現代一覧

第2912話 2023/01/10

司馬遼太郎さんと古田先生の思い出

今年は司馬遼太郎さん(注①)の生誕百年とのこと。恐らく様々な記念番組が企画されるのではないでしょうか。古田先生は生前に司馬さんとお付き合いがあり、何度か司馬さんのことについて話されたことがありました。司馬さんも『週間朝日』に連載された「司馬遼太郎からの手紙・四七回」で古田先生との出会いの様子を記しており、そのことを『古田史学会報』で紹介したことがあります(注②)。
先生が文京区本郷にお住まいのとき(注③)、何度か訪問したことがあり、そのおりに司馬さんのことを聞いた記憶があります。司馬さんのご自宅の本棚には古田先生の著書が並んでいることや、「司馬史観」に対する見解などをお聞きしました。
「司馬史観」を単純化して言えば〝明治の政治家は良かったが、昭和の政治家はダメ〟というものですが、古田先生の視点は少々異なっていました。日本の近現代史について、先生とお話ししたことはあまり多くないのですが、「司馬史観」を批判して、次のように語られました。

〝明治の新政府を作り、日清・日露の両戦争を戦ったのは江戸時代に教育を受けた人々で、昭和の戦争を指揮した政治家・軍人達は明治時代に生まれ、その教育を受けた人々である。従って、「江戸時代(の文化・教育)は良かったが、明治時代(の文化・教育)はダメ」と言うべきである。
たとえば、明治政府は幕末を戦い抜いた貧しい下級藩士らが中心となったが、昭和の政府は明治維新で権力を握り、裕福になった人々の家庭で育った子供達による政府であり、この差が明治と昭和の為政者の質の差となった。〟(大意。古賀の記憶による)

古田先生らしい骨太の歴史観であり、「司馬史観」を超えるものではないでしょうか。司馬さんの生誕百年にあたり、この話を先生からお聞きしたことを思い出しました。

(注)
①司馬遼太郎(しば りょうたろう、大正12年(1923年)8月7日~平成8年(1996年)2月12日は、日本の小説家、フィクション作家、評論家。位階は従三位。本名は福田定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
司馬の作り上げた歴史観は、「司馬史観」と評される。その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通であり、低評価が徳川家康、山県有朋、伊藤博文、乃木希典、三島由紀夫である。この史観は、高度経済成長期にかけて広く支持を集めた。(ウィキペディアより抜粋)
②古賀達也「事務局だより」『古田史学会報』37号(2000年4月4日)。
③昭和薬科大学(東京都町田市)の教授に就任した時代。学問研究のため、東京大学図書館・史料室などに近い本郷に居したと聞いている。


第2628話 2021/12/05

愛子内親王の十二単

 12月1日に二十歳になられた愛子内親王の「成年の行事」でのローブデコルテ姿がメディアで報じられました。それを見て、〝令和の飛鳥美人〟との印象を抱いたのはわたし一人ではないと思います。恐らく来春には宮中儀式での十二単姿を見ることができるのではないかと期待しています。というのも、わたしには愛子内親王の十二単に関わる想い出があったからです。
 五年ほど前のこと、京都の染色の匠の方から突然呼ばれ、ある染色加工についての協力を要請されました。その匠とは、わたしが京都市産業技術研究所(京都リサーチパーク)主催の講演会で、古代染色技術と最先端機能性色素との関係について講演したことが御縁で知り合いになったものです。
 聞けば、古代の染料や染色技術だけで十二単の生地を染色しなければならないが、どうしても再現できない色があるとのことでした。現代の合成化学染料を使用すれば簡単ですが、草木染めなどの古代染色では困難な色でした。しかも洗濯や日光(紫外線)による変退色も許されませんから、途方に暮れました。更に染色を困難にしたのが繊維(被染物)でした。当初は口を濁しておられた匠でしたが、「繊維素材がわからなければ適切な提案ができません」と述べたところ、皇居のお堀にある蓮の繊維(藕絲・ぐうし)とのこと。蓮の繊維はかなり細く、濃く染めるのは至難の業です。藕絲を染めた経験などわたしにもなく、とりあえず天然染料を金属錯体化する技術を提案したものの、自信はありませんでした。
 後に知ったのですが、その仕事は愛子内親王が成人の儀式で着用される十二単の加工だったのでした。はたして来春、愛子内親王の藕絲で織られた十二単姿が見られるでしょうか。楽しみにしています。

