古田武彦一覧

第1077話 2015/10/17

悲しみと励ましの関西例会

本日の関西例会はいつもとは少し異なり、重苦しい雰囲気が感じられました。というよりも落ち込んでいるわたしを皆さんにおもんばかっていただいたためでした。
 お昼休みに開催した「古田史学の会」役員会では古田先生のご逝去により、「偲ぶ会」の検討や『古代に真実を求めて』追悼特集について打ち合わせを行いました。午後の部の冒頭では参加者全員で黙祷しました。
 例会後の懇親会には桂米團治さんが駆けつけていただきました。米團治さんはは住吉での落語会を終えた後、懇親会に参加していただいたものです。 有り難いことです。今日は姫路市で落語会とのことでした。これからの米朝一門を立派に牽引されていかれることでしょう。皆さんに励まされた一日でした。
 10月例会の発表は次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
①本朝皇胤紹運録の中の九州年号(八尾市・服部静尚)
②新唐書日本伝の史料批判(八尾市・服部静尚)
③「副葬」は「廃棄」である(京都市・岡下英男)
④仮説、「国伝」(姫路市・野田利郎)
⑤盗まれた九州王朝の「難波宮」と「吉野宮」の歌(川西市・正木裕)
⑥「ニギハヤヒの位置付け」及び「神武の東征はなかった」の補足(東大阪市・萩野秀公)
⑦六国史の「皇祖母」(高松市・西村秀己)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(10月14日22時13分、西京区の桂病院にてご逝去)・史跡ハイキング(関大博物館・他)・「最勝会」の研究・高橋崇『藤原氏物語 栄華の謎を解く』・水野孝夫「泰澄と法蓮」会報74号・その他


第1076話 2015/10/15

古田武彦先生ご逝去の報告

 古田武彦先生が昨日ご逝去されました(享年89歳。10月14日午後10時13分、搬送先の桂病院にて)。謹んで皆様にご報告申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、古田先生の御遺命により、葬儀は執り行われず、ご親族によるお別れがなされます。「古田史学の会」としましては、友誼団体ともご相談の上、「お別れ会」(仮称)を執り行います。日時・会場など詳細が決まりましたら改めてご報告申し上げます。
 また、「九州年号特集」を予定していました『古代に真実を求めて』19集(来春発行)は「古田武彦先生追悼号」に変更させていただきます。
 先生の御遺志と学問、古田史学・多元史観をこれからも継承発展させることをお誓い申し上げます。

 平成27年(2015)10月15日
         古田史学の会 代表 古賀達也

古田武彦研究年譜を掲載


第1064話 2015/09/29

「古田史学の会・まつもと」の皆さんと懇談

 今日から北陸・信州・名古屋と出張です。富山からは北陸新幹線で長野に入り、仕事と行程の都合から松本市で宿泊です。ちょうどよい機会ですので、「古田史学の会・まつもと」の北村明也さん、鈴岡潤一さん(松本深志高校教諭)と夕食をご一緒し、その後、村田正幸さんと歓談しました。北村さんは松本深志高校での古田先生の教え子さんで、村田さんは「古田史学の会」全国世話人を引き受けていただいています。北村さん・鈴岡さんとは「古田史学の会」の展望について意見交換し、村田さんからは長野県に分布する「高良社」「高良明神」などの調査結果の説明があり、なぜ筑後地方神とされる「高良神」が信州に数多く祀られるのかについて論議しました。いずれも楽しく有意義な一夕となりました。
 お会いする約束をいただくため、事前に北村さんにお電話したのですが、突然のわたしからの電話に、「古田先生に何かあったのですか」と驚かれていました。ちょっと申しわけない気持ちと、古田先生を気遣い慕う教え子さんたちの思いが、60年以上たった今日でも続いていることに感動を覚えました。
 今日、初めて北陸新幹線に乗りましたが、内装もきれいですし、シートに着いている枕は上下に移動するという優れものでした。金沢駅から富山駅まで乗り、その後、黒部宇奈月温泉駅から長野駅まで利用しましたが、いずれの駅も積雪に耐えられるように、ホームの屋根を支える鉄骨は京都駅などには見られないような頑丈な作りでした。さすがは雪国の新幹線仕様です。聞けば、様々な降雪対策が施されているとのことですので、岐阜・米原間の降雪でよく止まる東海道新幹線も見習ってほしいものです。なお、「黒部宇奈月温泉駅」は新幹線の駅名としては最も長い名前とのことでした。
 松本には仕事ではなく、次回はプライベートな旅行で訪れたいと思いました。


