古田史学の会一覧

第3141話 2023/10/23

百済禰軍(でいぐん)墓誌銘の「日本」誤読説

 今月21日、浪速区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。11月例会も浪速区民センターで開催します。

 わたしは「よみがえる卑弥呼伝承 ―国内史料に見える「卑弥呼・壹與」―」を発表しました。卑弥呼の墓の有力候補に須玖岡本遺跡にある熊野神社社殿の地(須玖岡本山)とする古田先生の説があります(注①)。その古田説の傍証となる、江戸期史料に記された現地伝承を紹介しました(注②)。

 今回の例会で印象深かったのが、谷本茂さんの「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」(678年)に見える「日本」を国名とするのは誤読との発表でした。同墓誌に記された「日本(夲)」は国名の「日本」ではなく、前後の文脈から「于時日、本余噍、据扶桑以逋誅」と読み、「本余噍」を百済の残党とされました。従来説では「于時、日本、余噍、据扶桑以逋誅」と読まれ、この「日本」を国名の日本としており、わたしもその理解に基づく論稿(注③)を発表していましたので、谷本さんから厳しい批判をいただきました。わたしは〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、これを良い機会として再検討したいと思います。

 今回の例会には会員の中村さん(神戸市)が初参加されました。池上さんは久しぶりの発表でした。

 10月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔10月度関西例会の内容〕
①よみがえる卑弥呼伝承 ―国内史料に見える「卑弥呼・壹與」― (京都市・古賀達也)
②満田氏筑紫後期王朝説への疑問 (大阪市・西井健一郎)
③天の叢雲剣と草薙剣は同一か (京都市・池上正道)
④ハイキング報告「白鬚神社と継体大王ゆかりの地の散策」 (八尾市・満田正賢)
次回ハイキング(11/4)の説明「奈良公園歴史散策」 (大阪市・中山省吾)
正倉院展のお知らせ (京都市・久冨直子)
⑤「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」に“日本”国号はなかった! (神戸市・谷本 茂)
⑥「倭京」と多利思北孤 (東大阪市・萩野秀公)
⑦隋書の俀は倭であり多利思北孤の北は比が妥当 (大山崎町・大原重雄)
⑧難波宮は天武時代の・唐の都督薩夜麻の宮だった (川西市・正木 裕)

○会務報告(正木事務局長) 令和六年新春古代史講演会(2024/1/21、京都市)の件、関西例会の会員向けライブ配信の取り組み、他。

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

(注)
①古田武彦「邪馬壹国の原点」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。
②古賀達也「洛中洛外日記」3114話(2023/09/15)〝『筑前国続風土記拾遺』で探る卑弥呼の墓〟
③古賀達也「百済人祢軍墓誌の考察」『古田史学会報』108号、2012年。

 

古田史学の会浪速区民センター第5会議室 2023.10.21

10月度関西例会発表一覧(参照動画付)

YouTube公開動画は①②です。
「5,」の谷本氏の動画のみ「古田史学会file」内に置いております。

1,よみがえる卑弥呼伝承 国内史料に見える「卑弥呼・壹與」
(京都市・古賀達也)
https://youtu.be/lwEw839dsx8 https://youtu.be/yQv946_HE6w

2,満田氏筑紫後期王朝説への疑問 (大阪市・西井健一郎)
https://youtu.be/689A1n4DlH4 https://youtu.be/r2x_zdsyGGI

3,天の叢雲剣と草薙剣は同一か (京都市・池上正道)
公開は辞退されました。

4,ハイキング報告「白鬚神社と継体大王ゆかりの地の散策」 (八尾市・満田正賢) 付:次回ハイキング(11/4)の説明・正倉院展のお知らせ
https://youtu.be/eu3rx3u_fdA

5,「百済禰軍(でいぐん)墓誌銘」に日本国号はなかった! (神戸市・谷本 茂)
YouTube講演はありません。「古田史学会file」内に解説動画設置しました。Zoomneeting参加者のみ視聴できます)アクセス場所非公開

付:「東海の古代№248 20214月」号「祢軍墓誌」を読む 名古屋市 石田 泉城(http://furutashigakutokai.g2.xrea.com/kaihou/t248.pdf)

6,「倭京」と多利思北孤 (東大阪市・萩野秀公)
https://youtu.be/mYpKIO8SXqs

7,隋書の俀は倭であり多利思北孤の北は比が妥当 (大山崎町・大原重雄)
https://youtu.be/CTA902B55SM

8,難波宮は天武時代の・唐の都督薩夜麻の宮だった(川西市・正木 裕)
https://youtu.be/KtPUJVPVWc4


第3139話 2023/10/18

『九州倭国通信』No.212の紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.212が届きました。同号には拙稿「九州王朝の国分寺(国府寺) ―告貴元年(五九四)建立―」を掲載していただきました。古代に於いて、九州王朝(倭国)と大和朝廷(日本国)による新旧二つの国分寺(国府寺)があることを紹介した論稿です(注)。特に読者の多くが九州の方ですから、豊後国風土記と肥前国風土記に見える九州年号の告貴元年の詔勅により建立された国府寺の痕跡について詳しく解説しました。