2021/12/05
愛子内親王の十二単

 12月1日に二十歳になられた愛子内親王の「成年の行事」でのローブデコルテ姿がメディアで報じられました。それを見て、〝令和の飛鳥美人〟との印象を抱いたのはわたし一人ではないと思います。恐らく来春に…

Tatuya Kogaさんの投稿 2021年12月5日日曜日


第2285話 2020/11/07

上方落語勉強会特別公演を拝見

 本日、ご近所の京都府立文化芸術会館ホールでの上方落語勉強会特別公演を見に行きました。同会館落成50周年の記念落語会です。もちろん一番のお目当ては桂米團治師匠。コロナ禍で客席も半数に減らされての公演でしたが、久しぶりに大笑いさせていただきました。
 米團治師匠には「古田史学の会」を何かと応援していただいていることもあり、京都市での落語会には都合がつく限り寄せていただいています。古田先生のファンでもある米團治師匠とは、忘れがたい出会いや想い出があるのですが、中でも古田先生最後の公の場となったKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」(注①)に古田先生とご一緒に出演させていただいたことは、今でも鮮明に記憶しています。その収録内容は『古代に真実を求めて』19集(古田史学の会編、明石書店。2016年)に掲載していますので、ご覧下さい(注②)。
ご高齢の古田先生の体調を気遣って、30分だけという約束での収録でしたが、先生はなんと2時間も米團治師匠との会話を続けられました。このときの様子が米團治師匠のオフィシャルブログに、次のように記されています。
 なお、公演での米團治師匠の落語は、素人目にもますます磨きがかかったもので、お顔もお父上の米朝師匠(人間国宝)に似てきたように思われました。

(注)
①2015年8月27日にKBS京都放送局で収録し、9月に三回に分けて放送された。その翌月の10月14日に古田先生はご逝去された。
②「古代史対談 桂米團治・古田武彦・古賀達也」(茂山憲史氏〔『古代に真実を求めて』編集部〕による抄録)

【桂米團治オフィシャルブログより転載】
2015.09.09《古田武彦さん登場 @KBS京都ラジオ》

 古田武彦さん──。知る人ぞ知る古代史学界の大家です。
 「いわゆる“魏志倭人伝”には邪馬台国(邪馬臺国)とは書かれておらず、邪馬壱国(邪馬壹国)と記されているのです。原文を自分の都合で改竄してはいけません。そして、狗耶韓国から邪馬壱国までの道程を算数の考え方で足して行くと、邪馬壱国は必然的に現在の福岡県福岡市の博多あたりに比定されることになります」という独自の説を打ち立て、1971(昭和46)年に朝日新聞社から『「邪馬台国」はなかった』という本を出版(のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。たちまちミリオンセラーとなりました。
 その後、1973(昭和48)年には、「大宝律令が発布される701年になって初めて大和朝廷が日本列島を支配することができたのであり、それまでは九州王朝が列島の代表であった」とする『失われた九州王朝』を発表(朝日新聞社刊。のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。
 1975(昭和50)年には、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』の記述には、九州王朝の歴史が大和朝廷の栄華として盗用されている部分が少なくない」とする『盗まれた神話』を発表(朝日新聞社刊、のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。
 いずれも記録的な売り上げとなりました☆☆☆
 実は、芸能界を引退された上岡龍太郎さんも、以前から古田学説を応援して来られた方のお一人。
 「古田史学の会」という組織も生まれ、全国各地に支持者が広がっています。
 が──、日本の歴史学会は古田武彦説を黙殺。この45年間、「どこの国の話なの?」といった素振りで、無視し続けて来たのです。
 しかし、例えば、隋の煬帝に「日出づる処の天子より、日没する処の天子に書を致す。恙無きや」という親書を送った人物は、「天子」と記されていることから、厩戸王子(ウマヤドノオウジ)ではなく、ときの九州王朝の大王であった多利思比孤(タリシヒコ…古田説では多利思北孤=タリシホコ)であったと認めざるを得なくなり、歴史の教科書から「聖徳太子」という名前が消えつつある今日、ようやく古田学説に一条の光が射し込む時代がやってきたと言えるのかもしれません^^;
 とは言え、古田武彦さんは大正15年生まれで、現在89歳。かなりのご高齢となられ、最近は外出の回数も減って来られたとのこと。なんとか私の番組にお越し頂けないものかなと思っていたところ──。
 ひょんなことから、「古田史学の会」代表の古賀達也さんにお会いすることができたのです(^^)/
 古賀達也さんのお口添えにより、先月、私がホストを勤めるKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」への古田武彦さんの出演が実現したという次第!
 狭いスタジオで、二時間以上にわたり、古代史に纏わるさまざまな話を披露していただきました(^◇^;)
 縄文時代…或いはそれ以前の巨石信仰の話、海流を見事に利用していた古代人の知恵、出雲王朝と九州王朝の関係、平安時代初期に編纂された勅撰史書「続日本紀」が今日まで残されたことの有難さ、歴史の真実を見極める時の心構えなどなど、話題は多岐に及び、私は感動の連続でした☆☆☆
 老いてなお、純粋な心で隠された歴史の真実を探求し続けておられる古田先生の姿に、ただただ脱帽──。
 古田武彦さんと古賀達也さんと私の熱き古代史談義は9日、16日、23日と、三週にわたってお届けします。
 水曜日の午後5時半は、古代史好きはKBSから耳が離せません(((*゜▽゜*)))
2015年9月9日 米團治