第1051話 2015/09/11

古田先生登場「桂米團治さんオフィシャルブログ」

 桂米團治さんのオフィシャルブログに古田先生や妻とわたしとの写真が掲載され、古田学説が見事な要約で紹介されています(9月9日付)。KBS京都放送のラジオ番組「本日、米團治日和」の収録時などの写真です。その要約があまりにも見事で、かなり古田先生の本を読み込んでおられ、正確に理解されておられることがうかがえます。大変ありがたいことです。転載し、紹介させていただきます。

「桂米團治さんオフィシャルブログ」より転載

2015.09.09 《古田武彦さん登場 @ KBS京都ラジオ》
http://www.yonedanji.jp/?p=16146

古田武彦さん──。知る人ぞ知る古代史学界の大家です。

「いわゆる“魏志倭人伝”には邪馬台国(邪馬臺国)とは書かれておらず、邪馬壱国(邪馬壹国)と記されているのです。原文を自分の都合で改竄してはいけません。そして、狗邪韓国から邪馬壱国までの道程を算数の考え方で足して行くと、邪馬壱国は必然的に現在の福岡県福岡市の博多あたりに比定されることになります」という独自の説を打ち立て、1971(昭和46)年に朝日新聞社から『「邪馬台国」はなかった』という本を出版(のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。たちまちミリオンセラーとなりました。

その後、1973(昭和48)年には、「大宝律令が発布される701年になって初めて大和朝廷が日本列島を支配することができたのであり、それまでは九州王朝が列島の代表であった」とする『失われた九州王朝』を発表(朝日新聞社刊。のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。

1975(昭和50)年には、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』の記述には、九州王朝の歴史が大和朝廷の栄華として盗用されている部分が少なくない」とする『盗まれた神話』を発表(朝日新聞社刊、のちに角川文庫、朝日文庫に収録)。

いずれも記録的な売り上げとなりました☆☆☆

実は、芸能界を引退された上岡龍太郎さんも、以前から古田学説を応援して来られた方のお一人。

「古田史学の会」という組織も生まれ、全国各地に支持者が広がっています。

が──、日本の歴史学会は古田武彦説を黙殺。この45年間、「どこの国の話なの?」といった素振りで、無視し続けて来たのです。

しかし、例えば、隋の煬帝に「日出づる処の天子より、日没する処の天子に書を致す。恙無きや」という親書を送った人物は、「天子」と記されていることから、厩戸王子(ウマヤドノオウジ)ではなく、ときの九州王朝の大王であった多利思比孤(タリシヒコ…古田説では多利思北孤=タリシホコ)であったと認めざるを得なくなり、歴史の教科書から「聖徳太子」という名前が消えつつある今日、ようやく古田学説に一条の光が射し込む時代がやってきたと言えるのかもしれません^^;

とは言え、古田武彦さんは大正15年生まれで、現在89歳。かなりのご高齢となられ、最近は外出の回数も減って来られたとのこと。なんとか私の番組にお越し頂けないものかなと思っていたところ──。

ひょんなことから、「古田史学の会」代表の古賀達也さんにお会いすることができたのです(^^)/

長年にわたり米朝ファンでいらした鋸屋佳代子さんのご紹介で、古賀さんご夫妻とスリーショットを撮る機会を得た私。

古賀達也さんのお口添えにより、先月、私がホストを勤めるKBS京都のラジオ番組「本日、米團治日和。」への古田武彦さんの出演が実現したという次第!