 また、『古代に真実を求めて』特価販売の案内を一頁を割いて掲載して頂きました。有り難いことです。なお、来年1月14日(日)の同会月例会で講演させていただくことになりました。テーマは「吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓」と「九州年号金石文の紹介」を予定しています。「九州古代史の会」と「古田史学の会」の友好関係が一層深まることを願っています。

(注)次の拙稿でも紹介しており、ご参照下さい。
「『告期の儀』と九州年号『告貴』」『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』(『古代に真実を求めて』20集)明石書店、2017年。

参照「国分寺」一覧

「洛中洛外日記」718話(2014/05/31)〝「告期の儀」と九州年号「告貴」〟
「洛中洛外日記」809話(2014/10/25)〝湖国の「聖徳太子」伝説〟
「洛中洛外日記」1018話(2015/08/09)〝「武蔵国分寺」の多元論〟
「洛中洛外日記」1022話(2015/08/13)〝告貴元年の「国分寺」建立詔〟
「洛中洛外日記」1026話(2015/08/15)〝摂津の「国分寺」二説〟
「洛中洛外日記」1049話(2015/09/09)〝聖武天皇「国分寺建立詔」の多元的考察〟
「洛中洛外日記」1136話(2016/02/09)〝一元史観からの多層的「国分寺」の考察〟


第3135話 2023/10/12

『古田史学会報』178号の紹介

 『古田史学会報』178号が発行されました。拙稿〝『隋書』俀国伝の都の位置情報 ―古田史学の「学問の方法」―〟を掲載して頂きました。これはフィロロギーの方法を、『隋書』俀国伝の都の位置情報認識研究に採用したものです。すなわち、『隋書』成立当時の「俀国伝」読者がどのようにして俀国の都の位置認識を構成するのか、そして『隋書』編者は読者にどのような理解を促しているのかを考察し、それらを現代の研究者が再認識するという学問の方法について論じました。

 一面には正木さんの力作〝「二倍年暦」と「皇暦」から考える「神武と欠史八代」〟が掲載。皇暦と実年代との対応については、多くの先行研究があります。多元史観・古田史学でも二倍年暦の概念を採用する、皇暦の実年代研究がなされてきましたが、管見ではまだ誰も全体的に整合性のある仮説提起に成功していません。今回の正木稿ではかなり成功しているように見え、今後の論争や研究により、同説の復元精度が検証されるものと期待しています。

 本号で最も注目したのが日野智貴さんの〝覚信尼と「三夢記」についての考察 豅弘信論文への感想〟でした。親鸞の「三夢記」は永く偽作とされてきたのですが、古田先生の研究により真作とされました。その古田説を批判して偽作とする論文が豅(ながたに)弘信さんにより発表されたのですが(注①)、古田先生最晩年のことでもあった為か、先生から応答はなされていませんでした。そこで、日野さんが代わって反論されたものです。

 この日野論文については「洛中洛外日記」(注②)で紹介しましたが、豅さんの批判はいずれも偽作と断定できるような証明力はないことを明らかにされ、親鸞と末娘の覚信尼の関係性についても考察されたものです。近年の古田学派では古田親鸞論に関する研究や論文発表がほとんど見られなくなり、残念に思っていたのですが、日野さんのような若き学究が現れ、冥界の先生も喜んでおられることと思います。

 178号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』178号の内容】
○「二倍年暦」と「皇暦」から考える「神武と欠史八代」 川西市 正木 裕
○さまよえる拘奴国と銅鐸圏の終焉 吹田市 茂山憲史
○俀国伝と阿蘇山 姫路市 野田利郎
○覚信尼と「三夢記」についての考察 豅弘信論文への感想 たつの市 日野智貴
○『隋書』俀国伝の都の位置情報 ―古田史学の「学問の方法」― 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・四十四 「倭奴国」と「邪馬壹国・奴国」① 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己

(注)
①豅弘信「『三夢記』考」『宗教研究』84-3、2010年。真宗大谷派西念寺公式サイトにも掲載。
②古賀達也「洛中洛外日記」3092話(2023/08/13)〝親鸞「三夢記」研究の古田論文を読む〟


第3131話 2023/10/04

『東京古田会ニュース』No.212の紹介

 『東京古田会ニュース』212号が届きました。拙稿「数学の証明と歴史学の証明 ―荻上紘一先生との対話―」を掲載していただきました。これは古代史研究ではなく、学問論に関するものです。昨年の八王子セミナーのおり、追加でもう一泊したので、数学者の荻上先生と対話する機会をいただき、そのやりとりを紹介した論稿です。