第2237話 2020/08/21

上皇陛下の天智天皇讃歌(平成二年御製)

 明治天皇の「即位の詔勅」が宣命体であり、そこに天智天皇や神武天皇の業績が特筆されていることに驚いたのですが、天智天皇が日本国の基礎を築いたという認識が現在の上皇陛下へも続いていることを最近になって知りました。そのことについて紹介します。
 ご近所の古本屋さんにあった『近江神宮 天智天皇と大津京』(新人物往来社、平成三年)を格安で購入したのですが、その巻頭グラビア写真に当時の天皇・皇后(現、上皇・上皇后)のお歌が掲載されていました。近江神宮の宮司、佐藤忠久さんが書かれたものです。

 「近江神宮五十年祭にあたって」
「今上陛下 御製」
「日の本の国の基を築かれし すめらみことの古思ふ」
「皇后陛下 御歌」
「学ぶみち 都に鄙に開かれし 帝にましぬ 深くしのばゆ」
  「近江神宮 宮司 佐藤久忠謹書 (印)」

 この御製御歌は、近江神宮御鎮座50周年(平成二年、1990年)の式年大祭に際して、当時の両陛下から賜ったものと説明されています。御製に「日の本の国の基を築かれし すめらみこと」とあり、近江神宮に下賜されたものであることから、この「すめらみこと」とは天智天皇です。その天智天皇が日本国の基を築かれたという認識に、わたしは注目したのです。おそらくこれは、皇室や宮内庁の共通の歴史認識に基づかれたものと思われます。
 古田先生は、『よみがえる卑弥呼』(駸々堂、1987年)に収録されている「日本国の創建」という論文で、671年(天智十年)、近畿天皇家の天智天皇の近江朝が「日本国」を創建したとする説を発表されています。偶然かもしれませんが、この古田説と御製に示された認識が、表面的ではあれ一致しています。あらためて天智天皇や近江朝に関する研究史を精査する必要を感じました。