狭いスタジオで、二時間以上にわたり、古代史に纏わるさまざまな話を披露していただきました(^◇^;)

縄文時代…或いはそれ以前の巨石信仰の話、海流を見事に利用していた古代人の知恵、出雲王朝と九州王朝の関係、平安時代初期に編纂された勅撰史書「続日本紀」が今日まで残されたことの有難さ、歴史の真実を見極める時の心構えなどなど、話題は多岐に及び、私は感動の連続でした☆☆☆

老いてなお、純粋な心で隠された歴史の真実を探求し続けておられる古田先生の姿に、ただただ脱帽──。

古田武彦さんと古賀達也さんと私の熱き古代史談義は9日、16日、23日と、三週にわたってお届けします。

水曜日の午後5時半は、古代史好きはKBSから耳が離せません(((*゜▽゜*)))


第1040話 2015/08/31

古田先生出演「本日、米團治日和」

 のオンエア日程

 先週、収録されたKBS京都放送の古田先生が出演される「本日、米團治日和」のオンエア日程ですが、いただいた企画表によれば、9月の9日、16日、23日の17:30〜18:00とありましたのでお知らせします。特段の事情がなければこれらの水曜日に放送されます。関西の皆さん、ぜひ聴いてください。なお、Radiko.jpプレミアムに登録すればパソコンやスマホで全国どこでも聴けるそうです(有料、要契約)。

「本日、米團治日和」での紹介です。
2015.09.09 《古田武彦さん登場 @ KBS京都ラジオ》

 希望される会員に「洛洛メール便」で配信しています「洛中洛外日記【号外】」の8月のタイトルをご紹介します。まだ発信申し込みをされていない会員の方は、ぜひお申し込みください。

「洛中洛外日記【号外】」8月配信のタイトル
日付    タイトル
2015/08/01 9月6日、東京講演会の打ち合わせ
2015/08/04 KBS京都ラジオ収録の打ち合わせ
2015/08/05 「インターネット例会」構想
2015/08/08 「国分寺」問題の服部さんとのメール
2015/08/10 古田先生から原稿いただく
2015/08/12 KBS京都放送で米團治さんと打ち合わせ
2015/08/17 古田ファン発見!「居島一平さん」
2015/08/18 東大で古代関東の研究例会開催
2015/08/20 『海路』12号「九州の古代官道」を読む
2015/08/21  9/06 東京講演のパワーポイント完成
2015/08/23  9月5日の「武蔵国分寺」現地調査プラン
2015/08/26 『月刊 加工技術』連載コラム「海の正倉院」沖ノ島の金銅製龍頭
2015/08/29  米團治さんからの問い


第1036話 2015/08/27

KBS京都放送でラジオ番組収録

 本日、KBS京都放送のラジオ番組「本日、米團治日和。」(毎週水曜日17:30オンエア)の収録を古田先生、桂米團治さんと行いました。京都御所の西側にあるKBS京都放送局で午後3時から約3時間ほどの収録でしたが、3回に分けてオンエアされるとのことです。
 最初は3人の対談を収録し、その後、不足分や修正部分を米團治さんとわたしの二人で追加収録しました。古田先生は2時間ほど対談され、話題は古田先生の奥様と米朝さんがともに姫路のご出身であったことなどからスタートし、古田先生の初期三部作(『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』)を紹介し、それぞれのテーマに分けて収録されました。オンエアも本ごとの内容に分けて3週にわたるとのことでした。
 米團治さんは古田説を大変よくご存じで、的確な質問を続けられ、古田説のエッセンスを抽出する収録となりました。古田先生もお疲れの様子も見せず、終始なごやかな雰囲気で収録は終了しました。オンエアがとても楽しみです。放送日程が決まりましたら、「洛中洛外日記」でご紹介しますが、残念ながらローカル局ですので、関西地方しか聞けないと思います。