 わたしが専攻した化学(有機合成・錯体化学)は〝間違いを繰り返し、新説を積み重ねながら「真理」に近づいてきた。したがって自説もいずれは間違いとされ、乗り越えられるはずだと科学者は考え、自説が時代遅れになることを望む領域〟でしたが、数学は〝一旦証明されたことは未来に渡って真実であり、変わることはなく、そのことを全ての数学者が認め、ある人は認め、別の人は反対するということはあり得ない〟領域とのこと。このような化学・歴史学と数学の性格の違いを知り、とても刺激的な対談でした。

 当号の一面には讃井優子さんの「三多摩の荒覇吐神社巡り」が掲載されており、関東にある研究団体だけに、和田家文書や荒覇吐神への強い関心がうかがえます。安彦会長からも「和田家文書備忘録2 阿部比羅夫の蝦夷侵攻」という『北鑑』の研究が発表されています。『北鑑』は『東日流外三郡誌』の続編的性格を持つ和田家文書で、わたしも基礎的な史料批判を進めているところです。ちなみに、安彦さんのご協力も得て、『東日流外三郡誌の逆襲』(仮題)という本の発行に向けて執筆と編集作業を進めています。順調に運べば、来春にも八幡書店から発刊予定です。ご期待下さい。


第3118話 2023/09/20

中国史書「百済伝」に見える百済王の姓 (1)

 「洛中洛外日記」3069話(2023/07/15)〝賛成するにはちょっと怖い仮説〟で日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)の研究を紹介しました。「古田史学の会」関西例会での「倭国の君主の姓について」という発表です。その要旨は、九州王朝王家の姓の変遷(倭姓→阿毎姓)を歴代中国史書から導き出し、九州王朝内で〝王統〟の変化があったとする仮説です。『宋書』に見える倭の五王は「倭」姓の氏族であり、『隋書』俀国伝に見える「阿毎」姓の王家とは異なる氏族とするもので、これは従来の古田説にはなかったテーマです。

 この日野説は注目すべきものですが、疑義も出されています。例えば、『隋書』俀国伝に見える「阿毎」は「姓」と記されているが、『宋書』に見える「倭讃(倭王)」の「倭」は姓とは記されておらず、「倭」を倭王の姓とするエビデンスはないとの谷本茂さん(古田史学の会・会員、神戸市)の指摘があります(注)。そこで、「倭讃」の「倭」が倭王の姓なのか、国名「倭」の援用なのかについて検討するために、中国史書東夷伝の隣国「百済伝」では、百済王の姓がどのような表記になっているのかを参考として調べてみることにしました。

 管見では次の史書(正史)に「百済伝」があります。『宋書』『南斉書』『梁書』『南史』『魏書(北魏)』『周書(北周)』『隋書』『北史』『旧唐書』『新唐書』。訓み下し文は坂元義種『百済史の研究』(塙書房、1978年)を採用しました。(つづく)

(注)「古田史学リモート勉強会」(2023年8月12日)での質疑応答にて。


第3115話 2023/09/16

『万葉集』「日本挽歌」

     は九州王朝のレクイエム

 本日、東淀川区民会館で「古田史学の会」関西例会が開催されました。10月例会は浪速区民センターで開催します。

 わたしは「喜田貞吉の批判精神と学問の方法」を発表しました。喜田貞吉が問題提起した三大論争(法隆寺再建論争、『教行信証』代作説、藤原宮長谷田土壇説)の経緯と結果、そして遺された課題について説明し、喜田の批判精神と古田先生の学問の方法をしっかりと継承したいと決意表明しました。

 今回の例会で特に注目したのが上田さんと正木さんの発表でした。上田さんの発表は、『万葉集』巻五「日本挽歌」は九州王朝のレクイエムとする新解釈で、確かに八世紀前半頃の太宰府で歌われた挽歌であれば、新王朝の日本国の挽歌では不自然であり、滅んだ九州王朝(倭国)の挽歌であればよく理解できます。それではなぜ「倭国挽歌」ではなく、「日本挽歌」とされたのかという問題があり、その説明は簡単ではありませんが、興味深い仮説と思われました。

 正木さんは、九州年号の朱鳥改元は倭王・都督である筑紫君薩夜麻崩御によるものとする仮説を発表されました。これには意表を突かれました。『日本書紀』朱鳥元年是歳条の「蛇と犬と相交めり。俄ありて倶に死ぬ。」の記事は、薩夜麻と天武が倶に崩御したことを風刺する歌ではないかともされました。実は、筑紫の有力者「虎丸長者」(藤原虎丸と伝える)が朱鳥元年に没したとする伝承があり、この虎丸が薩夜麻ではないかと考えたこともあったからです。ただし、伝承では朱鳥改元の七月二十日よりも後の十月に虎丸は亡くなったとされており、改元とのタイミングがあわないので九州王朝の天子とはできないと考えてきました。今回の正木説を知り、「虎丸長者」伝説を見直す必要を感じました。

