したため、別王朝(九州王朝・倭国)の年号である九州年号の「使用」「記述」がはばかられなくなったためと、わたしは理解してきました。ところが、どうもそれだけではないのではないかと思うようになりました。
 もしかすると、中世以降の文献に九州年号が「頻繁」に出現するようになったのは、本当に九州王朝の存在が忘却されたため、別王朝の年号という認識が無いまま「使用」「記述」されたのではないでしょうか。その証拠として、ほとんどの九州年号使用「年代暦」などは、6~7世紀の九州年号が701年からは近畿天皇家の「大宝」年号へと「継続」した表記となっているからです。何者かはわからないまま、古代史料に遺された九州年号を近畿天皇家の年号と「同類視」 し、両者を疑うことなく「継続」表記させたと思われるのです。
 もちろん、例外もあります。江戸時代成立の『襲国そのくに偽僭考』などのように、明確に「九州年号」という表記があり、このことから九州年号を「九州地方の年号」とする認識がうかがわれます。宇佐八幡宮文書にも「教到」を「筑紫の年号」と記されている文書のあることが知られています。これも、九州年号を「筑紫地方の年号」と理解していた痕跡です。
 こうした若干の例外はあるものの、ほとんどの場合は九州王朝の存在が忘却され、「九州年号」が「使用」「記述」されているのです。こうした九州年号史料の日本思想史的な考察・研究も、これからの古田学派の仕事でしょう。
 さて、来年の大河は「八重の桜」です。綾瀬はるかさん演じる山本八重(同志社創立者新島嬢の妻)の生涯をドラマ化したものです。わたしの娘の母校である同志社大学からも新島八重の生涯を漫画で綴った小冊子が送られてきました。なかなかの力の入れようですが、創立者の奥さんの生涯がNHK大河ドラマとなるのですから、当然でしょう。人気女優の剛力彩芽さんや黒木メイサさんも出演されるとのことで、来年の大河ドラマも楽しみにしています。


第504話 2012/12/14

平成24年の回顧

 昨年に続いて、年末にあたり平成24年を回顧してみます。もちろん「古田史学の会」関連の個人的学問的な関心に基づいたものです。順不同ですが、印象の強いものから取り上げてみます。

1.太宰府出土「戸籍」木簡の衝撃
やはり今年の筆頭はこれでしょう。九州王朝の時代の「戸籍」関連木簡が太宰府から出土したのですから、九州王朝末期の王朝中枢領域の研究にとって第一級の文字史料です。

2.市 大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』と多元的木簡研究
太宰府「戸籍」木簡出土を契機に、古田学派では木簡に関する関心が一段と高まりました。その同時期に中公新書から刊行された市
大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』は一元史観に立脚したものとはいえ、最新の木簡研究の成果が記されており、わたしも大変勉強になった一冊です。
これらを契機に「多元的木簡研究会」(略称:たも研)を発足させることになりました。

3.新人論客の登場
札幌市の阿部周一さんが彗星のように登場され、次々と研究論文を投稿されています。会報掲載が間に合わないほどの投稿ペースです。さらなる研究の深化が期待されます。

4.観世音寺創建年史料の発見
阿部周一さんから『日本帝皇年代記』(鹿児島県、入来院家所蔵未刊本)が紹介され、その中に白鳳10年条(670)に「鎮西建立観音寺」という記事があることをお知らせいただきました。
また、井上肇さんから送っていただいた『勝山記』にも観世音寺の創建年が白鳳10年と記録されていました。観世音寺創建年については、『二中歴』では
「白鳳年間(661~683)」とされているのですが、具体的年次は不明でした。今回の「発見」により、創建年が明らかとなり、太宰府編年研究が前進しま
した。

5.越智国の「紫宸殿」「天皇」地名
西条市(旧・東予市)に字地名「紫宸殿」とその近傍に字地名「天皇」があることが、「古田史学の会・四国」の今井久さんらにより報告されました。この発見により、古代越智国の位置づけや九州王朝論に新たな展開が期待されています。