「本日、米團治日和」での紹介です。
2015.09.09 《古田武彦さん登場 @ KBS京都ラジオ》

 「古田史学の会」からは服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)と会員の茂山憲史さんが写真撮影担当として同行していただきました。その服部さんから、次のメールが届きましたので、ご紹介します。収録スタジオの隣の編集室で見学されていたのですが、収録の雰囲気がよくわかると思います。

桂米團治師匠と記念撮影

左から桂米團治師匠、古田武彦先生、古賀達也、古田光河氏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【服部さんから「古田史学の会」役員へのメール】

本日の収録には驚きました。

1、米團治さんが、古田史学を完璧に理解されている。その上での、問いかけだから的をいている。
2、古田先生が、2時間、休み無しで熱く語られた。酸素吸入無しに。
3、スタジオ、収録室が全て古田ファンであった。


第1015話 2015/08/04

「還暦」の想い出

 今日は仕事で名古屋に来ています。明日も当地で仕事ですのでホテルに泊まるのですが、明日、わたしは還暦(60歳、「還暦」の正確な定義は本稿末尾の西村注をご参照ください)を迎えます。還暦を迎えるのにふさわしい一日を過ごしたいと考えていますが、この「還暦」の想い出をご紹介します。
 今から29年前、わたしは初めて古田先生にお会いしました。「市民の古代研究会」主催の茨木市での講演会で初めて先生の謦咳に接したのです。
 その年、古田先生の名著『「邪馬台国」はなかった』(角川文庫版)を伏見の書店で偶然見つけ、夜を徹して読み続けました。わたしが真実の古代史を知った瞬間でした。その後、次々と古田先生の著作を買い求め、その日のうちに読破するという日々が続きました。学問とはこのようにするのかという感動に打ち震えながら、この古田武彦という人物に会ってみたいという願望が日増しに高まったのです。
 そうしたとき「市民の古代研究会」という古田先生を支持する研究会の存在を知り、当時、同会事務局長だった藤田友治さん(故人)に電話で入会を申し込みました。そうして古田先生の講演会に参加する機会を得ました。残念ながら講演の内容は全く覚えていませんが、講演後の懇親会の様子は今でも鮮明に記憶しています。
 著書の内容から素晴らしい人物だと思ってはいたのですが、同時に熱狂的なファンに囲まれていましたので、ちょっと用心深く観察していました。懇親会は古田先生の還暦のお祝いも兼ねており、赤い頭巾やちゃんちゃんこが古田先生にプレゼントされ、先生もにこやかに着ておられました。その後、参加者との質疑応答が始まり、初心者のわたしからの低レベルの質問に対しても懇切丁寧に答えられ、本当に「腰が低い」人物であることがわかりました。以来、わたしはこの人を学問の師とすることを決め、今日に至っています。
 わたしが古田先生に初めてお会いしたときの先生の年齢(還暦)を、明日、自分が迎えるのですが、感慨無量というほかありません。未だ先生の足下にも及びませんが、わたしの人生最大の決断は間違っていなかったと深く確信しています。

(西村秀己さんからのご注意〉
 「還暦」の解釈は大いに問題です。古賀さんの生まれた1955年は乙未でこの干支に還ることを「還暦」と言います。従って全ての人は自分の誕生日ではなくその年の「元旦」を迎えた時が還暦になります。この問題は「還暦」だけではなく「古稀」「喜寿」など全てに相当します。


第1010話 2015/07/31

古田武彦著

『古代史をゆるがす 真実への7つの鍵』復刊

 1993年に原書房から刊行された古田先生の著作『古代史をゆるがす — 真実への7つの鍵』が、この度ミネルヴァ書房から復刊されました。
 同書巻頭には美しいカラー写真が収録されており、印象深く記憶に残っている一冊でした。今回、改めて読み直しましたが、7つの重要な論点がそれぞれ独立していながらも、九州王朝という概念を明確に浮かび上がらせるという見事な構成となっています。その7つの論点は次の通りですが、古田史学や九州王朝説が初学者にとっても興味深く理解できる好著です。お持ちでない方は、この機会に是非書架に揃えていただきたい本です。