 9月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔9月度関西例会の内容〕
①消された天皇 (大山崎町・大原重雄)
②「梅花の歌」と長屋王の変 (八尾市・上田 武)
③西井氏の問いかけに答える (八尾市・満田正賢)
④白鳳、朱雀、朱鳥、大化期の天子は誰か (八尾市・満田正賢)
⑤喜田貞吉の批判精神と学問の方法 (京都市・古賀達也)
⑥藤原宮(藤原京)の名称と、その遺跡出土の評木簡について (東大阪市・萩野秀公)
⑦部曲は「私有民」なのか? 中村友一氏の研究を受けて (たつの市・日野智貴)
⑧九州王朝から新王朝への交代 ―その時期に関する考察― (姫路市・野田利郎)
天武崩御と倭国(九州王朝)の薩夜麻の崩御 (川西市・正木 裕)
仝レジュメ(pdf書類)ダウンロードできます。

○会務報告(正木事務局長) 令和六年新春古代史講演会(2024/1/21、京都市)の件、関西例会の会員向けライブ配信の取り組み、他。

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
10/21(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

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古田史学の会東淀川区民会館 2023.9.16

9月度関西例会発表一覧(参照動画)

 YouTube公開動画①②です。他にはありません。

1,消された天皇 (大山崎町・大原重雄)

2,「梅花の歌」と長屋王の変 (八尾市・上田 武)

3,西井氏の問いかけに答える (八尾市・満田正賢)

4,白鳳、朱雀、朱鳥、大化期の天子は誰か (八尾市・満田正賢)

5,喜田貞吉の批判精神と学問の方法 (京都市・古賀達也)

6,藤原宮(藤原京)の名称と、その遺跡出土の評木簡について
(東大阪市・萩野秀公)

7部曲は「私有民」なのか? 中村友一氏の研究を受けて
(たつの市・日野智貴)

https://youtu.be/BYRNeh-VHY8

8,九州王朝から新王朝への交代 ―その時期に関する考察―
(姫路市・野田利郎)

https://youtu.be/ZDZfIhhV16c https://youtu.be/TooP9uL7qqQ

9,天武崩御と倭国(九州王朝)の薩夜麻の崩御 (川西市・正木 裕)

https://youtu.be/W122qfOPRS8


第3114話 2023/09/15

『筑前国続風土記拾遺』

     で探る卑弥呼の墓

 来年の1月14日、九州古代史研究会で講演させていただくことになりました。演題は下記の通りで、なるべくタイムリーで九州の皆さんに興味を持っていただけそうな内容にしました。

□演題 吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓
□副題 ―九州年号金石文・棟札の紹介―

 そこで改めて卑弥呼の墓について史料調査したところ、重要な記事を見つけましたので紹介します。
古田説では、著名な弥生遺跡である須玖岡本遺跡(福岡県春日市須玖岡本山)の山上にある熊野神社の地を卑弥呼の墓の候補としています(注①)。その根拠は次のようです。
『三国志』倭人伝に見える倭国の中心国名「邪馬壹国」の本来の国名部分は「邪馬」とする古田説を「洛中洛外日記」1803、1804話で紹介しましたが、この「邪馬」国名の淵源について古田先生は、春日市の須玖岡本(すぐおかもと)にある小字地名「山(やま)」ではないかとしました。「須玖村岡本山」は「須玖村」の大字「岡本」の小字「山」という三段地名表記です。
この須玖岡本遺跡からは虁鳳鏡など多数の弥生時代の銅製品が出土していることから、当地が邪馬壹国の中枢領域であるとされ、「須玖岡本山」はその丘陵の頂上付近に位置します。そこには熊野神社が鎮座しており、そこに卑弥呼の墓があったのではないかと古田先生は指摘されました。また、日本では代表的寺院を「本山(ほんざん)」「お山(やま)」と呼ぶ慣習があり、この小字地名「山」も宗教的権威を背景とした地名ではないかとしました。
この古田説は、地名「須玖岡本山」とその地から出土した須玖岡本彌生遺跡と遺物(魏時代の虁鳳鏡)を根拠として成立していますが、更に文献に徴証がないかを調査しました。幸いにも筑前には江戸期に成立した地誌(注②)がいくつかあり、それらを精査したところ、『筑前国続風土記拾遺』(注③)に熊野神社について次の記述がありました。