6.合田洋一著『地名が解き明かす古代日本』
合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人、同四国の会事務局長)が『地名が解き明かす古代日本』(ミネルヴァ書房)を上梓されました。地名を多元史観・九州王朝説により考察されたもので、古田史学の新たな分野と可能性を拓かれました。

7.中国にあった「聖徳太子」九州年号史料
名古屋市の服部和夫さん(古田史学の会・会員)から、聖徳太子が書写したとされる『維摩経』断簡が中国にあり、末尾に九州年号「定居元年」が記されていることが報告されました。これにより、九州王朝の「聖徳太子」という視点が明確となり、研究が促されました。

8.久留米大学公開講座で「九州王朝論」講義
九月に開催された久留米大学公開講座で「筑後の九州王朝」というテーマでわたしと正木裕さんが講義を行いました。古田先生以外の研究者が先生の後を受け
継ぎ、大学の公開講座で古田説・九州王朝論が講義できる時代になったのです。10年前には考えられなかった快挙です。

 この他にも、ミネルヴァ書房からは古田先生の著作が続々と復刻されており、全国の書店に並ぶようになりつつあります。来年も古田史学や「古田史学の会」にとって飛躍の年となるでしょう。楽しみです。


第492話 2012/11/14

「古田史学の会」の「成果」

 ドラッカーによれば、非営利組織について次のように定義されています。

 「非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」(『非営利組織の経営』)

 「古田史学の会」にとって、「社会を変え人を変える」とはどういうことなのかをわたしたちは考え続けてきました。「古田 史学の会」のミッション(使命)からすれば、古田史学・多元史観を日本古代史の定説とするために、長期にわたって一元史観の学界と論争を続け、真実の古代 史と学問の方法を国民に訴え続けなければなりませんから、質が高く層の厚い古田学派を作り上げる必要があります。そのためには、一般の古代史ファンを古田 史学のファン・会員に変え、古田史学のファンを古田史学の研究者に変え、古田史学の研究者を古田史学の著作者・講演者に変えなければならないと考えていま す。
 この「人を変える」という不断の取り組みにより、様々な「成果」を得ることができます。具体的にそれは会員の増加、例会参加者の増加、例会発表者の増 加、会報会誌投稿者の増加、古田史学関連著作の刊行という「成果」として現れます。同時に「古田史学の会」を支えるボランティアスタッフも増加することで しょう。
 こうした「成果」を既にわたしたちはいくつも実現させてきました。そして、これからも「成果」をあげ続けなければなりません。そのためにどのような戦略 や目標・行動が必要で効果的であるかをいつも考えています。わたしたち「古田史学の会」が持っている「資源(人・資金・時間など)」は限られていますの で、優先順位を決め、「費用対効果」にも配慮して運営していきたいと思います。これからも皆さんのご理解とご協力を心よりお願い申しあげます。


第491話 2012/11/12

ドラッカー著『非営利組織の経営』を読む

 思うところがあり、ドラッカー著『非営利組織の経営』を毎日のように読んでいます。NPOなど非営利組織に関するドラッ カーの論文は『ハーバード・ビジネス・レビュー』等で読んだことはあったのですが、著作としてまとめられたものは初めてでした。「古田史学の会」も非営利組織ですから、そのあり方や運営について、基礎から考えるうえで同書は最適の一冊でした。
 「古田史学の会」は古田先生の研究活動のサポートを始め、会報・会誌の発行、例会の運営、遺跡巡りハイキングの主催、ホームページの管理、書籍の刊行、 講演会の開催など、ミッション(使命)にもとづいて多くの活動を行っています。この他にも、地域の会との連絡や支援、友好団体とのおつきあいなども重要な 仕事です。
 これらの活動領域において、無報酬のボランティアスタッフが強い信念と責任感に基づいて会を支えています。さらに全国の会員からの会費により財政的に支 えられています。従って、「古田史学の会」はボランティアスタッフや会員に対して「成果」をあげ続けることが求められており、その「成果」が明日の「古田史学の会」の存続を可能にしてくれる、わたしはそのように考えています。
 本会のような非営利組織において最も大切なこと、それはミッション(使命)であるとドラッカーは次のように指摘します。

