『顕注密勘』藤原定家自筆本の発見
今日のネットニュース(読売新聞、注①)に『古今和歌集』の注釈書『顕注密勘(けんちゅうみっかん)』の藤原定家自筆本がご近所の冷泉家で発見されたとありました。同家からは『明月記』の定家自筆本も発見されており、京都の旧家の凄さを感じます。ご近所とはいえ、冷泉家の門前を通ることはあっても、中に入ったことはありません。懇意にしていただいている、ご町内のA家の奥様は冷泉家のご友人ですから、一度、冷泉家の様子をお聞きしてみたいと思います。
定家自筆本『顕注密勘』発見のニュースに触れて、最初に思ったことがあります。それは『古今和歌集』九巻にある阿倍仲麻呂の歌、「天の原 ふりさけ見れば春日なる みかさの山にいでし月かも」の部分がどう書かれているのかということでした。
実は、『古今和歌集』古写本では流布本とは異なり、「天の原 ふりさけ見れば 春日なる みかさの山を いでし月かも」とあります(注②)。すなわち、古写本にはみかさ山から月が出たことを意味する「みかさの山を」となっています。ところが、奈良の御蓋山(標高297m)では低すぎて、月はその東側の春日山連峰(花山497m~高円山461m)から出るので、これを不審とした後世の人により、「みかさの山に」と書き変えられています。このこと論じた拙稿(注③)がありますのでご参照ください。
『顕注密勘』写本の京都大学図書館本には、改訂された「みかさの山に」となっており、今回発見された自筆本はどうなっているのか興味があります。『古今和歌集』流布本の一つ、定家本も改訂型ですから、恐らく『顕注密勘』定家自筆本も改訂型とは思うのですが。
それにしても、藤原定家の自筆本が現在に残っていることは研究者にはとても有り難いことで、冷泉家のご尽力はもとより、日本文化の素晴らしいところではないでしょうか。
(注)
①読売新聞WEB版には次のように紹介されている。
「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく
鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が、定家の流れをくむ冷泉(れいぜい)家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が18日、発表した。写本が重要文化財に指定されているが、直筆書が確認されたのは初めて。
顕注密勘は、平安時代に編さんされた日本最初の勅撰(ちょくせん)和歌集である古今和歌集の注釈書。平安末期~鎌倉初期の僧・顕昭(けんしょう)が記していた注釈「顕注」に、定家が解釈「密勘」を加え、1221年にまとめた。
直筆書は、冷泉家が蔵で保管していた「古今伝授箱」に入っていた。「定家様(ていかよう)」と呼ばれる特徴的な字体で書かれ、ペンネームとして用いた「八座沈老(はちざちんろう)」の文字や花押などもあり、定家直筆と判断できたという。
②延喜五年(905年)に成立した『古今和歌集』には、紀貫之による自筆原本が三本あったが現存しない。しかし、自筆原本あるいは貫之の妹による自筆本の書写本(新院御本)にて校合した二つの古写本がある。一つは前田家所蔵の『古今和歌集』清輔本(保元二年、1157年の奥書を持つ)、もう一つは京都大学所蔵の藤原教長(のりなが)著『古今和歌集註』(治承元年、1177年成立)。清輔本は通宗本(貫之自筆本を若狭守通宗が書写)を底本とし、新院御本で校合したもので、「みかさの山に」と書いた横に「ヲ」と新院御本による校合を付記している。教長本は「みかさの山を」と書かれており、これも新院御本により校合されている。これら両古写本は「みかさの山に」と記されている流布本(貞応二年、1223年)よりも成立が古く、貫之自筆本の原形を最も良く伝えているとされる。
③古賀達也「『三笠山』新考 和歌に見える九州王朝の残影」『古田史学会報』43号、2001年。
同〔再掲載〕「『三笠山』新考 和歌に見える九州王朝の残影」『古田史学会報』98号、2010年。
同「三笠の山をいでし月 ―和歌に見える九州王朝の残映―」『九州倭国通信』193号、2018年。