第2236話 2020/08/20

明治天皇の即位の宣命と「不改常典」

 先日の「古田史学の会」関西例会では『続日本紀』元明天皇の即位の宣命に初めて見える「不改常典」について研究発表しました。その要旨は、天智の近江朝が九州王朝からその権威を引き継いだ宣言こそ「不改常典」の内実ではないかとするものでした。そしてそれは「禅譲」に近いものではないかと推定しました。
 しかし、『日本書紀』は九州王朝の存在や、天智がその権威を継承したことを隠していますし、宣命で述べられた天智天皇が定めた「不改常典」という言葉さえも掲載していません。ですから、『日本書紀』成立後(720)の聖武天皇や孝謙天皇らの即位宣命にも「不改常典」のことが記されてはいるものの、初代の神武天皇を近畿天皇家の権威の淵源とする『日本書紀』の大義名分と、天智天皇が定めた権威の淵源「不改常典」との関係が不明瞭です。
 ところが、この天智天皇が定めた法(「不改常典」法)と『日本書紀』の大義名分の両方含む即位の宣命があります。それは慶應四年(1868)八月二十七日に発布された明治天皇の即位の宣命です(翌九月に「明治」に改元)。当該部分を紹介します。

 「掛(かけまくも)畏(かしこ)き近江の大津の宮に、御宇(あめのした)しろしめし、天皇の初め賜ひ定め賜へる法の随(まま)に、仕え奉(まつる)と仰せ賜ひ授け賜ひ」
 「橿原の宮に御宇しろしめし、天皇の御(おん)創(はじ)めたまへる業(わざ)の古(いにしへに)基(もとづ)き、大御世を弥(いや)益々に、吉(よ)き御代と固(かため)成(な)し賜はむ」

 このように、近世においても天智天皇と神武天皇の二人が皇室の歴史的権威の淵源とされていることは興味深いことと思います。

【明治天皇の即位の宣命 原文】
 「現神止大洲国所知須、天皇我詔旨良万止宣布勅命乎、親王諸臣百官人等、天下公民衆聞食止宣布。掛畏伎平安宮爾、御宇須倭根子天皇我、宜布此天日嗣高座乃業乎、掛畏伎近江乃大津乃宮爾、御宇志、天皇乃初賜比定賜倍留法随爾、仕奉止仰賜比授賜比、恐美受賜倍留御代々乃御定有可上爾、方今天下乃大政古爾復志賜比弖、橿原乃宮爾御宇志、天皇御創業乃古爾基伎、大御世袁弥益々爾、吉伎御代止固成賜波牟、其大御位爾即世賜比弖、進毛退毛不知爾恐美坐佐久止宣布大命乎、衆聞食止宣布。(後略)」


第2160話 2020/05/27

【会員の皆様への緊急告知
会員総会中止と代替措置の報告

 古田史学の会・役員会は、例年六月に開催してきた定期会員総会とそれに先立つ全国世話人会の招集を、本年については中止することを決定しましたので会員の皆様にお知らせいたします。
 おりからのコロナ禍による緊急事態宣言発令などの影響を受け、古田史学の会も例会活動や講演会の開催中止を余儀なくされてきました。会員総会についても現時点での開催は困難との認識に立ち、総会に代えて、『古田史学会報』に事業報告・決算報告・新年度予算案・人事案などを掲載することとしました。総会としての審議・決議が行えませんので、新年度の予算案・事業計画などは従来と大差なきよう配慮しました。また、それらについて会員の皆様からのご意見などがあれば、事務局までお手紙などでご連絡いただきたいと存じます。これらの措置をもって会員総会での審議・決議に代えさせていただきたいと存じます。
 会員の皆様にはご迷惑をおかけすることになりますが、コロナ禍という現状において、苦渋の決断であることをご理解いただきますようお願い申し上げます。
 古田史学の会はこれからも会の目的実現のために奮闘してまいります。会員の皆様の変わらぬご支援ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
     令和二年(二〇二〇)五月二七日
              古田史学の会・代表 古賀達也


第2156話 2020/05/21

九州王朝の現地説明動画がすごい

 「古田史学の会」事務局次長の竹村順弘さんから、素晴らしいYouTube動画のご紹介メールが届きました。九州王朝説を太宰府都府楼跡や大野城・水城の現地で説明するという動画で、とてもわかりやすく、初心者向けの優れた編集でした。「古田史学の会」ホームページの存在にも触れていただいています。
 竹村さんからのメールを転載します。皆さんもぜひご覧になって下さい。そして、多くの方にご紹介いただければ幸いです。

〔以下、竹村さんからのメール〕

前略。毎度、お世話になっております。
昨日の参加者の皆様、お疲れさまでした。
WEBで面白い記事を見かけました。
下記にURLを記します。
第4話のコメント欄に、服部さんのクラウド講演会も紹介しておきました。