 「熊野権現社
岡本に在。枝郷岡本 野添 新村等の産土也。
○村の東岡本の近所にバンシヤクテンといふ所より、天明の比百姓幸作と云者畑を穿て銅矛壱本掘出せり。長二尺余、其形は早良郷小戸、また當郡住吉社の蔵にある物と同物なり。又其側皇后峰といふ山にて寛政のころ百姓和作といふもの矛を鋳る型の石を掘出せり。先年當郡井尻村の大塚といふ所より出たる物と同しきなり。矛ハ熊野村に蔵置しか近年盗人取りて失たり。此皇后峯ハ神后の御古跡のよし村老いひ傅ふれとも詳なることを知るものなし。いかなるをりにかかゝる物のこゝに埋りありしか。」『筑前国続風土記拾遺』上巻、320~321頁。

 この「熊野権現社」は熊野神社のことで、当地域から銅矛やその鋳型が出土したと記されています。さらにそこには「皇后峰といふ山」があり、「此皇后峯ハ神后の御古跡」とする伝承の存在も記しています。この「神后」とは神功皇后のことと理解されます。『日本書紀』神功紀には倭人伝の女王(卑弥呼、壹與)のことが記されており、あたかも神功皇后が卑弥呼・壹與と同一人物であるかのような記述になっています(注④)。この史料事実は次のことを指し示します。

(1) 須玖岡本に皇后の峯と呼ばれている山がある。
(2) その付近からは弥生時代の銅矛や鋳型が出土している。
(3) 皇后の峯は神功皇后の古跡と伝承されている。

 これらの史料事実は次の可能性を示唆します。

(4) 『日本書紀』神功紀には倭人伝の女王が記されており、当地には「皇后の峯」を倭国の女王の古跡とする伝承があり、『日本書紀』成立以後にその女王を神功皇后(神后)とする伝承に変化した。
(5) 須玖岡本にある峯とは、当地の小字地名「山」と解される。
(6) その須玖岡本山には熊野神社があり、当伝承が「熊野権現」の項に記されていることも(5)の理解を支持している。

 以上の考察から、当地の熊野神社の領域(具体的には社殿下の山頂部)に卑弥呼の墓があったとする古田先生の考察が最有力説と思われるのです。九州古代史研究会の新年講演会ではこのことを詳述します。

(注)
①古田武彦「邪馬壹国の原点」『よみがえる卑弥呼』駸々堂、1987年。ミネルヴァ書房より復刻。
②貝原益軒『筑前国続風土記』宝永六年(1709)、加藤一純・鷹取周成『筑前国続風土記付録』寛政十一年(1799)、青柳種信『筑前国続風土記拾遺』文化十一年(1814)、伊藤常足『太宰管内志』天保十二年(1841)。
③広渡正利校訂・青柳種信著『筑前国続風土記拾遺 上巻』文献出版、平成五年(1993年)。
④『日本書紀』神功皇后三十九年条に次の記事がみえる。
「魏志に云はく、明帝の景初三年六月、倭の女王、大夫難斗米等を遣して、郡に詣(いた)りて、天子に詣らむことを求めて朝獻す。」


第3104話 2023/09/04

『古代に真実を求めて』CiNii認定の重み

 昨日は和田家文書研究のため、日野智貴さん(古田史学の会・会員、たつの市)と宇治に行きました。約40年ぶりの宇治でしたので、懐かしさとともに、京阪宇治駅や宇治橋付近の光景が一変しており、時の流れを感じました。
日野さんとは、学問研究や古田史学の会についての話に終始しました。その中で日野さんから、今まで意識してこなかった重要な問題を指摘されました。それは「古田史学の会」の論集『古代に真実を求めて』が、国立情報学研究所が運営している「CiNii Research」に学術誌として認定登録されているということでした。CiNii(サイニィ)に登録されているということは、学術研究誌として日本国家の認定を受けていることを意味し、それは得がたい待遇であるとのこと。たしかに、研究者や学生が自らの研究分野の関連研究や先行論文を検索する際、CiNiiを利用するのは、そのような国立情報学研究所のお墨付きを得ている書籍・論文であるからです。

 日野さんの指摘は更に続きます。〝したがって、『古代に真実を求めて』の掲載論文はCiNiiの登録認定を維持するために、それにふさわしい学問研究水準を維持し続けなければならず、もし認定取り消しとなったら、古田学派にとって大きな損失であり、社会科学系出版社としての評価を得ている明石書店にも迷惑(ブランド毀損)をかけることになる〟とのこと。

 今まで、そのような視点や意識で『古代に真実を求めて』を編集してこなかったのですが、言われてみればそのとおりです。日野さんのような、大学で国史を専攻した研究者にとっては、そうした認識でCiNiiを利用してきたのですから、常識だったのでしょう。日野さんの指摘には、深く考えさせられました。