 「最近、リーダーシップがよく問題にされる。遅すぎたくらいである。しかし、最初に考えるべきものはリーダーシップではない。ミッションである。非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」

 「古田史学の会」のミッションは「古田史学を継承(学び)・発展(研究を深化)させ、世に広める(定説とする)」ことで す。このミッション(歴史的使命)のために、会員は会費を支払い、ボランティアスタッフは献身的に会に貢献してくれるのです。わたし自身もその一人です。
 今から20年ほど前のことですが、古田説支持者や古田ファンにより結成された「市民の古代研究会」が、そのミッションを見失ったため分裂・消滅しまし た。当時、わたしは「市民の古代研究会」の事務局長としてその分裂騒動の渦中にいました。そして、ミッションを見失った組織の末路をこの目で見てきまし た。このときの苦い経験が、「古田史学の会」の規約・名称・会報名・会誌名に、これでもかこれでもかと「古田史学」の四文字を入れる動機となったのです。 「そこまでしなくても」というご意見もありましたが、ミッションを疑いようのないほど明確にするため、あえてこのようにしました。(つづく)


第486話 2012/10/23

古田先生と森嶋通夫さん

 未明から降り出した強い雨の中、新幹線で東京にむかっています。JR東海エクスプレスカードのポイントを利用して、グリーン車でくつろいでいます。出張の多いビジネスパーソンにはありがたいサービスです。
 今日は東京日本橋のN商社で今年度下期のビジネスの打ち合わせと景気動向について情報交換をした後、今晩は山形市で宿泊予定です。ちなみに、東京の日本橋は「にほんばし」と言い、大阪の日本橋は「にっぽんばし」と言います。なぜ読み方が異なるのか理由は知りませんが、このことに最近気づきました。

 一昨日の日曜日に京都市下京区の旧・成徳中学校校舎で古田先生の講演会があり聴講しました。主催者は「文化政策・まちづくり大学校」(代表:池上惇・京都大学名誉教授)という団体で、旧・成徳中学校校舎を拠点に様々な学習会活動を主催されています。
 今回の古田講演は世界的に高名な経済学者の森嶋通夫さんの奥様(ロンドン在住で一時帰国されています)をお招きして、「森嶋学と日本古代史」というテーマで、古田先生が森嶋通夫さんとの出会いや最新の発見について講演されました。古田史学の会からは水野代表をはじめ木村賢司さん・大下隆司さん・正木裕さん・古賀らが参加しました。古田先生の奥様も参加されました。
 講演で話された古田先生と森嶋さんの出会いのエピソードについては、正木さんの提案により会報に掲載する予定です。
 森嶋さんは何度もノーベル経済学賞候補に名前が上った経済学者で、若くして文化勲章も受賞された方です(53歳のとき)。2004年に亡くなられました が、古田先生の熱心な支持者で、邪馬壱国説や九州王朝説についてもよくご存じでした。1998年11月には古田先生と対談をされ、その様子が『新・古代学』第4集(新泉社刊、1999年)に掲載されています(対談「虹の架け橋 ロンドンと京都の対話」)。
 理系(有機合成化学)出身のわたしには経済学はさっぱりわからない分野ですが、森嶋さんが古田先生同様に学問や論証をとても大切にされる本物の学者であ ることは、氏の著書(『なぜ日本は没落するか』『血にコクリコの花咲けば–ある人生の記録』『智にはたらけば角が立つ–ある人生の記録』他)を読めばよくわかります。また、文化勲章受章にともなってもらえる「年金」は全額ロンドン大学の研究所に寄付されているそうです(森嶋さんはロンドン大学名誉教授でした)。日本では本物の学者は、経済学であれ古代史であれなかなか受け入れられないようですが、世界の知性はしっかりと評価しているのではないでしょう か。
 日頃聞くこともできないような世界の経済学者のエピソードなども森嶋夫人からお聞きすることができ、とても思いで深い京都の一夕でした。