竹村順弘

=============
【古代史探索の旅Ⅱ】第1話 失われた歴史/九州王朝(前編) 大宰府と古代山城
@21,927 回視聴@2019/09/08
https://www.youtube.com/watch?v=qO6BXpiOOtk

【古代史探索の旅Ⅱ】第2話 失われた歴史/九州王朝(後編) 根拠となる史跡・資料をまとめています@12,770 回視聴@2019/10/05
https://www.youtube.com/watch?v=xvElxYBjXls

【古代史探索の旅Ⅱ】第3話 卑弥呼は九州にいた/邪馬台国が北部九州にあったことを結論付けることができました@47,482 回視聴@2020/01/14
https://www.youtube.com/watch?v=8ycasej7InU

【古代史探索の旅Ⅱ】第4話 邪馬台国の所在地を最も正しい(と思う)方法で推定しました@14,630 回視聴@2020/05/12
https://www.youtube.com/watch?v=CG-mNL-6d8g
=============

〔以下、動画への竹村さんのコメント〕

第1話から第4話までの素晴らしい作品を見させて頂きました。
コロナ禍で取材が続行できないとのこと、残念です。
私たちも、同様にコロナ禍で、勉強会や研究会が開催できずにおります。
そこで、私たちも動画を作ってみました。
【古代史探索の旅Ⅱ】のような凝った編集はできませんが、手作り感満載です。
ご視聴いただければ幸甚です。


第2145話 2020/05/03

クラウド(YouTube)古代史講演会

   のご案内

本日、竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)より、下記のメールが届きましたので紹介します。日本社会で自粛が続く中、ネットやSNSを用いて「古田史学の会」として何か発信やバーチャル例会などができないかと竹村さんに相談してきたのですが、この度、YouTubeで服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)による古代史講演が配信されることになりました。皆様からのご意見やご要望などを参考にしながら改良・発展させることができます。ご視聴とご協力をお願いします。

【以下、転載】
前略。毎度、お世話になっております。
服部編集長によるクラウド講演会、ユーチューブにアップ中です。
竹村順弘

 2024年10月23日削除しました。竹村氏の講演記録のみ残っています。検索すれば出てきます。
項目のみ記載しています。

【クラウド講演会@服部静尚】
「古田武彦氏の多元史観で古代史を語る」

1. 邪馬台国と卑弥呼

2. 古墳と多元史観

3. 倭国独立と倭国年号

4. 聖徳太子の実像

5. 大化の改新

6. 天皇と飛鳥

7. 白村江戦と壬申の乱

8、日本書紀


第2141話 2020/04/24

竹田侑子さんからのお礼状

 わたしたち「古田史学の会」では、会員論集『古代に真実を求めて』を友好団体などに贈呈させていただいています。この度上梓した『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)を贈呈した竹田侑子さん(秋田孝季集史研究会・会長、弘前市)からお礼状が届きましたので紹介します。

【お礼状から一部転載】
(前略)
 それにしても魅力的なタイトルです。
 頂戴していつも、タイトル選びが上手だな、と思うのですが、今回は執筆者の皆様が、九州王朝が失われてからの日本の歴史にどんな孤独を抱いたのだろうか、などと連想させるような、余韻を漂わせていました。
 これから、じっくりと心して読ませていただきます。
 楽しみです。本当にありがとうございました。