 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、CiNiiには次の三つの分類があり、『古代に真実を求めて』は最も権威が高いとされる「CiNii Research」に登録されています。なお、この認定は『古代に真実を求めて』掲載論文にも適用されており、CiNii Researchにより検索できます。

【ウィキペディアから抜粋】
CiNii(サイニィ、NII学術情報ナビゲータ、Citation Information by NII)は、国立情報学研究所(NII、National institute of informatics)が運営するデータベース群。各種文献に加えて研究データやプロジェクトを検索できる「CiNii Research」、大学図書館の総合目録データベース「CiNii Books」、博士論文データベース「CiNii Dissertations」の3つからなる。
○CiNii Research 日本国内の雑誌・大学紀要の記事情報、研究データ、プロジェクト等の情報
○CiNii Books 主に日本国内の大学図書館等の蔵書の書誌情報・所蔵情報
○CiNii Dissertations 日本国内の博士論文
【転載終わり】

 国立情報学研究所(NII)のサイトには、CiNiiについて次の解説があります。

〝CiNiiについて
CiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])は、論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベース・サービスです。どなたでもご利用いただけます。
「CiNii Research」では、文献だけでなく研究データやプロジェクト情報など、研究活動に関わる多くの情報を検索できます。
「CiNii Articles – 日本の論文をさがす」は、2022/4/18にCiNii Researchに統合されました。
「CiNii Books – 大学図書館の本をさがす」では、全国の大学図書館等が所蔵する本(図書・雑誌)の情報を検索できます。
「CiNii Dissertations – 日本の博士論文をさがす」では、国内の大学および独立行政法人大学評価・学位授与機構が授与した博士論文の情報を検索できます。〟【転載終わり】

 わたしの学生時代とは比較にならないほど、研究環境が進化しています。企業研究時代(化学分野)でも、30年ほど前は紙の特許明細や先行論文を書庫から引っ張り出して、人海戦術で読んだものです。

 近年は、古代史研究に〝素人〟でも参入しやすくなったと同時に、市場にあふれ出した玉石混淆の書籍や論文を見極める力量も必要となりました。そうした中で、古田史学・古田学派を代表する論文集『古代に真実を求めて』を編集・発行したいと思います。


第3103話 2023/09/02

好太王碑文の「從抜城」の訓み (1)

 昨日、リモート参加した多元的古代研究会主催の研究会で、高句麗好太王碑(注①)碑文中の「從抜城」の訓みについて議論が交わされました。同碑文には多くの城名が記されていますが、『好太王碑論争の解明』(注②)によれば、碑文中の頻出文字は次のようです。

  文字 出現数 全文字中の率
1  城  108 6.61%
2  烟   71 4.35%
3  看   47 2.88%
4  王   32 1.96%
5  國   27 1.65%

 出現数の根拠や計算方法について、著者(藤田友治さん・故人)が次のように説明しています。

 「王健軍氏の釈文を基にすれば、全文字は一七七五文字である。そのうち欠け落ちてしまって判読できない文字一四一を引いた文字中に占める頻出文字」

 著者の藤田さんは、1985年に吉林省集安の好太王碑を古田先生らとともに現地調査しており、この数値の信頼性は高いと思います。その碑文の第二面末に次の文があります。便宜的に句読点を付し、改行しました。

十年庚子。教遣步騎五萬往救新羅。
從男居城至新羅城。
倭滿其中。官軍方至、倭賊退。
□□□□□□□□□背急追。
至任那加羅從拔城、城即歸服。

 この部分は、通常、次のように読まれています。

 「十年庚子(340年)。のりて、步騎五萬を遣わし、往って新羅を救わせる。男居城より新羅城に至る。倭はその中に満ちていた。官軍(步騎五萬)がまさに至ると、倭賊は退いた。[□□□□□□□□□背急追]任那加羅の從拔城に至れば、城はすぐに歸服した。」

 同碑文の用例としては、「從」は「~より」の意味で使用されており、「抜城」は『三国史記』では「城を抜く」(城を攻略する)の意味で使用されています。例えば次の用例があります。

○跪王、自誓、從今以後、永為奴客 (王にひざまずき、みずから「今より以後、永く奴客となる」と誓う)《碑文第一面》
○從男居城至新羅城 (男居城より新羅城に至る)《碑文第二面》

○南伐百済抜十城 (南、百済を伐ち、十城を抜く)『三国史記』高句麗本紀第六 広開土王

 しかし、通説ではこの記事中の「從拔城」を城の固有名としているようです。(つづく)

