古田史学の会一覧

第550話 2013/04/21

天王寺にあった「聖徳太子」の往復書簡

 昨日の関西例会は大阪西区民センターで行いました。会場予約抽選の競争倍率が年々高くなり、会場予約担当者のご苦労がしのばれます。

 4月例会の発表テーマは次の通りでした。中でも岡下さんの発表は、「聖徳太子」実は「カミトウの利(利歌彌多弗利)」と善光寺如来の往復書簡が法隆寺ではなく天王寺(四天王寺)に保存されていたというもので、「利」は難波の地で没したのではないかという大変興味深いものでした。

 よくよく考えてみれば、法隆寺は火災で全焼しており、和銅年間頃に再建(移築)されるまで、この往復書簡は別の寺院などにあったと考えざるを得ないのですが、それが天王寺だったというのは、なるほどと思いました。岡下さんには会報への投稿を要請しました。

 

〔4月度関西例会の内容〕
1). 山田宗睦仮説(日本書紀の仁徳~武烈紀は全文作為)の検証:仁徳~安康紀編(八尾市・服部静尚)
2). 「消息往来」の伝承(その2)(京都市・岡下秀男)
3). 史蹟百選・九州篇(木津川市・竹村順弘)
4). 難波朝廷の賀正礼と立礼(京都市・古賀達也)
5). 天皇家と「師木津日子」の系譜(高松市・西村秀己)
6). 「I-siteなんば」に収蔵された古田先生の著作(概要・2013年4月現在)(川西市・正木裕)
7). 博多湾岸「邪馬壱国」と怡土平野なる「奴国」(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況「研究自伝」執筆中・古田先生テレビ出演・会務報告・大和田始『風土記解体』を読む・「乙巳の変」の中臣鎌足は藤原不比等(水野説)・その他


第548話 2013/04/07

『古田史学会報』115号の紹介

 『古田史学会報』115号が発行されました。今回も好論満載です。古田先生からも中嶋嶺雄さんのご逝去にあたり、追悼文をいただはました。
 西村さんからは「隼人」は北部九州の勢力であったとする新説が発表されました。今後の「隼人」研究における基本論文の一つとなるでしょう。正木さんから は大宰府観世音寺の「碾磑」が観世音寺建立時にベンガラの湿式粉砕に用いられたとする研究を詳述されました。わたしは七世紀の須恵器編年に関する知見から、前期難波宮天武期造営説が成立し得ないことを報告しました。札幌市の阿部周一さんも快調に論稿を発表されています。掲載稿は次の通りです。

〔『古田史学会報』115号の内容〕
○追悼 中嶋嶺雄君に捧ぐ  古田武彦
○隼人原郷  高松市 西村秀己
○七世紀の須恵器編年 -前期難波宮・藤原宮・大宰府政庁-  京都市 古賀達也
○観世音寺の「碾磑」について 川西市 正木裕
○『三角縁神獣鏡辞典』  京都市 岡下英男
○「元興寺」と「法隆寺」(1)「維摩経疏」残巻と「元興寺」の関係  札幌市 阿部周一
○割付担当の穴埋めヨタ話? 「自天祖降跡以逮」とは  高松市 西村秀己
○2013年度 会費納入のお願い
○会報原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記


第540話 2013/03/16

讃岐地方に濃密分布する「地神」神社

 本日の関西例会では、高松市に転居された西村さんから早速現地の神社の調査報告がなされました。讃岐地方に濃密分布する 「地神」という珍しい神様についてで、祭神は天照大神や埴安姫、倉稲魂が多いとのこと。逆に讃岐には稲荷神社がほとんど無いそうです。神社の分布にも地方 差があり面白い報告でした。
 竹村さんからは前回に引き続き、東テイ国をテーマとした仮説(東テイ人=縄文人)が発表されました。
 服部さんからも前回に引き続いて古代尺についての研究が報告され、太宰府・前期難波宮・藤原京の条坊が北朝の大尺(29.6cm)に基づくことが示されました。九州王朝と中国北朝との関係について示唆的な研究でした。
 わたしは藤原宮が二つあった可能性について報告しました(大宮土壇と長谷田土壇)。喜田貞吉さんの説を考古学的に発展させた作業仮説ですが、その当否を確かめるためにも現地調査(長谷田土壇)を行う予定です。
 正木さんからは倭人伝に記された「戸数」「家数」と人口との関連についての新説(戸=人口)を発表されました。
 3月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕

1). 讃岐の地神(高松市・西村秀己)
2). 東テイ(魚是)人と弥生人の音韻(木津川市・竹村順弘)
3). 東テイ(魚是)人と串間の玉璧(木津川市・竹村順弘)
4). 古代基準尺についての考察(八尾市・服部静尚)
5). 二つの藤原宮(京都市・古賀達也)
6). 宇佐の神託(高松市・西村秀己)
7). 「碾磑」補足説明(川西市・正木裕)
8). 大阪府立大学なんばキャンパス「I-siteなんば」古田史学コーナーについて(川西市・正木裕)
9). 『魏志倭人伝』邪馬壱国等の人口についての問題提起(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・「乙巳の変」は九州年号大化元年(695)・倭人伝の訓みの疑問・その他


第527話 2013/02/16

「古田武彦著作で綴る史蹟百選・九州編」候補地選定中

 本日の関西例会は京阪天満橋駅近くのエル大阪で行われました。毎回の会場確保は大変です。担当者やご協力いただいた会員の皆様に改めて御礼申し上げます。
   例会冒頭、竹村さんから「古田武彦著作で綴る史蹟百選・九州編」の候補地一覧の収集状況が報告されました。これは古田先生の著作から九州地方の遺跡や地名を会員の協力を得て、検索したものです。関西例会やハイキング参加者のご協力により、すでに百カ所以上の候補地がピックアップされました。もう一ヶ月ほどかけて更に収集し、その後絞り込み選定作業にすすむ予定です。
   正木さんからは、大阪府立大学なんばキャンパスの一角に古田史学著作を集蔵開架する企画の報告と、書籍の寄贈協力が呼びかけられました。四月から正式に開設されますので、後日詳しくご紹介します。
   2月例会の報告テーマは次の通りで、活発な質疑応答や討議が行われました。

〔2月度関西例会の内容〕
1). 古田武彦著作で綴る史蹟百選・九州編(木津川市・竹村順弘)
2). 「法隆寺の物差しは中国南朝尺の材」は成り立つか? 第二報 出雲風土記の里程(八尾市・服部静尚)
3). 「三献の儀」(三々九度)の起源 — 『周禮』の爵と觚-(川西市・正木裕)
4). 前期難波宮と藤原宮の整地層須恵器 — 小森俊寛説が成立しない理由(京都市・古賀達也)
5). 『養老律令』の中の九州王朝(京都市・古賀達也)
6). 大阪府立大学なんばキャンパス 古田史学コーナーの開設(川西市・正木裕)
7). 観世音寺の「碾磑」について(川西市・正木裕)
8). 薩夜麻の「薩」の由来(川西市・正木裕)
9). 筑紫都督府は薩夜麻の府(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・会誌16号編集状況・『藤氏家伝』の研究(鎌足は火葬ではない)・その他


第523話 2013/02/09

『古田史学会報』114号の紹介

 『古田史学会報』114号が発行されましたのでご紹介します。久しぶりに古田先生から原稿をいただきました。『続日本紀』宣命中の本居宣長による原文改訂を批判されたもので、新たな問題提起です。今後の展開が楽しみです。
 札幌市の阿部周一さんの論稿「吉野と曳之弩」では、吉野が『日本書紀』に「曳之弩」(えしの・えしぬ)とする表記があることに注目され、軍事拠点として
の「吉野」論を展開されました。亡くなったわたしの父も「斉明天皇陵」がある朝倉の「恵蘇(えそ)」を「よそ」と発音していたことを思い出しました。
「え」と「よ」の音韻変化の一例だったのかもしれません。
 掲載稿は次の通りで、いずれも読みごたえのある論文です。

〔『古田史学会報』114号の内容〕
○「高天原」の史料批判  古田武彦
○続・前期難波宮の学習  京都市 古賀達也
○吉野と曳之弩  札幌市 阿部周一
○『正法輪蔵』の中の九州年号  京都市 岡下英男
○碾磑と水碓 史料の取り扱いと方法論  豊中市 大下隆司
○会報原稿募集
○新年のご挨拶  代表 水野孝夫
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記