『古代史をゆるがす 真実への7つの鍵』の論点

第1の鍵 足摺に古代巨石文明があった
第2の鍵 宮殿群跡の発見と邪馬一国
第3の鍵 祝詞が語る九州王朝
第4の鍵 「縄文以前」の神事
第5の鍵 立法を行っていた「筑紫の君」磐井
第6の鍵 「十七条憲法」を作ったのは誰か
第7の鍵 もうひとつの万葉集


第1007話 2015/07/25

古田先生へのご挨拶

 本日、JR桂川駅のイオンモール2階の食堂で、古田先生と「古田史学の会」役員とで昼食をご一緒し、役員交代のご挨拶をしました。「古田史学の会」からは水野顧問・正木事務局長・竹村事務局次長・服部編集責任者とわたしが出席し、古田先生のご子息の古田光河(ふるたこうが)さんも同席されました。2時間ほど懇談したり、古田先生の新発見テーマなどをお聞かせいただき、楽しい昼食会となりました。
 服部さんからは、ミネルヴァ書房から発行予定の『「邪馬台国」論争を超えて -邪馬壹国の歴史学-』(仮称)の企画概要が説明され、古田先生のメッセージ執筆依頼を行いました。
 わたしからは、最近取り組んでいる鞠智城や熊本県あさぎり町才園古墳出土の鍍金鏡について報告し、古田先生のご見解を求めました。先生も関心を持っておられたようで、まず鍍金鏡の実物を見ることが重要とのご指摘をいただきました。
 この8月8日で古田先生は89歳になられますが、研究や執筆意欲は旺盛なご様子でした。足腰が弱られているようで、光河さんが車椅子で先生をご自宅まで送られました。皆で記念写真をとり、お別れの際、先生は車椅子から立ち上がられ、丁重にお辞儀をされました。わたしたちは先生のご長寿を祈り、古田史学の継承・発展を心に誓いました。

古田史学会役員交代挨拶

向かって左から水野前代表、正木事務局長、古賀代表、古田光河氏、服部編集長、中央が古田武彦氏


第961話 2015/05/29

火山列島の歴史学

 今日は博多に向かう新幹線に乗っていますが、平日ですので朝からひっきりなしに国内外のお客様や代理店、そして会社からメールと電話が入ります。毎度のことではありますが、これでは年休を取って休んでいる気がしません。特にベトナム向けの重要案件が進行中ということもあって、そのメール対応が大変です。明日は久留米大学での公開講座があるというのに、ビジネスから古代史への頭の切り替えが進みません。

 今朝、テレビニュースで鹿児島県の口永良部島の火山が噴火したと報道していました。島民の皆さんの安否が気がかりですが、こんなにあちこちで噴火する火山列島に、原発はやっぱり「無理」なのではないかと改めて思いました。世界的に見ても地震頻発地帯にこれほどたくさんの原発を作ったのは我が国くらいでしょう。「電気とお金は今欲しいが、核廃棄物処理と廃炉は数万年先まで子孫の税金で何とかしろ。俺たちは知らん」と考えている現代日本人には「火山列島(で生きるため)の倫理」教育が残念ながらなされていなかったのかもしれません。
 歴史学においても火山列島特有の視点が必要で、古田先生も縄文人が太平洋を渡ったのも、南九州における火山噴火からの船での緊急脱出と関係するのではと指摘されています。そして、その噴火の火山灰の被害から免れた筑紫(北部九州)と出雲に古代文明が残存でき、『古事記』『日本書紀』の神話の舞台になったとされました(南九州の文明は壊滅)。こうした視点で歴史研究を行う「火山列島の歴史学」の確立が期待されます。