(注)
①好太王碑(こうたいおうひ)は、高句麗の第19代の王である好太王(広開土王)の業績を称えた石碑。広開土王碑とも言われる。中国吉林省集安市に存在し、高さ約6.3m・幅約1.5mの石碑で、四面に計1802文字が刻まれている。
②藤田友治『好太王碑論争の解明』新泉社、1986年。291頁


第3096話 2023/08/20

九州から関東への鵜飼の伝播

 昨日、都島区民センターで「古田史学の会」関西例会が開催されました。9月例会は東淀川区民会館で開催します。

 わたしは「木簡の中の王朝交代」を発表しました。701年の九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交代により、木簡に記された行政単位「評」が「郡」に全国一斉に変わることは郡評論争により著名です。同時に荷札木簡などの年次表記(干支→年号)やその記載位置(冒頭→末尾)も変わることを紹介し、それら書式変化の理由は、九州王朝と大和朝廷の〝行政命令〟によるもので、偶然の全国一斉変化ではなく、国家意思の表れと見なさざるを得ないとしました。

 今回の例会では、大原さんから興味深い鉄刀銘の紹介がありました。それは伝群馬県藤岡市西平井出土の銀象嵌太刀に描かれた魚と鳥(鵜)、花形文という図像で、熊本県の江田船山古墳出土銀象嵌太刀の魚・鵜・花形文と共通しています(江田船山の太刀には馬も描かれている)。この一致は両者の関係をうかがわせるもので、大原さんは九州勢力の関東進出を思わせるとされ、わたしもこの見解に賛成です。群馬県からは魚をくわえた鳥(鵜か)の埴輪も出土しており、海から離れた関東平野の奥地に鵜飼が伝わっていたことに驚きました。なぜなら、北部九州の鵜飼用の鵜は海鵜だからです。海鵜を捕獲して調教するため、古代では鵜飼の風習は海からそれほど離れていない地域に限られると、なんとなく考えてきましたが、大原さんの紹介により、認識を改めることができました。なお、『記紀』に見える〝鵜飼〟については別述したいと思います。

 わたしは九州王朝の鵜飼の伝統について論文発表(注)したことがありますが、その執筆時には群馬県での鵜飼について知りませんでした。倭の五王による関東侵攻の痕跡として、「鵜飼」の風習は注目されます。

 8月例会では下記の発表がありました。なお、発表希望者は西村秀己さんにメール(携帯電話アドレス)か電話で発表申請を行ってください。発表者はレジュメを25部作成されるようお願いします。

〔8月度関西例会の内容〕
①稲荷山鉄剣銘文の杖刀人は呪禁者との解釈 (大山崎町・大原重雄)
②近畿朝にいなかった安閑・宣化帝 (大阪市・西井健一郎)
木簡の中の王朝交代 (京都市・古賀達也)
仝PDF書類もダウンロードして下さい。
Youtubu動画ではありません。広告も出ません。

④末盧国の所在と魏使の行程 (川西市・正木 裕)

○会務報告(正木事務局長)

□「古田史学の会」関西例会(第三土曜日) 参加費500円
9/16(土) 会場:東淀川区民会館 ※JR・阪急 淡路駅から徒歩10分。
10/21(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。
11/18(土) 会場:浪速区民センター ※JR大和路線 難波駅より徒歩15分。

(注)
「九州王朝の筑後遷宮 玉垂命と九州王朝の都」『新・古代学』第4集、2000年。
「九州王朝と鵜飼」『古田史学会報』36号、2000年。
「『日出ずる処の天子』の時代 試論・九州王朝史の復元」『新・古代学』第5集、2001年。
○「洛中洛外日記」704話(2014/05/05)〝『隋書』と和水町〟


第3093話 2023/08/14

『古田史学会報』177号の紹介

 『古田史学会報』177号が発行されました。拙稿「追悼『アホ』『バカ』『ツボケ』の多元史観 ―上岡龍太郎さんの思い出―」を一面に掲載して頂きました。亡くなられた上岡龍太郎さんが古田先生のファンだったことなどを紹介しました。「洛中洛外日記」(注①)で触れましたのでご覧下さい。

 都司嘉宣さんは会報初登場です。『三国史記』新羅本紀に見える日食記事の精度から、同書の倭国関連記事がどの程度信頼できるかを論じたものです。『日本書紀』に見える天体観測記事を史料根拠として、倭国(九州王朝)記事を抽出するという試みは、近年では国立天文台の谷川清隆さんが精力的に取り組まれていますが(注②)、都司さんは『三国史記』を対象とされており、この分野での多元的古代研究の進展が期待されます。