第516話 2013/01/19

倭人伝の官名と青銅器

 本日の関西例会は新年最初にふさわしく、優れた研究発表が続きました。中でも正木さんの発表は驚きのあまり参加者が拍手を忘れるというほど優れたものでした。詳細は「古田史学会報」で発表予定ですが、倭人伝に記された伊都国や奴国の官職名が古代中国の祭祀に用いられた青銅器に由来するというものです。
 服部さんは初めての例会発表でしたが、これもまた優れたもので、「古田史学会報」への寄稿を要請しました。「法隆寺の物差しは中国南朝尺の材」とされた川端俊一郎説への批判ですが、わたしも疑問に感じていた点を鋭く指摘されました。
 竹村さんの発表は、日本列島や沖縄の縄文人と東てい(魚是)国との関係に言及したもので、今後の展開が期待されます。
 わたしからは、新潟県「城の山古墳」から出土した盤龍鏡は九州王朝からのものとする考察を発表し、大和朝廷一元史観による新聞発表を批判しました。また、七世紀の須恵器編年についての報告では、前期難波宮創建を天武朝とする小森俊寛説が成立しないことと、大宰府政庁の須恵器編年と近畿の須恵器編年との矛盾について論じました。
 1月例会の報告テーマは次の通りでした。

〔1月度関西例会の内容〕
1). 「法隆寺の物差しは中国南朝尺の材」は成り立つか(八尾市・服部静尚)
2). てい(魚是)海(木津川市・竹村順弘)
3). アンチョビとキュウリエソ(木津川市・竹村順弘)
4). 古田武彦著作で綴る史蹟百選・九州篇その2(木津川市・竹村順弘)
5). 新潟県「城の山古墳」出土盤龍鏡の考察(京都市・古賀達也)
6). 7世紀の須恵器編年 — 小森俊寛説が成立しない理由(京都市・古賀達也)
7). 「魏志倭人伝」伊都国・奴国の官名 — 仁平さんとともに(川西市・正木裕)
8). 北河堀町所在遺跡発掘調査現地説明会資料の解説(京都市・古賀達也)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・賀詞交歓会の報告・中村通敏氏「大津透説批判CD」・谷川清隆氏「日本書紀成立に関する一試案」・その他


第508話 2012/12/23

『古田史学会報』113号の紹介

 新年1月12日(土)には恒例の賀詞交換会を大阪(大阪駅前第2ビル4階)で開催し、古田先生のお話をうかがいます。ぜひご参加ください。賀詞交換会の後には懇親会も開催しますので、参加希望者は当日会場でお申し込みください。
 翌週の19日(土)には古田史学の会・関西例会を開催しますが、会場がいつもとは異なりますので、ご注意ください(大阪中央区民センター)。
 『古田史学会報』113号が発行されましたのでご紹介します。

〔『古田史学会報』113号の内容〕
○古田史学の会・四国 例会百回記念講演会  豊中市 大下隆司
○賀詞交換会(古田先生を囲んで)の案内
○「八十戸制」と「五十戸制」について  札幌市 阿部周一
○『書紀』「天武紀の蝦夷記事にいて  川西市 正木 裕
○前期難波宮の学習  京都市 古賀達也
○会報投稿のコツ  編集長 古賀達也
○割付担当のヨタ話? 玉依姫・考  西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記


第505話 2012/12/15

「多元的木簡研究会」のすすめ

 本日の関西例会で、わたしは「平成24年の回顧」を発表しました。内容は「洛中洛外日記」第504話で紹介したものですが、その中で「多元的木簡研究会」の発足を伝え、会員を募りました。

 「多元的木簡研究会」への入退会は自由で(会費不要)、会員資格要件は「年に一つ以上の木簡に関する論文・報告を発表すること」だけです。会員特権は発表した論文の内容が良ければ「古田史学会報」やHP「新・古代学の扉」に掲載され、将来的には書籍として発刊されるということです(共著者として名を連ね ます)。入会申し込みと論文投稿は古賀までお願いします。なお、多元的木簡研究会の代表・主筆は正木裕さんです。

 例会の発表テーマは下記のとおりでした。原幸子さんの、草薙の剣が盗難の後、一時、大阪の住吉大社にあったという報告は、初めて聞く内容で興味深いものでした。

〔12月度関西例会の内容〕
1). 天皇家の名字は「シキ」(向日市・西村秀己)
2). 縄文人東テイ(魚是)国vs弥生人倭国のゲノム(木津川市・竹村順弘)
3). 古田史学の会「平成24年の回顧」(京都市・古賀達也)
4). 難波宮跡(NW-12-4次)発掘調査現地説明会資料の解説(京都市・古賀達也)
5). 朱鳥改元(奈良市・原幸子)
6). 吉野行幸「丁亥」不在問題と孝徳葬儀の34年遡上理由(川西市・正木裕)
7). すり替えられた南方諸島支配(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・「発掘で明らかになった長屋王の実体」・長屋王は九州王朝を継ぐべき皇子・田中卓『古典籍と史料』の「古事記裏書」(最古の古事記注釈書)・その他