 日々ご多忙と拝察しておりますが、ご自愛くださり、「古田会」を引っ張っていってくださることを願っております。
                        草々

                    2020年4月15日
                       竹田侑子
(後略)
【転載おわり】

 同書のタイトルをお褒めいただき、安心しました。というのも、今回のタイトルは敢えて文学的表現にしたのですが、読者から評価していただけるものか、正直不安だったのです。
 もっとよいタイトルがあるのではないかと悩み続けて、最終的には正木裕さんの「〝日本書紀〟だけではなく、〝古事記〟もタイトルにいれるべき」というご意見を採用し、さらに当初案はメインタイトルが「消えた古代王朝」、サブタイトルが「『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独」だったのですが、服部編集長のご意見により、メインタイトルとサブタイトルを入れ替えることになったものです。
 その後も、久冨直子さん(編集部員)から別のタイトル案も出され、最終的には明石書店の編集会議で『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』が採用されました。明石書店内でもかなり議論になったとうかがっています。タイトルの善し悪しが、本の売れ行きに大きく影響しますから、竹田さんからのお褒めの言葉は大変励みになりました。
 なお、『古代に真実を求めて』は18集から特集テーマを前面に出して、タイトルも新たに付けることにしました。おかげさまで、それ以来、販売部数が伸びて、再版されるようにもなりました。竹田さんからお褒めいただいた各号のタイトルは次のようなものです。

18集 盗まれた「聖徳太子」伝承
19集 追悼特集 古田武彦は死なず
20集 失われた倭国年号《大和朝廷以前》
21集 発見された倭京 太宰府都城と官道
22集 倭国古伝 姫と英雄(ヒーロー)と神々の古代史
23集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝


第2130話 2020/04/09

4月度「古田史学の会」関西例会を中止します

 この度の新型コロナウィルス対策として発出された政府の緊急事態宣言により、4月18日の「古田史学の会」関西例会会場のドーンセンターが閉鎖となりました。そのため、「古田史学の会」では4月度の関西例会中止を決定しましたので、お知らせいたします。
 関係者、会員の皆様にはご迷惑やご心配をおかけすることになり、申し訳ございません。今後の「関西例会」など諸行事の開催状況につきましても適切に判断し、ホームページ「新・古代学の扉」で案内いたしますので、皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。会員の皆様におかれましては一層ご健康に留意していただき、またお元気なお顔を拝見できることを願っております。

追伸 「市民古代史の会・京都」主催の古代史講演会も4月度(講師:古賀)・5月度(講師:正木さん)の中止を決定されたとのご連絡をいただきましたので、ご一報申し上げます。


第2128話 2020/04/07

奈良新聞に

『古代に真実を求めて』23集プレゼントの案内

 奈良新聞(2020.04.04)に、古代大和史研究会(原幸子代表)からの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』(『古代に真実を求めて』23集)読者プレゼントの案内が掲載されました。
 記事には次のように同書が紹介されています。

 〝古代史研究家の故古田武彦氏は、大和朝廷に先立って九州王朝が存在し、中国史書に見える「倭国」とは九州王朝とする多元的歴史観・九州王朝説を提唱した。同書は古田氏の多元的歴史観に基づく史料批判により、「古事記」「日本書紀」の中に失われた九州王朝「倭国」の痕跡を探り出し、「真実の古代史像」を明らかにする。〟

 奈良新聞の読者に古田史学・古田武彦ファンが増えることが期待されます。古代大和史研究会の取り組みと、掲載していただいた奈良新聞に感謝いたします。


第2122話 2020/03/30

新型コロナウィルスの対策方針について

 新型コロナウィルスの感染拡大による各種イベントの自粛要請などを受けて、「古田史学の会」役員会は、当面、次のような対策と各種講演会への対応方針を決定しましたので、会員や講演会・例会参加者の皆様にお知らせいたします。ご理解とご協力をお願い申し上げます。

1.関連自治体や会場管理者の要請に応じて、各種イベント開催の是非や講師派遣などの協力について適切に判断いたします。

2.関西例会など主催イベントの開催も上記に準じ、開催する場合は発表者を始め参加者にマスク着用、手の消毒などの協力を要請します。ご高齢者や病弱な方の命と健康を守るため、咳や発熱などの症状がある方のご入場をご遠慮いただきます。また、持病をお持ちの高齢者の参加は自粛をお願い申し上げます。

3関係団体主催イベントへの講師派遣については、必要な安全対策を要請し、講師の安全確保が困難と判断した場合は講師派遣などの協力をお断りします。

4.政府や関連自治体の方針に基づき、上記の対応を継続します。具体的なイベント開催の中止や延期などについては「古田史学の会」ホームページ、『古田史学会報』などで告知いたします。

以上

 この難局を乗り越えるために、皆様のご理解とご協力を重ねてお願い申し上げます。