第939話 2015/04/30

古田武彦著

『古田武彦の古代史百問百答』が復刊

ミネルヴァ書房から古田先生の『古田武彦の古代史百問百答』が復刊されました。同書は東京古田会(古田武彦と古代史を研究する会)により、2006年に発行されたものをミネルヴァ書房から「古田武彦 歴史への探究シリーズ」として復刊されたものです。
同書冒頭の藤沢徹さん(東京古田会・会長)による「はしがき」に「敗戦後、節操なき『思想の裏切り』に絶望した旧制高校生が、老年に至るまで反骨の『心理の探求』に没頭した」とあるとおり、古田先生の古代史研究から思想史研究に至る、「百問百答」の名に偽りのない質疑応答が展開された一冊に仕上がっていま す。東京古田会による優れた業績として、後世に残る本です。
同書は古田先生の近年の研究成果と、それに基づいた問題意識が、「百問」に答えるという形式をとって、縦横無尽に展開されています。かつ、その「百答」は「結論」ではなく、新たな問題意識の出発点ともいうべき性格を有しています。古田学 派の研究者にとって、古田先生から与えられた「課題」「宿題」としてとらえ、そこから新たなる「百問」が生まれる、というべきものです。同書を企画編纂された東京古田会の皆様に敬意を表したいと思います。


第922話 2015/04/14

『新撰姓氏録』「佐伯本」と学問の方法

 20年ほど昔のことですが、わたしが『新撰姓氏録』の研究をするためにどのテキストを使用するべきか、古田先生にご相談したことがあります。比較的手に入りやすく、各写本や版本の解説がある佐伯有清さんの『新撰姓氏録の研究 本文篇』(吉川弘文館)を用いようとしたのですが、そのとき古田先生から文献史学にとってとても大切なことを教えていただきました。
 それは、同書は各写本・版本間に文字の異同などがある場合、佐伯さんの判断でそれぞれの諸本から取捨選択されており、言わば『新撰姓氏録』「佐伯本」ともいうべきものであり、文献史学における史料批判の基本から見ればテキストとして使用すべきではないと指摘されたのです。すなわち、文献史学において諸本間に文字や記述の異同がある場合は、現代人の認識や判断で取捨選択するのではなく、史料批判や論証の結果、最も原文に近いと判断できる写本・版本をテキストとして依拠しなければならないという学問の基本姿勢について注意されたのでした。
 わたしはこのとき古田史学の学問の方法で最も大切なことの一つである史料批判について学んだのです。このことは、後の研究にも役立ちました。一例をあげれば、数ある九州年号群史料の中で、最も原型に近いと判断される『二中歴』を重視するということも、このときの経験によるものでした。初期の九州年号研究において、なるべく多くの史料を集め、その中で最も多い年号立て、あるいは最大公約数的な年号立てを九州年号の原型と見なすという手法が盛んに行われましたが、古田先生は終始この方法を批判され、史料批判に基づいて最も成立が早く、原型を保っている『二中歴』に依拠すべきとされたのです。すなわち、学問は多数決ではなく、論証に依らなければならないのです。そして、このことが正しかったことは、現在までの九州年号研究の成果により確かめられています。
 思えば古田先生は『「邪馬台国」はなかった』のときから、この立場に立たれていました。『三国志』版本の中で紹煕本が最も原型を保っていることを論証され、その紹煕本に基づいて研究をされたことは、古田学派の研究者や読者であればよくご存知のはずです。『万葉集』でも同様で、「元暦校本」を最良のテキストとして古田先生は研究に使用されています。
 たとえば『三国志』倭人伝の原文が、「邪馬台国」と「邪馬壹国」のどちらであったのかを論じる場合、国会図書館の蔵書中の表記を全て数え、多数決で決めるという方法が非学問的であることはご理解いただけるでしょう。それと同様に、現存する九州年号史料をたくさん集め、その多数決で九州年号の原型を決めるという方法も非学問的なのです。20年前の古田先生の教えを、今回『新撰姓氏録』を再読しながら懐かしく思い起こしました。
 「必要にして十分な論証を抜きにして、安易な原文改訂にはしってはならない」という古田先生の教えとともに、この史料批判に対する姿勢についても忘れないようにしたいと思います。