第504話 2012/12/14

平成24年の回顧

 昨年に続いて、年末にあたり平成24年を回顧してみます。もちろん「古田史学の会」関連の個人的学問的な関心に基づいたものです。順不同ですが、印象の強いものから取り上げてみます。

1.太宰府出土「戸籍」木簡の衝撃
やはり今年の筆頭はこれでしょう。九州王朝の時代の「戸籍」関連木簡が太宰府から出土したのですから、九州王朝末期の王朝中枢領域の研究にとって第一級の文字史料です。

2.市 大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』と多元的木簡研究
太宰府「戸籍」木簡出土を契機に、古田学派では木簡に関する関心が一段と高まりました。その同時期に中公新書から刊行された市
大樹著『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』は一元史観に立脚したものとはいえ、最新の木簡研究の成果が記されており、わたしも大変勉強になった一冊です。
これらを契機に「多元的木簡研究会」(略称:たも研)を発足させることになりました。

3.新人論客の登場
札幌市の阿部周一さんが彗星のように登場され、次々と研究論文を投稿されています。会報掲載が間に合わないほどの投稿ペースです。さらなる研究の深化が期待されます。

4.観世音寺創建年史料の発見
阿部周一さんから『日本帝皇年代記』(鹿児島県、入来院家所蔵未刊本)が紹介され、その中に白鳳10年条(670)に「鎮西建立観音寺」という記事があることをお知らせいただきました。
また、井上肇さんから送っていただいた『勝山記』にも観世音寺の創建年が白鳳10年と記録されていました。観世音寺創建年については、『二中歴』では
「白鳳年間(661~683)」とされているのですが、具体的年次は不明でした。今回の「発見」により、創建年が明らかとなり、太宰府編年研究が前進しま
した。

5.越智国の「紫宸殿」「天皇」地名
西条市(旧・東予市)に字地名「紫宸殿」とその近傍に字地名「天皇」があることが、「古田史学の会・四国」の今井久さんらにより報告されました。この発見により、古代越智国の位置づけや九州王朝論に新たな展開が期待されています。

6.合田洋一著『地名が解き明かす古代日本』
合田洋一さん(古田史学の会・全国世話人、同四国の会事務局長)が『地名が解き明かす古代日本』(ミネルヴァ書房)を上梓されました。地名を多元史観・九州王朝説により考察されたもので、古田史学の新たな分野と可能性を拓かれました。

7.中国にあった「聖徳太子」九州年号史料
名古屋市の服部和夫さん(古田史学の会・会員)から、聖徳太子が書写したとされる『維摩経』断簡が中国にあり、末尾に九州年号「定居元年」が記されていることが報告されました。これにより、九州王朝の「聖徳太子」という視点が明確となり、研究が促されました。

8.久留米大学公開講座で「九州王朝論」講義
九月に開催された久留米大学公開講座で「筑後の九州王朝」というテーマでわたしと正木裕さんが講義を行いました。古田先生以外の研究者が先生の後を受け
継ぎ、大学の公開講座で古田説・九州王朝論が講義できる時代になったのです。10年前には考えられなかった快挙です。

 この他にも、ミネルヴァ書房からは古田先生の著作が続々と復刻されており、全国の書店に並ぶようになりつつあります。来年も古田史学や「古田史学の会」にとって飛躍の年となるでしょう。楽しみです。


第493話 2012/11/18

九州王朝と近畿天皇の「婚姻」

昨日の関西例会では、「大長」木簡の実見報告と、冨本銭と和同開珎に関する文献史学と科学的成分分析に関する考察をわたしは発表しました。風邪のため頭がボーッとしていましたので、要領を得ない発表となりました。参加者の皆さん、すみませんでした。内容については「洛中洛外日記」で述べていきたい思います。
 竹村さんと正木さんからは偶然にも同じ「南島」(種子島・屋久島)に関する研究報告がありました。詳細は会報で発表されることと思います。
 今回の例会では西井さんの発表に興味を引かれました。それは九州王朝と近畿天皇家の間での「婚姻」の可能性に言及されたことです。
 列島内の代表王朝である九州王朝とナンバーツーの近畿天皇家間で「政略結婚」があったことは容易に想像されますが、今までこうした研究は古田学派内でもそれほど多くはなされてきませんでした。701年における権力交代を研究するうえで、こうした「政略結婚」という視点で古事記・日本書紀を精査すれば、九州王朝の「皇女」の存在が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 例会の発表テーマは下記のとおりでした。
〔11月度関西例会の内容〕
1). 「自天祖降跡以逮」とは…(向日市・西村秀己)
2). 椿説弓張月と南島志(木津川市・竹村順弘)
3). すり替えられた九州王朝の南方諸島支配(川西市・正木裕)
4). 風説・九州王朝から来た孝徳(大阪市・西井健一郎)
5). 「大長」木簡の報告(京都市・古賀達也)
6). 冨本銭と和同開珎の多元的考察(京都市・古賀達也)
7). 八王子古代史セミナーの報告(明石市・不二井伸平)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・古事記序文の「天皇」「天位」・TV大学市民講座「朝鮮時代に描かれた日本」他・安富歩『生きるための経済学』・その他