 今号から、一面に目次を掲載することにしました。どの号にどの論文が掲載されているかの検索が容易になります。

 177号に掲載された論稿は次の通りです。投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

【『古田史学会報』177号の内容】
○追悼 「アホ」「バカ」「ツボケ」の多元史観 ―上岡龍太郎さんの思い出― 京都市 古賀達也
○倭国と俀国に関する小稿 ―谷本論文を読んで たつの市 日野智貴
○朝鮮の史料『三国史記』新羅本紀の倭記事の信頼性を日食記事から判定する 龍ケ崎市 都司嘉宣
○男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ 京都府大山崎町 大原重雄
○古田史学の会 第二十八回会員総会の報告
○「壹」から始める古田史学 吉野ヶ里と邪馬壹国 古田史学の会・事務局長 正木 裕
○「まちライブラリー」大阪から東京へ 相模原市 冨川ケイ子
○古田史学の会・関西例会のご案内
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○編集後記 西村秀己

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」第3029話(2023/06/02)〝上岡龍太郎さんの思い出〟
同「洛中洛外日記」3042話(2023/06/15)〝上岡龍太郎が見た古代史 ―「アホ・バカ」「ツボケ」の分布考―〟
同「洛中洛外日記」3043話(2023/06/16)〝『全国アホ・バカ分布考』の多元史観 ―「タワケ」「ツボケ」の分布考―〟
同「洛中洛外日記」3045話(2023/06/18)〝肥後と信州に分布する罵倒語「田蔵田」〟
同「洛中洛外日記」3046話(2023/06/19)〝東北地方の罵倒語「ツボケ」の歴史背景〟
②谷川清隆「天文記事から見える倭の天群の人々・地群の人々 ―七世紀の二つの権力―」『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独』明石書店、2020年。


第3087話 2023/08/02

八王子セミナー2023

  「倭国から日本国へ」の案内

 先日届いた『東京古田会ニュース』211号に〝古田武彦記念古代史セミナー2023 「倭国から日本国へ」〟(八王子セミナー)の案内が同封されていました。今年のセミナーは11月11~12日に開催されます。わたしも二日目の〝セッションⅡ 遺構に見る「倭国から日本国へ」〟で発表しますので、8月5日の東京講演会が終わりましたら、本格的に準備を始めます。わたしの演題と発表要旨は次の通りです。

《演題》
律令制都城論と藤原京の成立 ―中央官僚群と律令制土器―
《要旨》
大宝律令で全国統治した大和朝廷の都城(藤原京)では約八千人の中央官僚が執務した。それを可能とした諸条件(官衙・都市・他)を抽出し、倭国(九州王朝)王都と中央官僚群の変遷、藤原京成立の経緯を論じる。

 同セミナーの「案内」に掲載された荻上先生による開催趣旨には〝「証明」は客観的且つevidence-basedでなければなりません〟とあります。倭国(九州王朝)から日本国(大和朝廷)への王朝交代について、文献解釈を中心とした諸説が発表されていますが、その多くはevidence-based(出土遺構・木簡・金石文等)との整合性が不十分あるいは不適切なように見えます。今回のテーマにとって重要な視点ですので、わたしは徹底的にevidence-basedにこだわった発表を目指したいと考えています。
荻上先生による開催趣旨の当該部分を転載します。

 〝物語として古代を語るのは夢がありこの上なく楽しいのですが、古代史学においては科学的な「史実」の解明が基本であり、その作業即ち「証明」は客観的且つevidence-basedでなければなりません。「それでも地球は回っている」は科学的ですが、「それでも邪馬台国は近畿にあった」は科学的ではありません。
今回のセミナーでは「倭国」と「日本国」に焦点を合わせることにより、7〜8世紀の真実の歴史に迫りたいと思います。セミナーは、『邪馬台国の滅亡 大和王権の征服戦争』(吉川弘文館 2010)や『謎の九州王権』(祥伝社 2021)で知られる若井敏明先生の特別講演をお聴きした上で、古田先生の古代史学の研究方法と研究成果を再確認しながら、倭国から日本国への移行に関するevidence-based historyについて建設的な議論が盛り上がることを期待しています。〟(実行委員長 荻上紘一)

 同セミナーの日程は次の通りです。詳細や参加申し込みについては、主催者(大学セミナーハウス)ホームページのイベント案内をご参照下さい。
https://iush.jp/seminar/2023/04/545/

□特別講演 「『日本書紀』よりみたる古代ヤマト王権の成立と発展」
若井敏明(関西大学・神戸市外国語非常勤講師)
□第1日目 11月11日(土)
13:00~13:30 開会
13:30~16:30 特別講演(若井敏明先生)・ディスカッション
16:45~18:00 古田武彦氏の業績に基づく論点整理(大越邦生委員)
18:00~    夕食
19:00〜21:30 情報交換会
□第2日目 11月12日(日)
09:00~12:30 セッションⅠ 理系から見た「倭国から日本国へ」
12:30~    昼食
13:30~16:30 セッションⅡ 遺構に見る「倭国から日本国へ」
16:30~    閉会・解散