第492話 2012/11/14

「古田史学の会」の「成果」

 ドラッカーによれば、非営利組織について次のように定義されています。

 「非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」(『非営利組織の経営』)

 「古田史学の会」にとって、「社会を変え人を変える」とはどういうことなのかをわたしたちは考え続けてきました。「古田 史学の会」のミッション(使命)からすれば、古田史学・多元史観を日本古代史の定説とするために、長期にわたって一元史観の学界と論争を続け、真実の古代 史と学問の方法を国民に訴え続けなければなりませんから、質が高く層の厚い古田学派を作り上げる必要があります。そのためには、一般の古代史ファンを古田 史学のファン・会員に変え、古田史学のファンを古田史学の研究者に変え、古田史学の研究者を古田史学の著作者・講演者に変えなければならないと考えていま す。
 この「人を変える」という不断の取り組みにより、様々な「成果」を得ることができます。具体的にそれは会員の増加、例会参加者の増加、例会発表者の増 加、会報会誌投稿者の増加、古田史学関連著作の刊行という「成果」として現れます。同時に「古田史学の会」を支えるボランティアスタッフも増加することで しょう。
 こうした「成果」を既にわたしたちはいくつも実現させてきました。そして、これからも「成果」をあげ続けなければなりません。そのためにどのような戦略 や目標・行動が必要で効果的であるかをいつも考えています。わたしたち「古田史学の会」が持っている「資源(人・資金・時間など)」は限られていますの で、優先順位を決め、「費用対効果」にも配慮して運営していきたいと思います。これからも皆さんのご理解とご協力を心よりお願い申しあげます。


第491話 2012/11/12

ドラッカー著『非営利組織の経営』を読む

 思うところがあり、ドラッカー著『非営利組織の経営』を毎日のように読んでいます。NPOなど非営利組織に関するドラッ カーの論文は『ハーバード・ビジネス・レビュー』等で読んだことはあったのですが、著作としてまとめられたものは初めてでした。「古田史学の会」も非営利組織ですから、そのあり方や運営について、基礎から考えるうえで同書は最適の一冊でした。
 「古田史学の会」は古田先生の研究活動のサポートを始め、会報・会誌の発行、例会の運営、遺跡巡りハイキングの主催、ホームページの管理、書籍の刊行、 講演会の開催など、ミッション(使命)にもとづいて多くの活動を行っています。この他にも、地域の会との連絡や支援、友好団体とのおつきあいなども重要な 仕事です。
 これらの活動領域において、無報酬のボランティアスタッフが強い信念と責任感に基づいて会を支えています。さらに全国の会員からの会費により財政的に支 えられています。従って、「古田史学の会」はボランティアスタッフや会員に対して「成果」をあげ続けることが求められており、その「成果」が明日の「古田史学の会」の存続を可能にしてくれる、わたしはそのように考えています。
 本会のような非営利組織において最も大切なこと、それはミッション(使命)であるとドラッカーは次のように指摘します。

 「最近、リーダーシップがよく問題にされる。遅すぎたくらいである。しかし、最初に考えるべきものはリーダーシップではない。ミッションである。非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。」

 「古田史学の会」のミッションは「古田史学を継承(学び)・発展(研究を深化)させ、世に広める(定説とする)」ことで す。このミッション(歴史的使命)のために、会員は会費を支払い、ボランティアスタッフは献身的に会に貢献してくれるのです。わたし自身もその一人です。
 今から20年ほど前のことですが、古田説支持者や古田ファンにより結成された「市民の古代研究会」が、そのミッションを見失ったため分裂・消滅しまし た。当時、わたしは「市民の古代研究会」の事務局長としてその分裂騒動の渦中にいました。そして、ミッションを見失った組織の末路をこの目で見てきまし た。このときの苦い経験が、「古田史学の会」の規約・名称・会報名・会誌名に、これでもかこれでもかと「古田史学」の四文字を入れる動機となったのです。 「そこまでしなくても」というご意見もありましたが、ミッションを疑いようのないほど明確にするため、あえてこのようにしました。(つづく)